中国古代の王朝~「周王朝」と「礼儀」 その一~
ブックマーク、評価ありがとうございます。
周王朝において一番の発明は「礼儀」の概念かもしれない。今現在も我々に関わる「礼儀」という言葉は、おそらく周王朝時代から生まれた。本来は「礼」といわれるこの言葉は、周公旦から始まったとされ、孔子により一旦完成をみた。この「礼」には人の生き方から場面に応じた服装まで色々と取り揃えてある。
そもそも古代中国には、体系化しなくて「礼」の原型は存在した。死者の弔いかた、婚姻の儀式、王の継承等様々な儀式があったためである。しかし、部族は違えど暮らす地域が一緒であれば、儀式等は慣習として受け継がれたであろう。また、商王朝は前述した通り「神」との対話を重視しており、異民族は積極的に取り込もうとはしなかったようだから、人と人との間についてはあまり関心がなかったかもしれない。紂王が商王朝を無事に治めていれば、このような概念も必要になったかもしれないが…。
それに対して、周王朝は多数の部族を従える立場になった訳だが、これも前に書いたように様々な理由で横の連携が必要となった。この時、部族間で言葉が通じない問題が出てきたのではなかろうか。また、現代でも「所変われば品変わる」とあるように、部族には独特の風習があるのは当然で、これらのギャップも無視できない問題点となったであろう。
これらの問題を解決するために、まずは分かりやすいものから導入していったに違いない。ファンタジーや現代の国でもそうだが、識字率は問題である。文字はまだまだ政権中央の物だったろうから、そこから始めるのは時間がかかったであろう。そうなると、まずはポーズやジェスチャー、服装から始めることが、立場や儀式を理解するのに分かりやすい指標だったのではなかろうか。異文化交流とはいつの世も大変だったと思われる。
ブックマーク、評価、感想いただけますと励みになります。よろしくお願いいたします。




