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セカンドシーズン ─好きな人を、真っ直ぐに。─ 〜第一章〜高1編〜  作者: 波方 真季


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第39話 威風凛然、君が居てくれて


陽向と朔也が、生徒会室の前から静かに立ち去って──

その、ほんの数分後だった。


バンッ!


閉ざされていた扉が、内側から勢いよく開かれる。


生徒会室から飛び出してきた朝比奈凛佳。

凛としたはずのその瞳は、今はもう涙でいっぱいに濡れていた。

張りつめていた感情が、ついに抑えきれなくなったみたいに。


その横顔は、痛いほどに、恋をしていた。





一年前の夏────────。





「朝比奈副会長…まだ残ってたんですか?」


ガラッと扉が開かれた音と同時に、背後から声が落ちる。

振り返ると、ドアのところに立っていたのは、藤崎俊輔だった。


役員会議が終わって皆が帰ったあとも、朝比奈凛佳だけは、いつものようにその場に残っていた。


締切前の書類。

確認しきれていない数字。

“副会長だから当然”と、自分に言い聞かせてきた積み重ね。


一人で残ることにも、もう慣れているはずだった。


「あら藤崎くん、どうしたのー?」


すぐに書類に視線を戻して、ペンを走らせながら声だけ投げる。


「今日の収支報告、提出するならもう一回だけ精度上げたいなと思って。明日だと時間なくなるので」


その言葉に、思わず手が止まった。

ペン先が紙の上で止まり、わずかにインクが滲む。


「え……それで戻ってきたの?」


六月の総選挙で当選したばかりの新役員、一年生会計。

右も左もわからない筈のこの時期に、ここまで責任感が強くて完璧主義な一年生がいるだろうか。

朝比奈凛佳は、俊輔から出たその言葉に驚いた。


そして、続けられたその一言。


「朝比奈副会長が………いつも最後一人で残ってるのもちょっと気になってたんで……」


「……え?」


心臓が、はっきりと跳ねた。


静かな室内に、その鼓動だけがやけに大きく響く気がした。

気づけば、自分が“見られていた側”だったことに、遅れて気づく。


「そ、そんなの気にしなくていいのに!」


「でも……いつも最後まで仕事してませんか?」


何気ない問い。

責めるでもなく、ただ事実をなぞるような声。


それが、妙に胸に引っかかった。


当たり前のこと。

副会長だから。

仕事量が多いから。


そうやって、自分で納得してきたはずなのに。


──“いつも最後まで残っている人”として見られていたことに、なぜか少しだけ息が詰まる。


「そりゃ副会長なんだから、仕事量多いし!当然なの。藤崎くんはまだ一年生なんだからそんな心配しなくていいし、早く作業して帰りなよ」


少しだけ強めに言い切る。

これ以上踏み込ませないように。

これは自分の役割で、当たり前で、誰かに気にされるようなことじゃない。


「……はい。」


素直な返事。

それ以上、何も言わない。

それでも──


俊輔は、帰らなかった。


自分の席に座り、静かにパソコンを開く。

画面の光が、横顔を淡く照らす。

カタ、カタ、とまたキーボードの音が鳴り始める。

その音が、さっきまでとは少しだけ違って聞こえた。


胸の奥に、じんわりと何かが広がる。


言葉にするほどのものじゃない。

でも確かに、そこにある温度。


朝比奈凛佳は、視線を落としたまま、そっとペンを握り直した。


蝉の声は、相変わらず鳴り続けている。

夕暮れと夜の境目みたいな時間の中で──


生徒会室には、二人分の静かな音だけが、重なっていた。



────────。



二学期を迎えた役員会議終了後。


文化祭準備期間となるこの時期、生徒会は忙しい。

残って仕事をする役員達も数人いた。


キーボードを叩く音。

紙をめくる音。

ときおり交わされる短い会話。


それも、ひとり、またひとりと減っていって──


「朝比奈先輩、まだ帰らないんですか?」


不意にかけられた声に、朝比奈凛佳は顔を上げた。

立っていたのは、藤崎俊輔。


「あ…もうすぐ帰ろうとは思ってたけど……」


そう言いながら、ふと視線を室内へ巡らせる。


気づけば──

残っているのは、自分と俊輔だけだった。


さっきまであった人の気配が、嘘みたいに消えている。

静かになった室内に、蛍光灯の白い光だけが残っていた。

俊輔はスクールバッグを肩に掛けている。

もう帰る様子の姿。


「私のことは気にしなくていいから。お疲れ様。」


軽く言って、視線をパソコンに戻す。

カーソルが点滅する画面に、意識を落とす。


けれど。

椅子が、ひとつ引かれる音。

隣に、気配が落ちる。


思わず視線を上げると、俊輔が何事もない顔で座っていた。


「凄いですよね。責任感が…いつも。」


静かな声。

押し付けるでもなく、持ち上げるでもなく、

ただ事実を言うみたいに、ぽつりと落とされる。


その一言が──


胸の奥を、そっと撫でた。


くすぐったいような、でもどこか、痛いような感覚。

言われ慣れていないわけじゃない。


“副会長だから”

