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中国古代史あれこれ  作者: kuroyagi
~中国古代の王朝~
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中国古代の王朝~「周王朝」のおわり 「前周のおわり その二」~

 それにしつもこの王は、何ゆえこれほどの愚行を犯したのであろうか。

 前周の末期は、暴虐が過ぎて民衆から反乱をされた王、諸侯から見放されて合議制(共和制の語源とも)をとられた王などがいて、王の権威がほぼない時代であった。その様な王の姿をみて、幽王は自分だけはほしいままに振る舞えると信じていたかったのではないか。更にどんなに傍若無人に振る舞っても、王を弑す存在がいるなどとは夢にも思わなかったに違いない。事実諸侯は無視はしても、命をとるまでには至っていない。その価値もなかったのかも知れないが…。

だが、前の后の父親たる「申侯」は違っていた。自分の娘と孫を蔑ろにした幽王に激怒し、反乱を企んだのである。おそらく申侯に取っては反乱ではなく、正義と思っていたのではないか。この時代の王妃は個人の都合で選ぶのではなく、祖霊と神に赦しを得てめとるものであるから、勝手に王妃を替えることは祖霊達を侮辱することに等しい。この場合の罰は、王個人のみならず、人民にも天罰として災害等が振りかかる可能性がある。また、烽をあげるにも、軍を動員するにも金銭がかかる。個人的な道楽のために、国庫を浪費するような支配者は討たれても仕方ないと個人的には思っているが、申侯がそう思ったとしてもおかしくはないだろう。そのような王を排除することは、決して悪ではないと思う。

 しかし、諸侯も愛想はつかしても、命をとる事には躊躇したようだ。無理もない。周王朝が始まって200年程、王の地位は神聖不可侵とまではいわないが、そう簡単に犯せるものでもなう。それに内心は、自分で火中の栗は拾いたくはないが、誰かが手を汚してくれるのを待っていたかもしれない。

 申侯は結局、「犬戎」という周をねらっていた部族を誘い、王都を襲撃した。幽王は討たれ、褒似は捕まり犬戎に連れ去られたという。ここで申侯の大義は失われてしまったと思う。諸侯が蛮族と見なしているものと手を組めば野蛮な行為と見なされ、王の権威を独り占めにするつもりかと決めつけられるだろう。事実次の王に自分の孫を着けたは良いが、諸侯に攻められて申侯はあえない最後を遂げた。

 ここに周王朝の血脈は一端途絶えた。この後後周が始まるが、この後周は王の地位のみあり、権威なぞ全く持たない一諸侯並となる。この後周はおよそ500年続く。これは中国の歴代王朝で最も長寿であるが、無視をされていたと言っても過言ではないくらい、存在が希薄となる。ちなみに後周を滅ぼすのは、次の王朝たる秦である。

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