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中国古代の王朝~「周王朝」と「南方の国々」 その一~
申し訳ありません。今回の投稿は短いです。休日はやはりむずかしい…
周王朝が商王朝を打倒した頃は、所謂中原といわれる版図は、黄河の周辺が主である。今の中国のおよそ半分と思えば良いかと思われる。しかし、周王朝が発足してしばらくしてから、南方の部族たちも周王朝に接近するようになってきた。後の国でいう、「楚」、「呉」、「越」である。
この内、「楚」は最も巨大で長寿である。ある意味、周王朝の終世のライバルとなるこの国は、おそらくは南方の一部族であったであろうが、周王朝に接近した訳は詳しく記されていない。ただ、異民族狩りをしていた商王朝より、寛容で発足したばかりの周王朝の方が厚遇してくれる事は確かな事であろう。そういった先見の明がある指導者が、部族の発展を賭けて、時の政権に近づいたのではないか。
その当時から、南方の部族は「蛮族」扱いであったが、それでも周王朝から「子爵」の称号を給っているという事は、それなりに王室と昵懇できたのであろう。南方のまつろわぬ部族にどれだけその称号が効いたかは定かでないが、一定の後ろ楯を得て、更にライバルとなるべき存在もいないのだから、土地は切り取り放題だったのではないだろうか。特に中原の武器と文化は大きなちからとなったであろうと思う。




