中国古代の王朝~「周王朝」と「武器」 その八「刀剣」
古今東西剣や刀は人を魅了し、名剣や名刀は時に争いの種となった。今日本では刀剣がブームとなっているが「日本刀」は世界的に見ても珍しい武器である。人を切るという目的の物が、美術品になった例はそれほどあるまい。その日本刀の発祥もまた中国からである。といっても日本刀その物の原型は、七世紀くらいの物だから古代中国とは関係はない。しかし、刀や剣の発祥は古代中国からであり、古代から続く青銅の剣や刀もまた、独特の美しさを秘めている。
古代中国での剣と刀の違いは、大体片刃か両刃かの差である。古代中国にも名剣や名刀は存在した。様々な曰くを遺す「宝剣干将・莫耶」や、その師匠の作った刀剣を春秋時代の越王「勾践」が鑑定士に自慢した、などの逸話も残っている。実際に越王の遺跡と見られるものから剣が発掘されており、越王のみならずどの時代にも好事家という者は存在しただろうから、刀剣の魅力に取り憑かれたコレクターみたいな人が他にいてもおかしくはない。
それでも周王朝の末期まで、戦場で刀剣を実際に使う機会は極少なかったであろう。なぜなら、この頃の思想は孫子の兵法にも「兵は危道なり」と書いてあるように、戦争そのものも忌避する傾向にあったからだ。その観点から武器も「忌み物」として取り扱っていたからである。事実、主から刀剣を賜るということは、勿論褒美の意味もあるが、大体は「自裁せよ」の意味が多かった。
また、名剣や名刀は上流階級が多く持っていたであろうと思う。しかしこの時代、上流階級たる貴族は自ら戦うことを由とはしなかった。武器を手にとって戦うことは野蛮な事であったという。そうでなければ、重くなるのを承知で戦車に三人も乗ったりはしないだろう。貴族が自ら肉弾戦に入り込むと命を落とす危険性が増すからとか、返り血を浴びると呪いがかかるのを畏れたとか、理由は色々考えられるが、とにかく戦車にも効きづらく、理由もあるなか、身を守ること以外に刀剣の類いで戦うことはあまりなかったはずだ。
周王朝末以降、乗馬が始まり騎馬隊が編成されるようになると、事情が変わってくる。馬上では長柄の武器が扱い難くなり、馬という機動力も得て扱い易い刀剣の価値が格段に上がってくる。このため漢代以降には、刀剣の改良が行わらるようになる。良くも悪くも乗馬は時代を変えるものであるようだ。




