旅立ちの予感
シャアリィとアイシャが料理を作る時。
それは長い旅の始まりを意味する儀式のようなもの。
彼女たちはまるで憂いを無くすように、文化を残すように、特別な料理を振舞う。
「うっはー、今回も強烈だな!」
アレックスの言葉通り、一度味わっているとは言うものの、その破壊力は凄まじい。
既にスパイス・スープの食べ方を知っている者でさえ、この料理の鮮烈な味わいと中毒性のある香りには虜になる。
オルチェの反応はまさに典型的だ。
会話に参加することもなく、既に深皿半分のスパイス・スープを平らげている。
「私達も挑戦しようと思ったんですけどね」
と、エレナとオリビアが口籠る理由。
それはこの料理が周囲に与える影響の大きさだ。
何しろ一度スパイスの調合に入れば否が応にも食欲を刺激する香りが広範囲に拡散されてしまう。
一般の住居でこの料理を作るには、相当の覚悟がいるのだ。
そして、問題はそれだけでなく、この料理を仕上げるための労力も凄まじい。
十種類ものスパイスを磨り潰し、バターでペーストを作る作業は重労働。
余程の気合がない限り、手を出せない領域にある。
「この揚げ物の旨さ、反則級だぜ」
エドワードが言う通り、シャアリィのスパイス・スープを存分に味わうには、相性の良いアクセントは必要不可欠な要素だ。
それを仕上げるアイシャの手際。
とても記憶が欠落しているとは思えない。
さらに自分達では作り出せない分野であるデザートに関しては、街一番のカフェテラスである『黒猫のテラス』から持ち込むという用意周到さ。
俯瞰しなければ、この宴の本質的な『豪華さ』は、見えない。
ナッチェは正しく、この料理を見極めるために逃避という選択をした。
それは実に賢い選択であり、爆心地で真向から理解を試みるマリウスと対照的。
マリウスの選択は一見、強固な意志によるものに見えるが、それは既に英雄の毒に当てられているのかも知れない。
「あれだけの大量のたまねぎが欠片もなく融合した・・・」
それでも、作り手の一人になったからこそわかる絡繰りの数々。
そして、完成に近づく毎に調整される火加減の繊細さもまた、マリウスが今回得た知識。
たかが料理と言うなかれ。
それは明日への原動力、この瞬間の希望、そしてそれを予感する時、ひとは空腹という抗いがたい欲求に支配される。
「まぁ、難しく考えずに、旨いものは旨い!」
「で、良くない?」
あっけらかんとシャアリィが言えば、隣のアイシャは大きく首肯する。
「おいしいと言って貰えれば、作り甲斐もあるしね!」
それこそが、二人の本質。
だからこそ、手間も、費用も、労力も惜しまない。
・・・
腹が満ち、僅かに残された余地に酒が流れ込む。
「なぁ、また旅に出るのか?」
と、名残惜しそうにアレックスが問えば、少しばかり感傷的な空気になる。
だが、今回の旅の理由は悲壮なものでも、飢えたものでもない。
「うん、アイシャにとって必要な人の所を全部回るよ」
「それが私達の新しい冒険」
金色の瞳は揺るぎない覚悟を示し、深緑の瞳は天使の笑顔を映し出す。
「ここは私の戻る場所だ」
「土産話をちゃんと持ち帰ってくるよ」
ゆらゆらと揺れるみっつのしっぽ。
「じゃあ、せめて、来週の安息日まではいて下さい」
「私達の魔法を餞別にご用意します」
普段大人しいエレナがそう宣言すれば、シャアリィもアイシャも快く承諾する。
「楽しみにしているよ!」




