シュラインの助言
良い香りの上等なお茶。
そして口どけの良いスフレケーキ。
これを口にし、味わうことが出来るだけでも、私は随分と幸運なのだろう。
「まぁ、私は改造の専門家であって、治療の専門家じゃないんだ」
「しかも、脳という複雑な器官であればお手上げ」
「だが、それでも断言できることがあるよ」
「きみの記憶障害は一時的なもの」
「一時的と言っても回復するのは、明日かも知れないし、三十年後かも知れない」
「或いは寿命が尽きるまでに間に合わないこともあるだろう」
「記憶は壊れてはいない、それに触れるための合言葉が失われたようなものだ」
「頭部に大きな損傷を負っていれば、必然、視覚や聴覚にも影響が出るが、きみはそれらに異常を全く感じていないのだろう?」
「考え方を変えれば・・・」
「本人には酷かも知れないが、『たかが記憶』だ」
「誰だって物心つく前のことなんて覚えちゃいないんだ」
「それにね?」
「人間の記憶なんてものは、今こうしている間にも、どんどん薄まっているんだよ」
「明日になれば、今日のことの半分も思い出せない」
「一年も過ぎれば、余程、心に残ったことを断片的に覚えているだけになる」
「あまり、拘らないことが、きみにとっての一番の薬だと、私は思うね」
リーシャも、シャアリィも、シュラインの言葉に頷く。
「先生の言う通りだよ」
「私の知っているアイシャは、今のアイシャと変わらない」
「そりゃ、楽しかったことを忘れちゃったのは寂しいけれどね」
「でも、もう一回、新しいことを一緒に出来るじゃない?」
シャアリィは笑う。
「もし、迷うことがあれば、私がいるよ」
「アイシャ姉様は、私にとっても掛け替えのない存在だからね」
リーシャも笑顔を見せる。
「そうか・・・そうだね」
もっと、もっと、楽観的になるべきだ。
そうでなければ、ロザリーが身を削って私をこの世に留めた甲斐がない。
魔道学者は歪んだ嗤いで、
「私がアレコレと弄っていいなら、それもアリだ」
「最近はリーシャも落ち着いてしまって、私の出番がすっかりないんだ」
「聖女計画も軌道に乗ってしまったからね」
その口元と悦楽を宿した目を見れば、悍ましさが背中を奔る。
「いや、ゆっくりと生きることにしましたので、改造はご遠慮します」
・・・聖女計画?
その言葉は忘れてはならない気がする。
だが、ここで深く掘り下げるような話題でもあるまい。
・・・
私は一つの区切りを得た。
シュラインの言う通り、『たかが記憶』なのだ。
それも、私の脳の何処かに封印されただけのもの。
今、思い出せなくとも、或いは無くしたとしても不自由はない。
ただ、ミヤマ先生やロートシルトの死を聞いても、実感が乏しい。
「人間らしさ」が欠けてしまったような漠然とした恐怖感があるだけ。
「ミヤマ先生の死には私は間に合ったのかな」
と、シャアリィに問えば、
「ええ、アイシャは毎日、看病をしてたよ」
「お茶を飲む約束をしたのに、その前に亡くなってしまって怒りながら泣いてた」
「私も哀しくて、寂しくて、一緒に泣いたよ」
ちゃんと見送れたのだな。
「アイシャにね、随分と強くなった、精進を怠るなよって」
「その次の日には、棟梁を引退して、今はテッシュウっていうひとが棟梁」
「そのひとはミヤマ先生程は厳しくはないけれど、とても誠実なひとだね」
自らの跡を後進に委ね、それでいて穏やかに死ぬなんて、上出来じゃないか。
流石、私の恩師。
流石、世界最高の鍛冶師。
そのひとつひとつに思いを馳せれば、やはり、涙は零れる。
「そうか・・・先生は私を褒めてくれたんだね」
「それを聞けて安心したよ」
「随分とお世話になったんだ」
「里を出される間際くらいまでね・・・本当に厳しいひとだった」
「でも、同じくらい優しかった」
「ああ、哀しいね・・・本当に・・・っ」
――― 刀はひとを殺すための道具だよ。
こんなものを得意気に振り回せた所で、結局、業が増えるだけ。
人が人の命を奪うのは、どんなに綺麗事を言った所で、悪なのさ。
私の刀は善も悪も区別することなく斬る。
悪党だって血の色は赤い。
必要なくして、鞘から刃を見せることは許される行いではないよ。
だからね、殺意を込めてちゃんと斬るんだ。
殺すならば、殺される覚悟を持たなくちゃあいけない。
今、自分が何をしているのか、それを忘れる奴には私の刀は渡せない。
鍛冶師の矜持というのは、ただの我儘だ。
道具を上手に使える奴に使って欲しいというだけのね ―――
記憶だけ残っていても、先生はもういない。
私はここにいる。
記憶をなくしても、まだ、ここにいる。




