中国古代の王朝~「周王朝」と「武器」 その七「弓と弩」
前話で石について考察したが、古代中国で石といえば「投石機」であろう。しかし、これは攻城兵器であって個人には用いられないので、今回は述べない。
さて、遠距離武器にある「先端の鋭利なもの」とはなにか。まずは「矢」であろう。矢は構造上正確に射ることができれば、真っ直ぐに飛んでいくものである。裏を返せば、鍛練しなければ弓矢は真っ直ぐに中々刺さるものではない。弓矢は貴族の嗜みと戦車戦での主武器であったから、混線となる戦場での使用では、どちらかといえば個人的な技量により支えられた武器といえる。ただし、矢を上に飛ばすことができれば、鏃が刺さる方へ落ちてくるわけだから、合戦の最初で矢合戦が行われる光景は見られた方もいるであろう。また、城や砦などの防御側が高所から打つ矢も、中々の威力であったとされる。大量消費される物の代表であろう。ちなみに時代毎に弓の名人が存在して、様々なエピソードが伝わっている。春秋時代に楚の国にいた養由基という武将は、二矢を放ち両方を命中させたり、猪と間違えて岩に矢を貫通させたりといった、中々の達人っぷりが史書に遺されている。
そのような名人も存在はするが、この頃の兵士は農民を農閑期に兵士として徴用することが多く、錬度を上げるのは大変な事であった。そのためどの兵が用いても使える武器が必要となる。そのために「弩」が開発され、戦場で用いられるようになる。弩は器械仕掛けであるから、操作を覚えれば一定の戦果が得られる。熟練者の弓矢に比べれば威力は劣るものの、弩は急速に広まっていった。
その後弩は改良を加えられ、射程と威力を増していく。また、一つの弩に複数の矢を載せて発車する「連弩」も、この周時代の遺跡から見つかっている。青銅で作られた精巧な発射機能も見つかっており、古代中国の人々がどれだけ弩に対しての必要性を見いだしていたかがよくわかる。ちなみに連弩は諸葛弩とも呼ばれる。三國志演技で諸葛孔明が使っているのは、発明ではなく改良したものらしい。それでも、連弩を使いやすくした功績により諸葛弩と呼ばれるようになったようだ。




