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氷結のシャアリィ  作者: 黒猫テラス運営部
記憶を探す旅編
553/576

シュラインの助言

良い香りの上等なお茶。

そして口どけの良いスフレケーキ。

これを口にし、味わうことが出来るだけでも、私は随分と幸運なのだろう。


「まぁ、私は改造の専門家であって、治療の専門家じゃないんだ」

「しかも、脳という複雑な器官であればお手上げ」

「だが、それでも断言できることがあるよ」

「きみの記憶障害は一時的なもの」

「一時的と言っても回復するのは、明日かも知れないし、三十年後かも知れない」

「或いは寿命が尽きるまでに間に合わないこともあるだろう」

「記憶は壊れてはいない、それに触れるための合言葉が失われたようなものだ」

「頭部に大きな損傷を負っていれば、必然、視覚や聴覚にも影響が出るが、きみはそれらに異常を全く感じていないのだろう?」

「考え方を変えれば・・・」

「本人には酷かも知れないが、『たかが記憶』だ」

「誰だって物心つく前のことなんて覚えちゃいないんだ」

「それにね?」

「人間の記憶なんてものは、今こうしている間にも、どんどん薄まっているんだよ」

「明日になれば、今日のことの半分も思い出せない」

「一年も過ぎれば、余程、心に残ったことを断片的に覚えているだけになる」

「あまり、拘らないことが、きみにとっての一番の薬だと、私は思うね」


リーシャも、シャアリィも、シュラインの言葉に頷く。


「先生の言う通りだよ」

「私の知っているアイシャは、今のアイシャと変わらない」

「そりゃ、楽しかったことを忘れちゃったのは寂しいけれどね」

「でも、もう一回、新しいことを一緒に出来るじゃない?」


シャアリィは笑う。


「もし、迷うことがあれば、私がいるよ」

「アイシャ姉様は、私にとっても掛け替えのない存在だからね」


リーシャも笑顔を見せる。


「そうか・・・そうだね」


もっと、もっと、楽観的になるべきだ。

そうでなければ、ロザリーが身を削って私をこの世に留めた甲斐がない。

魔道学者は歪んだ嗤いで、


「私がアレコレと弄っていいなら、それもアリだ」

「最近はリーシャも落ち着いてしまって、私の出番がすっかりないんだ」

「聖女計画も軌道に乗ってしまったからね」


その口元と悦楽を宿した目を見れば、悍ましさが背中を奔る。


「いや、ゆっくりと生きることにしましたので、改造はご遠慮します」


・・・聖女計画?

その言葉は忘れてはならない気がする。

だが、ここで深く掘り下げるような話題でもあるまい。


・・・


私は一つの区切りを得た。

シュラインの言う通り、『たかが記憶』なのだ。

それも、私の脳の何処かに封印されただけのもの。

今、思い出せなくとも、或いは無くしたとしても不自由はない。


ただ、ミヤマ先生やロートシルトの死を聞いても、実感が乏しい。

「人間らしさ」が欠けてしまったような漠然とした恐怖感があるだけ。


「ミヤマ先生の死には私は間に合ったのかな」


と、シャアリィに問えば、


「ええ、アイシャは毎日、看病をしてたよ」

「お茶を飲む約束をしたのに、その前に亡くなってしまって怒りながら泣いてた」

「私も哀しくて、寂しくて、一緒に泣いたよ」


ちゃんと見送れたのだな。


「アイシャにね、随分と強くなった、精進を怠るなよって」

「その次の日には、棟梁を引退して、今はテッシュウっていうひとが棟梁」

「そのひとはミヤマ先生程は厳しくはないけれど、とても誠実なひとだね」


自らの跡を後進に委ね、それでいて穏やかに死ぬなんて、上出来じゃないか。

流石、私の恩師。

流石、世界最高の鍛冶師。

そのひとつひとつに思いを馳せれば、やはり、涙は零れる。


「そうか・・・先生は私を褒めてくれたんだね」

「それを聞けて安心したよ」

「随分とお世話になったんだ」

「里を出される間際くらいまでね・・・本当に厳しいひとだった」

「でも、同じくらい優しかった」

「ああ、哀しいね・・・本当に・・・っ」


――― 刀はひとを殺すための道具だよ。


こんなものを得意気に振り回せた所で、結局、業が増えるだけ。

人が人の命を奪うのは、どんなに綺麗事を言った所で、悪なのさ。

私の刀は善も悪も区別することなく斬る。

悪党だって血の色は赤い。

必要なくして、鞘から刃を見せることは許される行いではないよ。


だからね、殺意を込めてちゃんと斬るんだ。

殺すならば、殺される覚悟を持たなくちゃあいけない。

今、自分が何をしているのか、それを忘れる奴には私の刀は渡せない。

鍛冶師の矜持というのは、ただの我儘だ。

道具を上手に使える奴に使って欲しいというだけのね ―――


記憶だけ残っていても、先生はもういない。

私はここにいる。

記憶をなくしても、まだ、ここにいる。


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