“しっかりしてるから”


そう言われることには、慣れている。

でもそれはいつも、役割に対してであって——


こんなふうに、自分自身の在り方みたいに言われることは、あまりなかった。


「別に……責任感とかじゃないよ。仕事が遅いだけ。」


視線を画面に落としたまま、淡々と返す。

軽く流すように。

それ以上踏み込ませないように。


そういう癖だった。


褒められるほどのことじゃない。

むしろ、出来ていないから残っているだけ。


「そうとは思えないけどなぁ」


少しだけ笑いを含んだ声。

否定でもなく、押し返すでもなく、

ただ、静かに受け止められる。


その柔らかさが、余計に逃げ場をなくす。


「いやいや。神谷くんなんて同じ副会長だけど私より仕事量こなしてるし、それなのに居残りもしないからね。本来はそれが理想なんだよ。」


言葉が、少しだけ早くなる。

自分でも分かるくらい、説明が過剰になる。


「時間は無限にあるわけじゃない。居残りするって事は、仕事が出来ない証拠。」


言い切る。

それは、自分に言い聞かせてきた言葉だった。

自分を、正当化しないための言葉。

足りない自分を、責め続けるための言葉。


「どうしてそんなに自分に厳しいんですか?」


不意に投げられた問い。

その一言だけが、まっすぐ胸に落ちた。

言葉に詰まる。


こんなふうに、理由を聞かれたことなんて、今までなかった。

“当然”としてやってきたことに、疑問を向けられることなんて。


一瞬、視線が泳ぐ。


でも——

誤魔化す気には、なれなかった。


「そりゃ…副会長なんて私には荷が重いからさ。厳しくしないとこなせないんだよ」


ぽつりと零れた言葉は、思っていたよりもずっと軽かった。

ずっと奥に押し込めていたはずなのに。

自分でも驚くくらい、あっさりと本音が滲み出てしまった。


「望んで…副会長になったわけじゃないんですか?」


間を置いて、静かに続く声。

責めるような問いじゃない。

ただ、知ろうとしているだけの声音。


「………まぁ…実は…そう。」


ほんの少しだけ、笑う。

いつもの、余裕のある笑いじゃない。

どこか、照れ隠しみたいな、弱い笑い。


誰かに弱さを見せることなんて、なかった。

出来る自分でいないといけなかったから。


でも今は、なぜか隠しきれなかった。


「今年、3年生は会長しか居ないでしょ?2年で継続役員は私と神谷くんだけだからさ。まぁ仕方ないよね。」


言いながら、どこか他人事みたいに感じる。

“仕方ない”

その言葉で、ずっと納得してきた。

そうしないと、やっていけなかったから。


「でも…生徒の代表として、学校を引っ張っていく生徒会長や副会長は、凄く誇らしい役割だと思いますし、そんな先輩達は…格好良いです。」


静かに落とされた言葉。

強くもなく、押し付けるでもなく、

ただ、真っ直ぐに。


その言葉が——

胸の奥に、じんわりと広がる。


あたたかい。


けれど同時に、どこか、触れてはいけないところを撫でられたような感覚。

押し込めていたものが、ゆっくりと浮かび上がってくる。


「はは…ありがと。」


小さく笑う。

でも、その続きは、止められなかった。


「でも私、生徒会役員になったのも大学受験で推薦取るのに有利だからであって、生徒の代表になりたいとか学校を引っ張って行きたいって志を持って入ったわけじゃないから。ぜーんぜん誇らしくなんてないんだよ。」


軽く言ったつもりだった。

冗談みたいに。

いつもの調子で。


でも──

その言葉は、思ったよりも重く、室内に落ちた。


「………。」


俊輔は、何も言わなかった。

否定もしない。

肯定もしない。

ただ、静かに受け止めているだけ。

その沈黙が、逆に痛かった。


「ガッカリさせちゃったらごめんね。私今年で生徒会は降りるつもりだから、神谷くんが生徒会長になる。そしたら藤崎くんが副会長になりなよ。君なら、2年後生徒会長になれる要素あるよ。」


