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セカンドシーズン ─好きな人を、真っ直ぐに。─ 〜第一章〜高1編〜  作者: 波方 真季


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第27話 リアコになってもいいですか


店のドアベルが、小さく鳴った。


駅前の喧騒がふいに遠のいて、空気が一段だけ落ち着く。

店内に流れる穏やかなBGM。

日曜日の昼の光が、ガラス越しにふわりとテーブルへ落ちていた。


陽向は、胸の前でバッグの持ち手をぎゅっと握り直して、そっと席に滑り込む。

仕事じゃない時間。

仕事だったはずの時間。




それなのに、今は一枚のメニューが、やけに重い。




(…パスタ……かぁ………)


開いたメニューには、ずらりとパスタの名前が並んでいた。

クリーム、トマト、オイル。

読めば読むほど、胃のあたりがきゅっと縮む。


端のほうに、遠慮がちに小さく載っているピザの項目。

たった三種類。

そこだけが、救命ボートみたいに見えた。


俊輔がメニューから顔を上げる。


「決めた?」


「はい!」


店員が来る。

俊輔は落ち着いた口調でパスタをオーダーした。

次は陽向の番。


「シーフードピザで!!」


店員が去り、テーブルに静けさが落ちる。

その静けさの中で、俊輔が少しだけ困ったように笑った。


「パスタ屋さんなのにピザなの?もしかして…パスタ苦手だった?」


気まずそうに言いながらも、責める響きは一切ない。

“ごめん”が、ちゃんと滲んでいる。


「いや!パスタ好きです!めっちゃ大好きです!!ただ私フォークが上手く使えなくって、クルクルってやるの難しくないですか?すくって食べるにしても、フォークってお箸と違って挟めないから運んでる途中に逃げちゃうんですよ!」


一回分の麺量を試算しながらフォークで巻き取る。

落とさず運ぶ作業。

それを、完食するまで集中し続ける持久力。

陽向の中ではそれが全部別々のタスクで、同時に走らせようとすると、どこかが落ちる。

“普通にできる人”が一回で身につくことが、陽向にとって集中力を要する必要が無くなるまでには、何倍も練習が必要だった。


「ウチお父さん居ないし、ママ仕事で忙しいから結構1人でご飯食べる事多くて、あんまり練習する機会もなかったんですよ。それで先輩に下手くそがバレてぶきっちょだなーとか思われたら恥ずかしいじゃないですか!!だから、それで!!」


麺はお箸で、米はスプーンを使う習慣は、既に陽向の当たり前として成立している。


「それ思ってピザ頼んだなら、僕に言っちゃったらバレちゃうよ」


「あ…確かに!」


俊輔の笑みがほんの少し深くなる。


「星野さんって、何の話でもマシンガントークなんだね」


ちょっと笑って言いながらも、優しい目をする。

その言い方が、可笑しがるというより愛おしがるみたいで。


その時。


「ランチサラダです」


店員がサラダを置いていく。

白い皿、透明なドレッシング、そして……フォーク。


陽向はフォークを握り、レタスを刺そうとする。

刺さらない。

掬い取ろうと持ち上げた途端に、ふわっと落ちる。


もう一度。

また落ちる。


「すいません」


そこで突然、俊輔は店員を呼んだ。


「お箸もらえますか?」


陽向の時間が、一拍止まる。

店員が確認する。


「一膳でよろしいですか?」


「はい。一膳でいいです」


“僕の分”とは言わない。

“星野さんのため”とも言わない。

そのさりげなさが、胸の奥をじわっと温めた。


箸が運ばれてくる。

俊輔が受け取って、陽向の手元へそっと滑らせる。

陽向は小さく「ありがとうございます」と言った。


箸を持つと、サラダは簡単に口へ運べた。

当たり前の動作が、当たり前にできることが、こんなに救われるなんて知らなかった。


やがて、パスタとピザが運ばれてくる。

湯気が立ちのぼり、バジルの香りがふわっと広がる。

皿の上で光るソースに、陽向の視線が吸い寄せられる。


俊輔が、また店員に言った。


「取り皿2枚下さい」


取り皿が来る。

俊輔は迷いなく、パスタを手際よく取り分けていく。

“副会長の仕事”の手つきのままなのに、今はそれが、あまりにも優しい動作に見える。


そして、陽向のほうへ皿を寄せながら、俊輔が言った。


「パスタ、“めっちゃ大好き”なんでしょ?お箸で食べられるなら、半分こしよ」


陽向は、息を呑んだ。


「……いいんですか…?」


「うん。僕もピザ半分食べたいから」


そう言って俊輔は、温かく微笑んだ。





こんなに…優しい世界があったなんて。





(…あぁ………やっぱり………………好きだ…………)




