中国古代の王朝~「周王朝 春秋時代」 覇を争う~
ぎりぎり間に合いましたが、大遅刻です。申し訳ありませんで
春秋時代は前話の戦争の項で書いたが、まだ領土欲より、いかに相手を屈服させるかに主眼をおいたものであった。諸侯と言われる数がまだまだ多く、一つ一つを潰していくことは骨のいる事だったに違いない。また周が出来て200年くらいはたつが、まだまだ隣の民族は異民族である。下手に領土を持っても民族が違うと統治はしにくかったであろう,。傘下において、こきつかう方が効率が良かったに違いない。領土を貪欲にとろうとする君主は、冷眼にさらされて討伐の対象になりかねなかった。
。ただし、どこでも例外は存在する。一つは春秋時代の主役たる「晋」である。この国はあろうことか、周辺の同姓「姫」の国たちを次々と併呑していった。ただし、統治は同姓の国であるだけにしやすかったかもしれない。同姓という事は民族も同じであるとされていたからである。また、次の王朝たる「秦」もまた領土拡充をしていたが、こちらは中華の西方、どちらかといえば蛮族と言われていた国々と戦っていたので、中華の人々にとっては「蛮族が蛮族と戦っている」との感覚であったろう。
そして、中華の人々最大の敵「楚」もまた、領土拡充には余念がなかった。こちらは周王朝に従う気はないとの意味を込めて「王」を名乗っていたから、侵略ではなく「征伐」のつもりであったのかもしれない。
こうして、例外ともいえる国たちが、春秋時代の主役となっていく。実力主義を唱える国々が主役となることで、春秋時代は「覇権」を争う時代となるのである。