言いながら——

胸の奥に、ほんのわずかな違和感が走る。

それが何なのか、分からないまま。


「僕は……副会長になりますよ。」


その瞬間。


時間が、ほんの一拍だけ止まった気がした。


まっすぐな目。

迷いも、遠慮もない声音。


「朝比奈先輩に……来年一緒に、同じ副会長として色々と学ばせて貰いますね。」


ふわ…っと、柔らかく微笑んだ。

その笑顔に──




胸がキュンと高鳴った。




冗談でも、気遣いでもない。

本気で言っていると、すぐに分かる。


「人の話…聞いてた?」


思わず、少しだけ呆れたように返す。

でもその奥で、何かが静かに揺れていた。


——来年、一緒に。


その言葉が、胸の中に残る。


文化祭準備のペア。


本当は——

心の底では、きっと俊輔と一緒になりたかった。

そんな自分が、確かにどこかにいた。


しかし今回、同じ副会長の神谷が顧問から備品買い出しの引率として任命された時、「同じ副会長だし、凛佳と一緒に行きますよ。」と、さらっとペアに指名された。

一年生から一緒に生徒会に居る関係。

気を遣わないで行ける相手。


叶わなかった俊輔とのペア。


でも——


(……来年……)


もし。

同じ副会長として、隣に立てたなら。

同じ目線で、同じ責任を背負って。

この静かな空間で、またこうして並べたなら。


胸の奥が、ほんの少しだけ、温かくなる。


「さ、今日はもう帰ろっかな!」


ぱたん、とパソコンを閉じる。

区切るみたいに、空気を変える。


「俊輔、帰りフラッペ買いに行かない?」


振り返って、少しだけ笑う。

親しみを込めた呼び捨て。

いつもの調子に戻した、軽い誘い。


「……はい!」


その返事に、ほんの少しだけ、笑みが深くなる。

外に出ると、夜の空気がひんやりと頬に触れた。

昼間の熱が、少しずつ引いていく時間。


校舎の明かりが背後で滲んで、二人の影が、ゆっくりと伸びる。

隣に並んだ足音が、自然と揃う。


たったそれだけのことなのに——


なぜか、少しだけ特別に感じた。



────────。



フラッペを片手に、二人で歩く帰り道。


校門を抜けた先、ゆるやかな坂道。

夕焼けはもう終わりかけで、空はオレンジから群青へと静かに溶けていく途中だった。


溶けかけた光が、アスファルトの上に長く影を引く。

二つ並んだ影が、少しだけ重なって、また離れる。


氷が、かすかにカラ、と音を立てる。

ストロー越しに感じる冷たさが、指先に残る。


他愛もない会話。

でも、それが心地よくて──

時間が、ゆっくりと流れていた。






「私、君の事好きだわ。」





ぽつり、と。

あまりにも唐突に落とした一言。


それでも——


心臓は、うるさいくらいに暴れていた。


「えっ……あ……えーと…その…好きってゆーのは…どーゆう……」


俊輔の声が、明らかに揺れる。

足が、ほんの一瞬だけ止まりかける。

いつもはどこか距離を取ったように、冷静で、感情を簡単には見せないくせに。


こんなふうに言葉に詰まる姿なんて、初めて見た。


胸の奥がじんわりと熱を帯びる。


でも同時に——


軽く言いすぎたかもしれない、とも思う。

ちゃんと伝わっていない。


だったら——


「彼氏になってよ。」


今度は、はっきりと。

逃げ場を残さない言葉で、まっすぐに。


空気が、一瞬だけ止まる。


「年上とか…駄目?」


少しだけ笑いながら、重ねる。

風が、二人の間をすり抜ける。


「いや…年上がどうとかは…無いけど……」


俊輔の視線が、わずかに泳ぐ。

フラッペのカップを持つ手に、ほんの少しだけ力が入る。


「僕……今…….彼女を作る気はなくて……その…」


言葉を選んでいる。

断るための言葉なのに、出来るだけ傷つけない形を探しているのが、伝わってくる。


その仕草が——


あまりにも俊輔らしくて。

優しくて。



可愛い。



思わず、口元が緩む。


「へぇー、高校生のくせに……真面目か!」


少しだけ肩をぶつけるみたいに、軽く言う。


「いや、真面目とかじゃないんですけど」


すぐに返ってくる否定。

でも、その声はどこか弱くて、

完全にいつもの調子ではない。


その温度差が、少しだけ可笑しくて——


「俊輔らしくて、そんなところも良いけどねっ!」


揶揄うように言うと。

俊輔は、ほんの少しだけ頬を染めて、視線を逸らした。

その反応が、思った以上に可愛くて。


胸の奥が、くすぐったくなる。


(……そっか。)


