度量
アーシアンの街にある、もう一つの大教会。
それが聖アーシアン教会だ。
教会という名がついているものの、その殆どは教皇の邸宅のようなもの。
当然にして一般の立ち入りは出来ない。
宗教儀式と教皇の歴史を残すための装飾。
謁見の間に続く長い廊下には、歴代教皇の手形が残されており、大回廊にはその肖像画。
それより奥は、教皇庁の人間か、或いは特別な許可を受けた人間だけが入場を許される。
よって、枢機卿であるワイズリートでさえ、知っている場所は少ない。
教皇謁見の間。
最も有名で多くの者が立ち入ったことのある場所。
大扉の両側には長槍を構えた屈強な衛兵が立ち、許可のない者の侵入を阻む。
この兵士たちに濫りに触れれば、重罪。
そして衛兵であっても、扉に手を掛けることは非常事態以外、許されていない。
扉を開くのは教皇庁の幹部の仕事であり、それは聖域への入り口。
一歩聖域に入れば、数十メートルの向こう、三段の階段を登った先にある教皇聖座。
それを真っ直ぐに繋ぐのは、教皇を示す紫色のカーペット。
教皇は、紫の詰襟の聖衣を纏い、聖座にて謁見を行う。
「中央神学校主席、リーシャ・セロニアス、前へ」
謁見が始まって早々に、リーシャの名が呼ばれた。
周囲の者たちよりも、かなり背の低いリーシャが最後方の位置から、カーペットの上を歩き出す。
その姿を皆、息を飲み、ただ見つめる。
「止まれ」
階段の手前五メートル。
その距離は、叙勲される騎士、報奨を与えられる商人と同じ距離。
つまりは、海の者とも、山の者とも、知れない者という扱い。
「其方、大層、素晴らしい役者の才があると聞く」
「しかも学業優秀、成績も主席であるとか」
「他にも秀でた所があるならば、遠慮なく申してみよ」
言葉を発したのは教皇の側近である、教皇庁大司教。
リーシャの可憐な唇が動き、それに似合わぬハスキーな声が響く。
「大したことではありませんが、三つの聖書全てを記憶しております」
「そして、暗算も少々」
聖職者であれば、聖書の一つくらい諳んじるのは不思議ではないが、三つ全てとなると滅多にはいない。
「では、試しに・・・伝聖書十一節、二章を」
その指示に動じることもなく、少女らしからぬ抑揚で一言一句間違えることもなくリーシャは謳い上げる。
「では、原聖書三十二節、三章」
小さく息を吸って、同じように謳い上げれば、教皇自ら拍手が送られる。
「では、暗算・・・二七八七六六掛けること三三二八七では?」
数秒の後、
「九二七九二八三八四二、です」
それに数分遅れて筆算していた者が解答を示す。
「九二七九二八三八四二・・・正解です」
教皇は上機嫌で席を立ち、リーシャに問う。
「枢機卿の弟子、リーシャ・セロニアス」
「実に見事、可憐にして豪胆、惜しむらくは、その義足」
「それだけの才があれば、それも気にならぬか」
リーシャは少しばかり、間を溜めてから、
「私は女でございますので、才と脚を天秤に掛ければ、健やかな脚を望みます」
「今となっては、良き師に巡り合えたことで、心を痛めることもなくなりましたが」
勿論、それは用意しておいた解答だ。
「そうか、そうか・・・済まないことを聞いてしまったな」
「久しぶりに良いものを見せてもらった」
「私にも推し量れない其方の痛み、私から『混沌』の称号を授けよう」
「しかし、リーシャ・セロニアスよ」
「二度と私の度量を試そうなどとは思わぬように、な」
「あまりに賢過ぎると長生き出来ぬぞ」
リーシャは肝が冷える。
温厚な好々爺にしか見えない貌の下に隠した、底知れない腸。
流石は、フェルテス・アルメイザス・・・戦後の焼け野原で育った怪物。
ワイズリートも又、涼しい顔の下、不快な汗に身体を湿らせる。
正直、舐めていた、と、認めざるを得ない。
だが、なんとか乗り切った安堵。
帰ったら温いお茶で喉を潤したいものだ。




