中国古代の王朝~「周王朝 春秋時代」 覇者 その一~
春秋時代の特徴は「覇者」と言われる存在にあるだろう。覇者自体は、夷敵を倒す存在だったようだが、この春秋時代では「盟主」を表す言葉となった。成り立ちといい、関係性といい、日本での「天皇」と「征夷大将軍」によく似ている。偶然の一致か、それとも意識的か。おそらくは日本側が似せたのであろうとは思う。遣唐使等を通じて、中国の文献などが入ってきた際に、似たような意味の言葉を見つけたのだとしてもおかしくはない。
時の王が討たれるという衝撃的な出来事があり、なんとか王朝を復活させたものの、その力と権威は地に堕ちた。そんななか諸侯は寄らば大樹の陰を無くしたわけで、どのようにすればよいか頭を悩ませた事だと思う。元々横の連携が強い周王朝であるから、日頃から仲の良い者達が、窮地には手を組んで事に当たろうとしたのであろう。この頃の中華の人々にとっての敵は、所謂「蛮族」と呼ばれる中華の文化圏外の人達である。彼らは慓悍で一撃離脱の略奪行為を目的としていた。こういった部族はゲリラ的な動きをするので、一諸侯では討伐が難しい。そのなかで実力や爵位が高いものがリーダーシップをとり、侵略を防いでくれたり、討伐を行う事は、下位の者達にとっては頼もしい存在に映ったのではないだろうか。
こうして各地で上位と下位の関係が作られるなか、少しずつ大きな国が表れるようになる。そのなかで最初に周王朝に認められた覇者は「斉の桓公」であった。




