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中国古代の王朝~「周王朝 春秋時代」 宰相 倒行逆施 その三十二~
負傷した闔閭は、傷の場所が人体の主要部分ではなく、軽傷であったにも関わらず容態が悪化していく。恐らくは破傷風になったと思われるが、闔閭ももう老荘といってよい年齢となっていた。闔閭にとって最後の戦いとなるであろう越攻略に失敗したことは、老荘の身にかなりのダメージを与えたのであろう。気落ちから、病となることはよくある話である。呉は次代を見据えた跡継ぎについて、郡臣の思惑が交差することとなる。
その時、伍子胥はどう行動したか。闔閭の長男は若死にをしており、その後嗣もいなかった。そのため、闔閭の跡を継ぐ人間はまだ定められてなかった。その中、伍子胥に次男たる夫差が接近する。順番からいっても長男亡き後次男が後嗣となることは当然である。しかし、夫差はまだ世嗣ぎとなれていなかった。春秋左氏伝によれば、闔閭は夫差を全く評価していなかった、と書かれている。たしかに、闔閭がここまで世嗣ぎを決めないことは、奇異に感じる。思うに闔閭は後継者を伍子胥に支えてもらいたかったのかもしれない。
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