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中国古代史あれこれ  作者: kuroyagi
~中国古代の王朝~
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中国古代の王朝~「周王朝」と「身分」 その一~

中国の歴代王朝の身分制も、緩やかな物は周から始まったといって良いと思う。「司馬」や「司空」といった役職名は漢帝国でも使われているし、身分階級はこれ以降も存在した。ただし、漢帝国以降はこれに秦の制度を混ぜた物がある。周は横の連携は緩かったが、縦の関係はそれなりに縛りがあった。

 周の身分制は大まかに、周王朝の王、諸侯、貴族(卿や大夫)、士、庶民、奴隷である。王がいて諸侯に爵位を設けているので、貴族階級には爵位等の優劣はないが、国政に携わる上位の貴族を「卿」と呼び、その他の貴族を「大夫」と呼んだ。君主との関係性、創設者の功績、歴史の深さ等できまり、時代により浮沈が存在した。前に書いた崔杼がよい例であろうか。後周時代になり、諸侯が王を名乗るようになると、貴族の中でも有力な者は「禳侯」や「孟嘗君」といった「領地の名+侯や君」の通称を王の許可を得て名乗るようになる。

 学習でいえぱ、当然上の階級ほど学問をおこなった。読み書きは当然として、歴史や簡単な占い、そして詩である。当時の貴族同士では、この詩で会話をすることもあり、詩を知らない物は物笑いの種となった。なろう小説ででてくる、貴族語のような物であろうか。また、貴族が近接戦を行うのははしたない、との考えから専ら弓を習ったとされる。弓には邪を祓うという意味もあったので、戦場にて穢れを祓う側面もあったかもしれない。

 周王朝の貴族は大体領土を持ち、私兵を抱えていた。その代わりに戦争となれば、私兵を持って国軍を形成するので、貴族の身分の上下はこの兵の多さも関係する。貴族は指揮官も兼ねており後方で安穏としてはおられず、当主以下戦車に乗り込み戦場に赴いた。戦車では弓を使い戦闘に参加した。なお、この時代の貴族は余裕があれば、降伏を促すか、捕らえるかして人質にすることが普通である。敗勢濃厚であれば降服は恥ではなかった。また、国は違えど貴族間には繋がりもあるし、身代金をせしめることは当たり前の行為であった。なので、戦場にでて負けたとしても、貴族であれば命を失うとは限らなかった。

 古今東西、貴族には法律が適用されないことが多い。周王朝も例外でなかった。このため戦の責任をとるには自裁が主であった。自裁が無ければ、誰の責任かが曖昧になりがちで、前周時代は占いも絡んでくるので勝敗は時の運になりがちだった。こうなると貴族が個人プレイに走り、君主や総司令官の立案した物が台無しになる可能性がでてくる。実際それが原因で負けた戦もあるほどである。

~続く~

 


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