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中国古代史あれこれ  作者: kuroyagi
~中国古代の王朝~
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中国古代の王朝~「周王朝」と「武器」 その一「馬」

 古代中国でも、ファンタジー世界と同じく馬が移動手段や戦争の主役である。ただし、現代でもファンタジーでも馬を持つことは高価である。古代中国とて例外ではない。勢い馬を所有するのは貴族か国家が多かった。

 古代中国では周時代の末期、戦国時代の終盤くらいまで直に馬に乗るという事は極めて少ない事例であった。直に馬に乗るのは匈奴のような蛮族のすることであり、中華の貴人がすることではないと思われていたからである。まあ、前周時代は鞍もなく、馬の生産地も限られていたので「乗らない」のではなく「乗れない」だった可能性があるが。

 ちなみに史書に載っている、始めて「騎馬」をして「騎馬隊」を作った貴族は、戦国時代の七雄の一つ、趙の「武霊王」である。匈奴の「三胡」と言われる部族のうち、二胡を制した武霊王は騎馬の重要性を感じ取って、自らズボンとブーツを用いた「胡服」と呼ばれる匈奴の装を着用し、馬の上から弓を射る「騎射」を行った。そして配下にもそれを強要して、騎馬隊を作り上げたのである。この行為は、かなりのインパクトを諸侯に与えた事であろう。なにしろ中華の支配者が匈奴と同化したのだから。これ以降騎馬は当然の如く行われ、騎馬隊が各国に作られるようになる。つまりそれまでは、馬上での一騎討ちなどは行われていないのである。

 しかし、それまでは馬に直に乗らないので、使用するものは馬車しかない。古代中国でも馬車は重要な存在だった。馬車にも色々種類があるが、その中でもよく使われたのは貴族の乗る「天井」と「壁」のついた馬車と、戦場で使われる「戦車」であったろう。

 貴族の乗る馬車は四輪で、基本的にスピードを出すことを優先しない。快適さを重視し、乗り心地も考えて敷物や椅子などはできる限り良いものにしたと思われる。しかも馬車が重くなることから馬も複数頭になったので、やはり貴族しか持てない代物だったはずだ。今でいうならオーダーメイドの一品である。

 それに比べて、戦車は西洋でいう所の「チャリオット」と呼ばれる二輪タイプのもので、人は立って乗るものだった。戦争時には貴族も自らこの戦車に乗り込んで、戦闘指揮を行った。戦車には、真ん中に馭者、進行方向右側に「車右」、左側に指揮官(貴族)となっており、主に「車右」が近接戦を担当し、指揮官は弓を使った。前にも書いた貴族が弓を使う理由はここにもあった。

 戦車は今でいうなら、リアカーを半分くらいにして人が持つ部分に馬を繋ぐ形であろうか。当然サスペンションの類いもなく、左右に捕まるための棒はあるものの、不安定極まりない作りであった。特に馭者は、真ん中で立って操縦するわけで、捕まるものは手綱のみという曲芸師並みの技量を求められるものである。馭者は文字通り戦車に乗るものの命運を握っているわけで、卓抜した技量の持ち主は貴族の当主や君主の馭者となり、側近の地位に抜擢されることもあった。この時代の馭者は、けっして身分の低いものではないのである。

 また貴族や士といった者も、戦車に乗ることは体力やバランスといったものを要求されるのである。後年の貴族のイメージにある「大人」のような人物もいたであろうが、貴族たちもいつでも戦場に望めるよう、鍛練していたに違いない。

 

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