第41話 そりゃ男子だから、想像くらいするだろ
冬休み中のコンビニバイト。
夜になると、ガラス張りの店内は外よりも明るく浮かび上がる。
自動ドアが開くたびに、冷たい空気が足元をすくっていく。
蛍光灯の白い光。
コーヒーマシンの蒸気音。
レジの電子音。
その中で、陽向と朔也は同じ制服を着て、同じ場所に立っている。
シフトの曜日は流動的でありつつも、基本は固定されていた。
陽向と朔也はその時に応じて、同じシフトに入ったり、入らなかったり。
「あれ、来週ここ水曜なのにシフト入らないの?」
勤務表を、何気ない顔で指さす朔也。
レジに立つ陽向へ向けて呟いた。
「うん。綾真がウチ来るからシフト入れなかった。」
「はっ!!!???」
その言葉は、まるで“今日は牛乳買っとくね”くらいの軽さだった。
あまりにもあっさりそう言う陽向に、朔也の声は裏返った。
「だめだろそんなのっっ!!」
咄嗟に出てしまった反射だった。
思考を通らない、身体の拒絶。
「なんでよ!」
「何時に来るんだよ!」
「2時。」
ケロッと迷いのない即答。
朔也は、勤務表を睨む。
「…く…っ」
(…水曜日…よりによって昼勤かよ…)
胸の奥に、じわっと黒いものが滲む。
冬の空気より冷たい何かが、心臓の裏に貼りつく。
体育祭。
障害物競走。
そしてあの声。
あの獣みたいな熱。
脳内で、言葉が再生される。
(俺は星野と最後までいくから。途中でインターホンなんか出させねぇからな。)
「あんな奴、出禁だーーーーーーー!!!!」
「あ、いらっしゃいませー。タバコですか?何番ですかー?」
心の奥で弾けた焦燥が、爆発してそのまま口から飛び出し、店内に響く声。
陽向の営業スマイルが、何事もなかったように空気を上書きする。
「朔也、54番。」
振り向きもせずに、陽向の手のひらだけが差し出され、指示してくる。
「……〜〜〜〜っっっ」
朔也は何も言えず、言われた番号からタバコを取り出し陽向へ渡す。
ピッ。
ピッ。
レジの電子音が、朔也の焦りを細かく刻んでいった。
────────。
そして迎えた、水曜日。
冬の午後は思ったよりも光が白い。
二時前の空気はまだ夕方には遠く、朝よりもずっと柔らかかった。
星野家のリビングには、洗濯物を取り込んだあとの柔軟剤の甘さと、犬用ブランケットのほのかな獣臭。
レオは窓辺で丸くなり、時折しっぽをぱたぱたと揺らしていた。
ピンポーン。
インターホンの電子音が、静かな室内に軽く弾ける。
「え?綾真はやっ」
陽向はモニターも見ずに、反射で立ち上がった。
胸の奥が、ほんの少しだけ跳ねる。
来ると決まっている誰かを待つ時間は、どこか特別。
「はーい」
ガチャ。
そしてそこに立っていたのは──
「…あんた……バイトは?」
隣家の息子、朔也だった。
陽向の胸の跳ねは、すっと元の位置に戻る。
「いやーバ先の先輩にシフト変わって欲しいって言われてさー!休み変わってやったんだよね〜」
朔也は、水曜昼勤をどうしても引っ下げたくて、先輩に頼み込んでシフトを変わってもらった。
「だからってなんでウチくんだよっ!」
「暇だから。」
そう言いながら朔也は当たり前のように玄関へ上がり込み、お構いなしにリビングへ進む。
まるで、ここは自分のテリトリー。
「レオー!よしよーし!」
ソファに沈み込み、子犬を抱き上げる。
柔らかい毛が指に絡む。
温かい体温が掌に収まる。
「ちょっとちょっと!もうすぐ綾真来ちゃうんだから帰ってよ!」
当然のようにレオと戯れ始めた朔也に、陽向は声を荒げる。
「いいじゃねぇか!俺も混ぜろよ!」
「はぁ!?なんで私の友達が来るところにあんたも混ぜなきゃいけないわけ!?」
「同じ学校のよしみだろ!俺だって友達の輪を広げたいんだよ!」
言い訳は軽い。
でも本音は重い。
「私の友達から友達の輪を広げるな!自分の友達は自分で作れ!」
陽向は腕を組んで睨む。
その瞳に本当に深い意味はなく、ただ単にいつもの幼なじみへのツッコミ。
なかなか折れない陽向に、苛立ちを募らせる朔也。
それでも絶対、ここだけは引くわけにはいかない。
体育祭の日の言葉が、嫌でも蘇る。
(俺は星野と最後までいくから。途中でインターホンなんか出させねぇからな。)
途中で出させねぇなら……
最初から居座ってやる!!!
