94/246
中国古代の王朝~「周王朝 春秋時代」 覇者 その二~
遅れた上に短くなってしまいました。申し訳ありません。
しかし、メリットあるところ、必ずデメリットも存在する。覇者と名乗る以上実力を示さねばならず、特に軍事力で劣ってしまうと、諸侯に見限られ、覇者とは言えなくなってくる。斉の桓公に覇者を託されたといわれる、宋の襄公は、人柄としては大変よい主君であるが、残念ながら国力が覇者と呼ぶには足りず、楚に会盟をぶち壊されたり、戦に破れたりと覇者とは思えない状態となってしまった。そのため、覇者の権利はこの時代、宙ぶらりんとなってしまっている。
また、覇者の定義も本来は周王朝に認められなければならないものが、史書の中では存外曖昧になっている。例えば、覇者の中に「楚」の「成王」がいる場合があるが、これとて周王朝が楚の王を覇者認定するはずもない。尤も正式に周王朝が認めたとされる覇者の記録は、桓公と晋の「文公」すなわち重耳だけとされている。その他の史書の覇者の決め方は、その時代の実力者を認定しているところがある。覇者という者が「称号」により決められるというより、会盟を自力で開けたり、貢ぎ物をうけていたりといった「実力」が必要ではないかと思われる。正に覇者は力政の時代にふさわしい称号なのだろう。




