中国古代の王朝~「周王朝」 「春秋と戦国」~
後周は大体「春秋時代」と「戦国時代」に分けることができる。春秋時代の語源は儒学の教典春秋」からきており、戦国時代は漢時代の書「戦国策」からきている。つまり、どちらもかなり後からつけられた名前である事が分かる。
「春秋」と「戦国」の大まかな分け方は、「春秋」が「楚」と「晋」と「覇者」の歴史に対して、「戦国」は晋が「魏」と「趙」と「韓」に分裂し、各国が王を名乗る時代である。
その間「周王朝」はどうなったかというと、「春秋」までは存在感はまだあった。少なくとも魏・韓・趙の所謂「三晋」を諸侯に任ずる役目までは持っていたからである。しかし、「戦国」に入り、各国が肥大化し「諸侯」が実力。持って「王」名乗ると、存在感はほぼ0となる。史書にも「周」と諸侯並の書き方をされ、王を禅譲する徳も、易姓革命を起こされる価値すら消えてしまったのである。後周は「東周」とも言われるが、その滅亡の記録も史記では一諸侯並の書き方をされてしまった。しかも滅亡させた相手は「秦」で、次代の王朝なのに易姓革命と言われない悲しさである。
王朝の名前は後の時代からつけられる。王朝は「血脈」か「徳」を失ったときに替わるといわれているが、「周王朝」は儒学にとって「聖地」のような扱いになったために、無理矢理寿命を伸ばされた気がしてならない。後世なら「戦国」くらいには、王朝が滅びたといわれているよるような気がする。