胸の奥が、柔らかくほどけていく。


付き合う、とか。

結婚、とか。


そういう未来の形は、まだうまく想像できない。

そうなりたいと思う気持ちも、よくわからない。


怖さも消えない。

恋という言葉は、今でも心臓の弱いところを叩く。


それでも。


この人と一緒にいると、安心できる。

不器用なところを隠さなくても、笑われない。

“できない”が、責められる材料にならない。


もしも。


先輩と、これから先の人生も。


ずっと一緒に隣で生きていけたなら。


これまでの痛かった日々も。

誰にも言えなかった寂しさも。



ずっと辛かった過去の出来事は、全て報われるだろうな。



ふとそんな気持ちが心にそっと芽生えた。


陽向は、箸を持つ手の力を抜いた。

目の前のパスタの湯気が、春みたいにあたたかく揺れていた。



────────。



食事を終えて店を出た二人は、そのまま本屋へ向かった。


ガラス張りの大きな書店。

自動ドアが開いた瞬間、外のざわめきがふっと遠のき、紙とインクの匂いが静かに鼻先をくすぐる。


「わー…めっちゃ広っ!」


陽向の声が、自然と零れる。


二人は肩を並べ、棚の間をゆっくりと歩いた。

気になる本を手に取っては、ページをめくり、戻して、また別の一冊へ。


「この作家、独特ですよね」


「世界観がね、ちょっと癖あるけどハマる人はハマる」


「この話ラストやばくないですか?」


「分かる。あそこ読み返すと余計来る」


表紙を見せ合い、くだらない感想を言って、また戻す。

本屋の中では、時間が溶けていた。


「あ、これ図書室にありましたよね!」


「うん、シリーズ3作まで置いてあった。5作も出てるんだね。」


その一言で、胸の奥が、きゅっと鳴った。


ただ、本を選んで、読んで、物語の話をして、脱線して、笑って。

その時間が、夏休み前まで学校の図書室で繰り返されていた光景と重なった。


放課後の図書室。

西日が差し込む窓際の席。


静かなはずの図書室で、二人だけの小さな世界が出来上がっていた。


あの時間は、特別なことなんて何もなかった。

手も触れていない。

恋の話も、していない。


それでも——

確かに、満たされていた。


それが、自分にとってどれほど暖かくて、大切な時間だったのかという事実に、改めて気づかされる。


恋の恐さもわかった。

自分の未熟さにも気がついた。


それでも。


——また、あの時間に戻りたい。


何も起きない、でも確かに満たされていた日々。

隣に座って、同じ空気を吸っていただけの、あの平穏。


その想いが、音もなく心の奥に芽を出していた。







やがて二人は、本屋を出て、駅へ向かう道を歩き出す。


夕暮れの街。

人の声、足音、走る車の音。


その中で、俊輔は少しだけ歩く速度を落とした。


そして、ずっと胸に秘めていた問いを、思い切って口にする。


「………図書室に来なくなったのは…どうして?」


胸が、跳ねた。


「え…あ…それは…うーんと…」


言えない。

幼なじみに植え付けられたトラウマの話しは口が裂けても先輩には出来ない。


「もしかして…大きな病気とか…してたの?」


陽向の曖昧な反応に、俊輔の胸の奥で、不安が静かに膨らんでいく。


「まさか!…えっと…ちょっと、色々と忙しくて!」


「ご家庭の事情?」


「あー…いやぁー……」


陽向の視線が、シラ〜っと斜めに泳いだ。


はっきりしない返答。

それが、俊輔の中にモヤモヤを残す。


この際、はっきりさせたい。

そう思う気持ちが、抑えきれなくなっていく。


なるべく笑顔で。

何てことない話題みたいに装って。


「…彼氏出来て、忙しくなったかな?」


「はっ!?そんなの出来るわけないじゃないですか!!」


即座に、強い否定。

その反応に、一瞬だけ安堵が走る。

けれど、すぐに別の不安が胸を覆った。


「…………。」


「…………。」


気まずい沈黙が二人の間に落ちる。




──そしたら原因は……やっぱり僕じゃないか……。




「……僕の事が……嫌になっちゃった……?」




声が、震えた。

もう、それを隠すこともできない。

俊輔は、目を合わせることすら出来ずに、足元を見つめていた。


「………っ」


陽向は胸がぎゅっと締めつけられる。


「そんなわけない!!!!」


思わず、強い声が響いた。


「だって先輩は…っ先輩は……私の……」




──私の………なに?




以前なら、推しです!とか、神様です!とか、口癖のように言っていた。


それなのに、その続きの言葉が真っ白で、そこだけが白紙になっているように文字が浮かんで来なかった。


言葉に詰まる陽向を見て、俊輔はゴクリと喉を鳴らす。

手のひらに、じっとりと汗が滲んだ。


沈黙は、長かった。


耐えきれなくなった俊輔は、喉の奥に溜め込んでいた言葉を、ついに解き放つ。


「……また……図書室に来てくれないかな……」


「…え……?」


「もしも僕が原因なら、何が君に嫌な思いをさせたのかを教えて欲しい。」


「いや、ちが…」


俊輔は止まらなかった。






「僕はこれから何があっても、君が嫌がるような事は絶対しない。」






(藤崎先輩は、ひなが怖がるような事や、嫌がるような事は絶対しない。これから先、一生だ。)




俊輔の言葉が落ちた瞬間、出掛ける直前に聞いた、朔也の声が、胸の奥で重なった。




本当…だったんだ。




信じても……いいのかな。


勇気を出してもいいのかな。





「………違いますよ。私が先輩を嫌になるわけないじゃないですか」





リアコになっても……いいですか………?





「一学期の評定があまりにも悪くて、ママに勉強しろー!!って死ぬほど怒られたんですよ」

(※これはこれで事実)


「え?…そうだったの?」


「そーですよ!そんなの、先輩に恥ずかしくて言えるわけないじゃないですか」


そう言って、陽向は明るく笑った。


「なんだ…だったら僕が図書室で勉強教えるよ。」


「え…っそ…そんなの心臓爆死しちゃうっ!緊張で頭入らないですよ!」


「何が悪かったの?数学?」


「まー数学は致命的ですねー」


「数I?数A?」


「両方です!でも来週、数Iのテストだから明日図書室で数I勉強しよっかな」


「明日….?」


俊輔は、一瞬だけ驚いた顔をして──


「明日、放課後図書室行きますね!」


それから、ゆっくりと微笑んだ。


「…うん。わかった」


駅のホームへ向かう階段の前で、二人は並んで立つ。


恋の答えは、まだ出ていない。

怖さも、全部は消えていない。


それでも。


明日もまた、同じ場所で。

同じ空気を、共有できる。


──またここから。

少しずつ、二人の時間を取り戻すみたいに。




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