中国古代の王朝~「周王朝」と「南方の国々」 その二~
前話にて周王朝が楚に敗北した事は書いたが、これを楚側から見たらどうなるだろうか。そもそも何故楚が討伐の対象になったのか?詳しくは史書にも書かれていないが、服従していない相手ならいざ知らず、爵位を与えている相手をわざわざ討伐するからには、それなりに理由がいるはずだ。楚が驚異になる何かがあったか、周王朝の言うことを聞かなかったか。例えば、楚が大きくなっていくのを憂慮した王の側近たちが「楚の奴ら、最近調子にのって生意気ですぜ。いっちよ、ここらで〆やせんか。」と言ったり、楚の討伐前に服従しない部族を〆ていた王が調子にのって「お前らの上がり、こっちにも寄越さんかい!」とでも恫喝したのか。(口調はイメージです)まだ周王朝の威光は衰えておらず、どちらにしても楚にとっては存亡の危機となったはずだ。しかし、楚は勝利した。しかも周側は王を失うという大戦果のおまけつきである。何故これまでの大逆転ができたのであろうか?
これ以降もそうなのであるが、南方の民は熱しやすく醒めやすい性格である。戦の仕方も性格そのもので、勝っている時は破竹の勢いとなるが、負け始めるととたんに弱腰となる。この戦も緒戦が鍵であったと思う。防衛戦とはいえ、楚の民は引きこもるのは苦手であったろうから、おそらく乾坤一擲の奇襲をしかけたのではないか。対して周側は、楚をかなりなめきっていたはずだ。兵力の差もあったろうし、政権側には正義の師という大義名分もある。そしてこの頃の戦は祖霊との戦いでもあるから、あまり奇襲という物に備えがない。そこに命懸けの、しかも慓悍な兵が奇襲をしかけたらどうなるか?おそらく、周側は大混乱をきたしたはずだ。天子の軍は諸侯の連合軍でもあったのだが、その事が混乱に拍車をかけて、更に悪い方向へ向かったはすだ。この混乱に乗じて、王の近くまで楚軍は肉薄したことだろう。王を直接討ち取ったかまでは定かでないが、王を失い、指揮系統が喪失した周軍が逃げ帰るまで追い詰めた事は確かである。
楚にとってこの勝利は大きかった。南方の民は権威より実力を尊ぶはずなので、大軍を破ったことはこれからの楚の拡充に大いに貢献したことだろう。おそらく楚に臣従を願い出る部族も多数出たはずだ。歴史上、征服した国より臣従を求めた国の方が有能な人材を確保しやすい。前周の間、楚は有能な人材の助けもあり、拡大の一途を辿ることとなる。




