貴族邸宅の書庫
「どうぞ中へ・・・」
「勿体つけるわけではないが、貴重な書物も多い」
「残念ながらお茶をしながらというわけにはいかないのさ」
「隣室に茶を用意させておくから、喉が渇いたなら遠慮なく席を外し、侍従の者に申し付けるといい」
今回、シュベルドの邸宅に足を踏み入れることになったのは、あくまで偵察のための資料を閲覧するためだ。
お茶会に招かれたわけでも、招かれるような間柄でもない。
煌びやかな装飾、絵画のあるロビーを抜けて暫く歩を進めた後、長い廊下を一度曲がる。
わかりきっていた事だが、子爵邸の広さ、絢爛さには感心を通り越して呆れてしまう。
ザグレブホーンでは、各地に見られるような貧民街は事実上存在しない。
近年、働き手となる若者の大半はナセルバに出稼ぎに行くようになった。
この街には選り好みさえしなければ仕事は幾らでもある。
あらゆる第一次産業の後押しを早期に着手したことによって、社会保障も安定している。
堅実な者達は日々の生活に満足し、多くのものを求めていない。
この治安の良さは、シュベルド達統治者の政策によって生まれている。
貴族を揶揄するものは少ない。
土地、木材などの建材は安価に供給され、人手さえあれば、誰もが満足な屋敷を持つことも可能。
勿論、障害を持つ者や、生い先短い独居老人などには手が出ないが、救済年金もある。
この呆れるような大邸宅も、そうした背景を考慮すれば文句をつける筋合いではない。
書庫として案内された部屋は、窓のない石造りの一室だった。
三十人は掛けることが出来る長椅子とテーブル。
その周辺に背丈の倍程の棚が並び、書物が整頓されている。
「ほう、見事なものね」
「教会図書館に比べれば随分と貧相なものだが、貴重な写本、おや、原本まである」
「ここでゆっくりと読書出来るならば、多少の媚びくらい安いもの」
ロザリーにそう言わせるだけのことはある。
書物に触れる機会など、セロニアスの集落を離れた今となっては、滅多にないアイシャだが、何処か懐かしさを感じる紙とインクの濃密な匂いが空間に満ちていることだけでも癒される。
『知恵の匂い』
として、教えられたもの、その源流が此処にもある。
『知の集大成の王』、地図だ。
ダンジョンのような局所に限らず、未踏の場所や自然の在り方を俯瞰する強力なアイテム。
精巧な地図を持つということは、それだけで様々な商売が成り立つ。
地図自体を複製して売るもよし、地図を頼りにガイドをするもよし、その使い道は素人が想像するだけでも、沢山ある。
ザグレブホーン全域の地図が見事に揃っているのは、さすが統治者の一角。
この書庫にあるものだけで、どれだけの値がつくというのか見当もつかない。
小国さえも買えるのではないかという宝の山だ。
「アルメウス植物学の原本!」
滅多なことでは大声を発しないロザリーが、一際、大きな声を上げた。
「これ、幾ら積めば、私に売ってもらえるかね?」
「聖金貨100枚!今、私が自由になる金額!」
「イザベラ!これを私に売ってくれないかね?」
アイシャは耳を疑った。
(聖金貨・・・それは金貨100枚相当(1000万円)の国王権限発行通貨)
(本一冊にそれを100枚(10億円)支払う、だ、と?)
そう問われたイザベラは無下に申し出を一言で断る。
「そんな額、教会の写本技術があれば10年足らずで元が取れるじゃあないか」
狙いを看破されたロザリーは、一つの企みが失敗したことに凝りもせず、
「神学の限定写本でもいいね」
「ここにあるものを最大限に活用すれば、帝国の主にもなれるよ」
この二人が、冒険者などをしている意味がわからなくなったアイシャだった。