「なに?俺がいたら、何かまずい事でもあるわけ?」
「いやないけど…」
その“ないけど”の曖昧さに、心臓が跳ねる。
更に朔也は切り込んだ。
「お前、鷹井綾真の事好きなの?」
「好きじゃねーよ!!」
「だったらいいじゃねーかよ!!」
ほとんど悲痛な叫びに近い。
その時。
ピンポーン。
星野家の、二度目のインターホンは鳴り響いた。
レオが小さく吠える。
リビングの空気が、一瞬で張り詰める。
「…はあぁ〜…」
陽向は大きく溜め息をつきながら、玄関へと向かっていった。
ガチャ。
扉を開いた瞬間、冬の白い光を背負って、綾真が立っていた。
吐く息がわずかに白い。
腕には、箱の入ったビニール袋。
その表情はほんの少し緊張していて、それでも期待を隠しきれていない。
「綾真……ごめん、あの……」
陽向が言いかけた、その背後から。
「いらっしゃーい。」
低く、妙に余裕のある声。
レオを抱いたまま、リビングからゆっくり現れた男。
まるでこの家の主のような顔で。
(……黒川朔也………!!)
綾真の視界が、一瞬赤く染まった気がした。
「なんでお前がいるんだよっ!!!」
玄関に響く声。
冬の空気が、ピリッと張り詰める。
朔也はレオの背中を撫でながら、わざとらしく肩をすくめた。
「体育祭MVPの鷹井綾真くんと、ぜひお友達になりたいと思いまして。」
絶っ、対、違う。
綾真の胸に、確信が灯る。
これは……張ってきた網だ。
「……とりあえず寒いから、上がって?」
陽向は、二人の間に漂う火薬の匂いにまるで気づかないまま、さらりと言った。
その無邪気さが、余計に火を煽る。
綾真は靴を脱ぎ、上がった瞬間、迷いなく朔也の腕からレオをひったくった。
「レオー!大きくなったなぁ〜!会いたかったんだぜ〜!」
ふわり、と犬の体温が胸に収まる。
レオの柔らかい毛並みと甘い匂いが、少しだけ綾真の苛立ちを和らげる。
「おい、いきなり取るなよな!」
「お前さっさと家かえれ!」
廊下を進む足音が、やけに近い。
空気が、狭い。
リビングへ入った瞬間、綾真は袋を持ち上げた。
「星野、これ。シュガーラボのシュークリームとチョコチップクッキー。」
腕に下げていた袋からケーキ屋の箱を取り出し、陽向へ差し出した。
「えぇっ!?シュガーラボ!?」
陽向の声が弾ける。
瞳がぱっと明るくなる。
「うん。俺の地元の駅にあんだよ。」
「えぐっ!!えー大好きー!!」
(だだだ、大好きっっ!!??)
心臓が、跳ね上がる。
一瞬、世界がバラ色に見えかけたその瞬間。
「“シュガーラボが”、だよな。」
バサッと落ちる朔也の低い声。
その一言で、甘さが半分消える。
(こいつ……ダル!!)
綾真の胸の奥で、黒い煙が上がる。
「シュークリームとチョコチップ、バカうまいんだよなぁ〜!綾真ガチで気遣いイケメン♡」
陽向は、心から嬉しそうに笑っている。
その無邪気な笑顔が、朔也の胸を焦がす。
(大好きだの… イケメンだの…こいついい加減にしろよ…っ!)
