ナッチェはシャワーを浴びる
――― 命の重さ。
ひとは誰でも死ぬ。
だが、誰にでも親がいる。
親は願う。
幸せになって欲しいと、健やかで安らかな人生であって欲しいと。
その願いの重さこそが命の重さ。
だからこそ、法で罪に問われずとも、その行いを肯定出来はしない ―――
英雄の家の応接間。
シャアリィとアイシャはナッチェを待っていた。
「ナッチェ、旅の汚れと疲れを落としておいで」
「もう、バスタブにお湯がはってあるからね」
「熱かったら水を入れてもいいよ」
小さな声で返事をしたナッチェは、ソファの横に荷物を置いて階段を登る。
英雄たちの寝室。
豪華で洗練された家具。
大きなベッド。
摺り硝子で覆われたバスルーム。
ナッチェは壁のハンドルを回し、冷水のままのシャワーを頭から浴びる。
涙が零れる。
喉が震える。
手足の力が抜けてしゃがみ込む。
そして小さな声で独白する。
「わかっているのです」
「自分が何をしたのかも、どう変わってしまったのかも」
「私は自分の手で、自分の身体で、自分の心で、夢を掴みたい・・・それだけなのです」
「英雄が守ってくれて、両親に甘やかされて、何不自由なくやりたいことが出来て、何が不満かって?」
「不満に決まってるのです!」
「私は・・・私は・・・本物の人生を生きたいの・・・です」
それがどんな物質的な贅沢よりも、飛び抜けて贅沢なこともナッチェにはわかっている。
痛みと犠牲、覚悟と喪失、自分の手を汚すことだって必要だからするだけ。
自分達だって冒険者だったくせに!
それを突き付ければどれだけ楽なことだろう。
でも、ナッチェはそれだけは言わないと心に決めている。
どれだけ自分の心が傷付いても、言ってはならないことを言うつもりはない。
冷えた身体が、温もりを求めている。
でも、もう母の腕、姉の胸は戻らない。
静かに足先から湯に身体を沈めて、肺の中の空気を全て吐き出す。
曇った硝子は自分の顔を映さない。
きっと酷い顔をしている、情けなく歪んでいるだろう。
作り笑いをしようにも、先に涙が滲んで目を閉じる。
ああ、なんて馬鹿なことをしているのだろうか。
・・・
入浴を終え、バスタオルに身体を包んだナッチェが応接室に戻って来た。
「少し休んだら夕食に行こう」
「私達は着替えてくるから、ナッチェも今日は余所行きに支度してね?」
シャアリィが言葉を残し、アイシャと寝室に向かう。
ナッチェは髪の水気を取りながら、下着を身に纏う。
ノックの音が響き、アイシャが扉の隙間から手持ち温風器を差し出した。
「これ使うとすぐに乾くよ」
両手でそれを受け取って、書棚にあるマニュアルから取り扱い説明書を探す。
カチっという音と共に吹き出す風。
ダイヤルを回せば、涼風は熱風に変わる。
少しばかり行儀悪くソファから足を投げ出して、長い髪を丁寧に乾かせば、僅かに気分は晴れてゆく。
アイシャの言葉を思い出す。
「考えても詮無きこと」
ナッチェは思う。
自分はもう普通の町娘ではなくなってしまったけれど、それがどうしたというのだ、と。
どんなに哀しくてもお腹は空くし、気分を紛らわせたければ酒も欲しくなる。
自分は生きている。
少しばかり目標が高くて、欲張りなだけ。
上手に綺麗にくせっ毛を巻き上げ、まだ少しばかり季節外れなドレスに、大人びたショールを羽織る。
痛々しく無理をしているように他人の目に映ったとしても、構わない。
私はもっと強く、もっと大人になるのだと、黒曜石の瞳が輝く。
ちょっとばかり酷い親離れ。
きっと、いつかわかってもらえるはず。
アレックスとオルチェの笑顔は、こんなにも瞼の裏には鮮やかなのだ。
小さな赤いリボンを髪の先に飾れば、準備完了。




