中国古代の王朝~「周王朝 春秋時代」 春秋の五覇~
春秋時代の覇者については、「春秋五覇」が良く言われる。しかし、この春秋五覇は前話で書いた斉の桓公と晋の文公以外は、確定していない。史記には他に宋の襄公、秦の穆公、楚の荘王が書かれており、明らかに周王朝が認めそうにない人が入っている。また、漢書や他の書には秦の穆公と宋の襄公、楚の荘王の替わりに、呉の闔閭や夫差と越の勾践が入る。こちらは、一地方から中央に出てきた国から選ばれたと言うところか。
覇者の条件が武力と実績だとすれば、楚の荘王は一時代を築いた人であるから、第一候補であろう。しかし、周王朝から任命されることはなかったから、称号に拘る人は違うというかもしれない。
また、春秋時代は楚対各国の構図が大きいので、楚にたいして打撃を与えた呉の闔閭が選ばれている面もあるかもしれない。
このように、春秋五覇を考えると思想や立場、実力、時代とバラバラに選ばれている。
しかし、史書毎に見ていくと、少し共通項が見えそうだ。史記はバランスをみるので、中央の時代の主役を入れたのだろう。前話で書いたとおり、宋の襄公は覇者というにはあまりに実力が足りなかった。しかし、順番で考えて、司馬遷はこの人を入れたと思われる。
他に楚の荘王を五覇にいれている物は、呉や越を入れているところを見ると、中央のみならず全ての国を視野にいれて時代を動かした人を考慮している気がする。
漢書は楚の荘王をはずし、唯一夫差を入れているところをみると、「尊皇」の意思を通したものであるようだ。
また全祖望という人は、斉の桓公以外は、晋の文公以下晋の君主のみ選んでいる。これはある意味真理かもしれない。晋は初代武侯以下、周王朝に対して尊皇の志が篤い家であった。楚と戦うことも度々であった晋は、実力でも中原の国でも随一であったのだから、この考えもありだと思う。
このように、色々な考えが出来るということは、それだけ春秋時代が群雄割拠であったということであろう。まだまだ物語として、華やかりかし頃といえるかもしれない。




