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中国古代史あれこれ  作者: kuroyagi
~中国古代の王朝~
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中国古代の王朝~「周王朝」と「南方の国々」 その三「呉」~

日本人のルーツについては諸説あり、ここで述べるのは烏滸がましいが、遺伝子上日本より西から来たことは間違いないだろう。縄文人や弥生人など違いはあるが、文化や風習は中国南方の人たちと共通点が多い。魚食をしたり、貝や魚を海に潜って採ったり、刺青をしたりと、所謂中華思想の人たちからは野蛮と謂われる文化である。特にその中でも「呉」という国は、日本人に馴染みがある。中国の人たちからは倭人は「呉の末裔」とされていたようだし、江戸時代にはその説を信じた人たちもいた。また、呉の人たちは特に海産物を好んだようだ。また、三國志の「呉」はここから国名をとっている。そして偶然ではあるが、日本古来の漢字の読み方は「呉音」と呼ぶのである。

古代中国の南方の国の中で「呉」は少々特殊な成り立ちである。周の基礎を作ったとされる君主「季歴」は「季」の文字がある通り末の弟であったようで、彼が後を継ぐと国が発展するとの予言があった。兄のうち「太白」と「虞仲」がそれを察して国を出て、呉の地に至ったときに、部族の長に気に入られて後を継いだという伝説である。何だかどこかで聞いたことのある物語ではあるが、中華思想では「謙譲は美徳」なので致し方ない事だろう。今大陸住んでいる人々はどうなんだ、とか、今の日本人がグローバリズムに乗れないのはこれのせいだろう、とか色々言いたい事はあるが、ここでは関係ない。大事な事はこの呉の国は、南方には珍しい「姫」姓の国であるという事であろう。

そもそもこの伝説がどのくらい信憑性があるかは別にして、周王朝にとって南方の国に血縁の国があるとした方が色々と都合がよい。周王朝は前にも書いた通り横の紐帯を強くしようとしていたが、おそらく積極的に紐帯を強めようとしただろう。それに、事情のよく分からない場所に血縁を作っておけば、周辺の監視役としても機能する可能性が高い,。特に、楚が強大化する過程においては、ライバルとしてかなりの重要度を帯びたはずである。事実後周に入ってからではあるが、呉と楚は抗争を繰り広げるのである。少々皮肉な結果ではあるが。


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