ナッチェは迷宮に行きたい
黒猫獣人は弱い。
そもそも野生を薄れさせ、ひとと共存出来るように、旧世界の人間たちによって生み出されたのが『猫』なのだから。
本来、大きかった体躯も、牙も、爪も小さくなり、闘争本能は削られ、その身に残っているのは鋭敏な感覚と猫科特有の超絶的バランス維持能力、そして隠密性。
つまり究極の斥候にはなれても、戦闘能力は皆無。
だからナッチェは戦闘の舞台に上がってはならない。
逃げて逃げて逃げて隠れる。
それがナッチェの生存戦略だ。
「シャアリィさん、アイシャさん、私に一度、迷宮を経験させて下さい」
その申し出、アイシャにしてみれば晴天の霹靂。
「どうしたんだい?」
「きみ達は戦闘向きじゃないよ?」
「わざわざ危険なところに行く意味なんてないだろう?」
アイシャにはわからない。
自分は獅子、それも白毛獅子。
黒猫が短所を補いたいという申し出にしか聞こえない。
だが、シャアリィは気付く。
「いいよ?」
「でも、アトラクションとしては面白くないし、想定外のことも起きるんだからね?」
「覚悟だけじゃ生き残れない世界、見たいんでしょ?」
そう、ナッチェは賢い。
自分の身の程をちゃんと弁えている。
その上で、自分が恐怖に足をどのように竦ませるのか、それに抗えるものなのか、確かめたいのだ。
「シャアリィ、私は反対だ」
「確実に守れる保証はないんだよ」
と、アイシャが言えば、シャアリィは反論する。
「そうだね、最悪、死ぬかも知れない」
「でも、アイシャは言ったでしょ?」
「金も、コネも、運も、総動員しろって」
「ナッチェは、私達というコネを使って、普通なら見ることの出来ない世界を見たいと言ってるんだよ」
「そして、運が試される」
でも・・・と、シャアリィは続ける。
「ナッチェ、本当の狙いは別にあるよね?」
「よしんば新しい術式が欲しい、そうでしょ?」
ナッチェは核心を突かれて、少しばかり狼狽する。
「っ・・・流石は英雄殿」
「私に備わっている術式についても察していましたか・・・」
「旅をするならば、強くなる必要がある・・・そう、思ったのです」
種族固有スキル。
獣人の全てが持っているわけでなく、類稀な生まれながらの才能、いわゆるギフテッド。
「気配遮断、暗視、浮身、加速・・・を、私は持っています」
「お姉ちゃんでさえ、私のスキルを知りません」
アイシャにはわからなかった。
ナッチェをそういう目で見たことがないのだから、わかるはずもない。
アイシャは呆れ混じりの溜息を吐く。
「はぁ、わかったよ」
「私の負けだ」
「気配遮断があるなら、はぐれたとしても生存できる可能性は跳ね上がる」
「それに私達がついてるなら、そういう事態に陥る可能性は低い」
「あとは、どうやってアレックスとオルチェを説得するか、だけだな」
「あの二人は元冒険者だ」
「生半可な言い訳では許可を出さないだろう」
・・・
「だめだ」
「寝言は寝て言え」
アレックスは開口一番、冒険者の顔で静かな怒りを込めた声。
ナッチェの前で初めて見せる表情、そして存在感。
「アイシャ、シャアリィ、迷宮ってのはそういう場所じゃねえだろ」
「覚悟を決めて、それしか残ってないやつが、脚を震わせながら、強がりながら踏み出す・・・そういうもんだろ」
シャアリィは澄ました顔で返答する。
「確かにナッチェは他の生き方も出来る」
「でも、それ以外は全部、揃ってる」
「覚悟を決めて、脚を震わせながら、強がりながら踏み出してる」
オルチェが嘆願する。
「シャアリィ、この子に何かあったら、アタシは正気じゃいられない」
「連れてかないでおくれ」
アレックスとオルチェの姿を見れば、ナッチェの心も揺れる。
でも、夢は止めたくない、止まらない。
ここで引き下がれば冒険の機会、旅立ちは遠くなる。