言葉は軽い。
けれど、刺さる。
「寒かったでしょ?あったかいの入れよっか!コーヒーか紅茶か〜、ココアもあるよ!」
「コーヒー。」
「ココアで。」
間髪入れず、別々の選択。
「お前、なんで合わせねぇんだよ……ひなの手間が掛かんだろうが!どこが気遣いイケメンなんだよ」
「俺はコーヒー飲めねぇんだよ…!お前が合わせろよ。」
バチバチ、と目に見えない火花が散る。
「そんなの別にいいよ〜とりま座って待ってて!」
陽向は笑いながらキッチンへ消えた。
ソファに並んで座る二人。
距離は近いのに、空気は凍っている。
レオが二人の足元を行き来する。
「……お前、障害物で俺に負けて星野から身を引いたんじゃなかったのかよ。」
綾真のボリュームを潜めた声は低い。
朔也は視線を外したまま、吐き捨てる。
「お前みたいな、脳内どエロ変態ピンクモンスターを野放しに出来るわけねぇだろ。」
「別にあんくらい、男子なら誰でも想像すんだろ。」
その瞬間。
胸の奥で、何かが切れた。
ガシッ。
朔也の手が、綾真の胸ぐらを掴む。
「てめぇ…ひなでそんな事想像しやがったら…ぶっ殺すぞ。」
声が低く、震えている。
「硬派ぶってんじゃねぇよ…お前だって、どうせ毎日星野で想像してんだろ。」
綾真の挑発は、あえて深く刺しにいく。
「してねーよっ!!」
思わず、声が跳ね上がる。
——その時。
「お待たせー!コーヒーとココア入ったよー!」
明るい声がキッチンから飛び、一瞬で現実に引き戻される。
朔也は、掴んでいた胸ぐらをパッと離した。
二人とも、何事もなかった顔を作る。
レオが、無邪気に尻尾を振る。
冬の午後の光が、三人を同じ部屋に閉じ込めたまま、静かに傾いていった。
そして時間は経過する──。
「レオ、おすわりっ!」
綾真の声に、レオはちょこんとお尻を落とした。
小さな前足を揃え、期待に満ちた目で見上げる。
「お利口だなぁ〜、待て!待てだぞぉ〜…」
綾真はわざと声を低くして、犬用のオヤツを持った手のひらをレオの前でそーっと開く。
レオの鼻先がひくひくと震える。
オヤツの匂いに抗いながら、必死に動かないその姿がたまらない。
数秒。
沈黙。
その“間”を楽しむように、綾真は口元を緩めた。
その瞬間。
「よしっ!」
突然、横から割って入る声。
パクッ
レオは綾真の手のひらから迷いなくおやつを食べた。
「なんでお前が言うんだよっ!!」
最後の良いところを、朔也の声に横取りされた綾真は怒りをぶつけた。
(ことごとく、俺の至福を毎回全部邪魔しにきやがって…!)
「レオ!来い!おいで!」
レオは綾真の呼ぶ声に、尻尾を振って駆けてくる。
その勢いに、駆け寄ってきたレオの背中を撫でながら少しだけ胸が持ち直す。
「レオ!レオ!こっちだホラ!いくぞー…それっ」
だが次の瞬間、横からボールが飛んだ。
コロコロコローっとフローリングを転がる音。
レオは綾真の膝からピョンと飛び降り、一直線にボールへ向かう。
「俺が呼んだそばからレオを呼ぶなよ!」
綾真の声は、もうほとんど子どもの喧嘩だった。
ボールを咥えて戻ってきたレオを、朔也はひょいと抱き上げる。
慣れた手つき。
「レオはいつも俺と遊んでるから、俺と遊んだ方が嬉しいもんなぁ〜」
そしてわざとわしく、“いつも会ってる”アピールをする。
(うっぜーーーーーー!!)
綾真のこめかみに熱が集まる。
この家に、何度も出入りしている余裕。
レオとの距離感。
そしてなにより、“ここが自分の場所だ”と言わんばかりの立ち振る舞い。
怒りが、胸の奥でぐつぐつと煮立ち始めた、そのとき。
「ちょっと朔也!」
陽向の声が、ぱちんと空気を割った。
スッと立ち上がり、朔也の腕からレオをひょいと奪う。
「朔也はレオといつでも会えるでしょ!今日は綾真がレオと遊びに来たんだから、朔也と遊ぶ日じゃないのっ!」
陽向はそのまま、綾真の座るソファの隣へ腰を下ろす。
クッションが沈む音。
距離が、ぐっと近づく。
「ごめんね綾真、はいレオ。」
レオを差し出すその腕が、自然に綾真の胸に触れた。
ふわり、と陽向の香りがかすめる。
肩と肩が、触れ合う。
その体温が、じんわりと伝わってくる。
さっきまで煮え立っていた怒りが、嘘みたいにすっと引いていく。
(……やば……天使……)
心臓が、別の意味で跳ねる。
綾真はレオを抱きながらも、意識はほとんど隣にある。
陽向は何も考えず、無邪気に笑いながら綾真の腕にいるレオの頭を撫でている。
その横顔は近くて、無防備で、柔らかい。
一方。
朔也は絨毯の上にあぐらをかいたまま、二人を見上げる形になっていた。
位置が、はっきりしている。
自分は床。
二人はソファ。
高さも、距離も、空気も違う。
(……くっそぉ〜………)
喉の奥が、ひりつく。
自分が蒔いた種だ。
綾真に意地悪をして、それに陽向が寄り添った結果。
それでも、この光景は面白くない。
陽向の笑顔が、綾真のほうへ向いている。
レオを通して、自然に距離を詰めている。
(うっぜーーーーーー!!)
怒りを胸の内側で爆発させるも、朔也はまるで自業自得だった。




