閑話~三國志と古代中国史 その九~
この頃の中華の状況を観てみれば、ケイ州は劉表が安定した支配を行っていた。劉表は派手な活躍をするでもなく、カリスマ性も表立っては見えなかったが、この戦乱の時代のなかで安定した政治を保てている時点で凡庸な人物ではないといえよう。そのためケイ州を攻めとることは極めて困難といえた。また中原から北、周の時代で言えば三晋から燕くらいまでを、曹操と袁紹が争っていた。三國志のもう1人の雄たる劉備は、まだまだ誰かに支えてもらう立場である。劉備は最後までそんな感じだったかもしれないが。
こんな状況の中で孫策はどう動こうとしたか。それには袁術の思惑が絡んでくる。袁術は本来なら袁紹と曹操の争いでどっちつかずの立場をとって、漁夫の利を狙える立場であった。しかし、袁術は袁紹が嫌いであり、同じ天下を狙う身として、袁紹に勝たれすぎるのは大変にまずいと考えていた。そのため袁術は両雄の争いには過度に干渉するのはやめて、静観の立場をとることとなる。それにその当時の人々は、袁紹が有利と観る向きが多かった。袁術としては曹操に対して、<袁紹に爪痕を残せるよう精々がんばってくれ、但し負け戦に加勢はしないがな>という、上から目線の心情だったのではないか。
しかし、西と北が塞がれた状態でどこに勢力を伸長させるべきか、そうすると目を向ける方角は東か南となるわけだが、東南方向にとてもお誂えむきな相手がいた。揚州を治める劉繇である。そしてその土地は、周時代には「呉」と「越」と呼ばれし地であった。
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