歩きながら、そっと息を吐く。


今は、まだ。

でも、焦る必要はない。


ゆっくりでいい。

今、その気がなくても。

隣に居続ければ——


きっといつか。




私には、俊輔の隣に立っていられる理由がある。




「文化祭どっちか一日、一緒に回ろうよー!」


「副会長なのに…忙しくないんですか?」


「忙しいけどぉ…確保する!」


「あんまり無理しないで下さいね」


「一年のくせに上からだなぁ 笑」


「そんなつもりないですよ!」


二人の間に、また小さな笑いが落ちる。


気づけば、空はすっかり夜に近づいていた。

街灯がぽつりぽつりと灯り始める。

伸びていた影が、ゆっくりと溶けていく。


隣を歩く距離は、変わらないまま。


それでも──


さっきよりほんの少しだけ、その距離が近く感じられた。




────────。




卒業を間近に控えた、三年の二学期終わり。


生徒会室。


何度も過ごした場所。

何度も並んで座った席。

同じ机、同じ窓、同じ時間。


積み重ねてきた日々が、静かにそこに残っている。



「……僕は、誰の事も好きにはならない。」



静かな声だった。


強くもなく、逃げるでもなく。

ただ、決めたことをそのまま言葉にしたような声音。


二度目の告白。


返ってきた答えは、あまりにも現実で。

あまりにも、揺らがなかった。


「……………俊輔は………かっこつけてばっかだね……」


笑った。

笑えた、と思った。


でも──


ポロリ、と。

涙が、頬を伝った。


止めるつもりなんてなかったのに、勝手に零れていく。


「……っ」


俊輔の表情が、わずかに揺れる。

ほんの一瞬だけ、崩れる。


その顔を見てしまって──

胸の奥が、痛いくらいに締め付けられた。


(ほら……)


涙に動揺するなんて。

カッコつけてるくせに。

結局、こういうところで取り乱す。



──優しいんだよ。



「朝比奈さんには…っ感謝してる。ずっと支えて貰ってきたし、今の僕があるのは……朝比奈さんのお陰だと本気で思ってる。」


言葉が、少しだけ急ぐ。

慌てているのが分かる。

フォローしなきゃ、と思ってる。


でも──

そんなの、余計に苦しいだけなのに。


(そういうとこ……だよ……)


優しさのつもりで、ちゃんと刺してくる。

それが罪だと、自覚もしないで。


「ううん。」


小さく首を振る。

崩れそうになるのを、必死に押さえ込む。


「支えて貰ったのは私の方。今、私がこの場所にいるのは、俊輔がいたから。」


言葉が、静かに落ちていく。

嘘じゃない。

全部、本当のこと。


「副会長なんてなりたくなかった。生徒会なんて、辞めたかった。」


誰にも見せられなかった弱さ。

誰にも言えなかった本音。


あの時──

俊輔にだけは………不思議とそれが出せたんだ。


「それでも……最後まで続けてこられたのは、俊輔と一緒に居たかったから。」


最初に俊輔に告白したあの日、副会長を続けると決めた。


ちゃんと、伝えたかった。

最後くらいは、誤魔化さずに。


「…………朝比奈さんが……居てくれて良かった。」


重なるように、返ってくる言葉。

暖かくて、優しい声。


「俊輔が居てくれて良かった。」


同じ温度で、返す。

それだけで、もう十分だった。


だから最後に……少し、意地悪してもいいかな。


「君を諦めるから…お別れのハグしよっ!」


両手を広げて、揶揄うように笑った。

冗談で言ったつもりだった。


初めて告白した、夕暮れの帰り道。


最後に、あの時みたいに動揺する可愛い顔が見たかった。


それだけなのに───



フワ……



その瞬間。


温もりに、包まれた。


「……朝比奈さん……僕を好きになってくれてありがとう。卒業しても……頑張って下さい。絶対、幸せになって下さい。」


耳元で落ちる声。

近すぎる距離。

身体に伝わる体温。


心臓が、跳ね上がる。


(……なんで……)


ぶわっ、と。

堰を切ったみたいに、涙が溢れる。


「……なんで……っ本当にすんの……ばか……」


震える声。

自分でも分かるくらい、ぐちゃぐちゃだった。



最後まで………優しくて。


カッコよくて。

可愛くて。


どこまでも、大好きな人。



グイッ───



咄嗟に、力を込める。

自分の想いを断ち切るように、抱きしめていた腕を押し返す。


バンッ


そのまま逃げるように、生徒会室を飛び出した。


扉の向こうで、冬の空気が頬を打つ。

冷たいはずなのに、涙は止まらない。


振り返らなかった。

振り返ったら、きっと──


前に進めなくなるから。




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