中国古代の王朝~「周王朝 春秋時代」 宰相 倒行逆施 その三十二~
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勾践と范蠡が行った策とはなにか。それは、死罪となった人間を敵陣で自害させるものであった。かなり非人道的にみえる策ではあるが、この時代の死罪は、親の罪が子に及ぶ時代でもあり、後々家族も巻き添えになることが多かった。第一、人口イコール国力と言っていい時代に死罪を申し渡されるということは、貴族の不興を買ったか、軍でかなりの失態を起こしたか、重犯罪かである。どの理由にしても残された家族は、不名誉を背負うこととなる。勾践と范蠡はそうした残された家族に対して、手厚い保護をする事を、死罪になったもの達に約束したのだ。こうなると、同じ死ぬことでも価値が全く変わる。死刑囚たちは喜んで戦場へと赴いた。そして、呉軍に対して面前で自決するという一種の喜劇ともいえる行動に出たのだ。
対する呉軍はこの行動を見たとき、どのような思いであったろうか。一度目は、まず面食らった事であろう。戦う心構えであったものが、相手が勝手に倒れたのである。そして二回目は、自分達の罪を告白しながら死んでいく兵士を見て、驚愕したのではないだろうか。そしてそれが数度繰り返されると、今度は慣れが出てしまった。戦う前に必ず死ぬ相手を見続けるうちに、それがパターン化されてしまうと、人間の心理は「次も勝手に死ぬだろう」と思ってしまうものである。その時、始めて越の軍は自決せずそのまま呉軍に突撃してきた。呉軍は流石に泡を食ってしまった。そして、そのままなし崩しに戦が始まってしまったのである。混乱の極みにあった呉軍は、南方の兵士の弱点である「劣勢にたつと逃げ腰になる」悪癖も手伝って、反撃できずにいた。そこに越の軍から闔閭へ矢が放たれる。その矢は闔閭の足の甲にあたったという。足の甲では致命傷にはならないが、戦全体では劣勢であった呉軍は一度後退することとなった。
この間孫武は何をしていたのであろうか。思うに孫武や孫子の兵法は王道を旨とする。策略も使うことは使うが、どちらかといえば機知よりも準備を重んずるのである。伍子胥も孫武を推挙するほどなのだから、そういった思想に近いといえる。この時も途中で策に気づいたとは思うが、その時はもう遅かった。そういった意味では、范蠡は呉にとって天敵といえる存在であろう。こういったライバル関係を用意するとは、天はいかにいたずら好きか。これから呉は、いかに范蠡を好き勝手にさせないかが主題となってくる。
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