第六章 PB-27 日本の標準装備編
第六章 PB-27 日本の標準装備編
二〇二二年。
PB-22の発表は、業界に大きな衝撃を与えた。腰だけではない。肩も。膝も。身体全体を支える。それまでのアシストスーツが「一点補助」だったとすれば、PB-22は、初めて「作業動作全体」を支援した製品だった。
しかし、青山修司は、発表会の壇上で拍手を受けながら、別の事を考えていた。
完成した。そう言われるたびに、違和感を覚える。PB-02が完成と言われた。PB-07もそうだった。PB-12も。PB-17も。そして、PB-22も。
だが、現実には違った。完成ではなく、普及しただけだ。技術は常に、未完成だった。
ステージ裏で、遠山が、ペットボトルのお茶を差し出した。
「浮かない顔だな。拍手、あんなにもらって」
「完成したって、みんな言う」
「今回は、本当に、すごいと思うがな」
「完成じゃない。普及しただけだ」
青山は、お茶を受け取った。
「先週、現場に言われた。これを着ているのに、もう着ていることを忘れている、って」
「良い評価じゃないか」
「良い。だが、忘れられる道具は、まだ、どこかで誰かに負担をかけている。そういうもんだ」
遠山は、苦笑した。
「はいはい。現場そのもの、だっけな」
* * *
発表会の翌日。アシストダイナミクス本社の会議室に、北松建機、久保本農機、東洋重工、石橋フォレストテック、椰麻アグリシステムズ、照森メディカルの担当者たちが集まっていた。東洋重工と椰麻アグリシステムズは、PB-22の発売を機に、新たに提携した会社だ。
議題は、ひとつだけだった。
「PB-22が、足りません」
遠山が、吹き出した。昨日発表したばかりである。だが、OEM各社は、真剣だった。
「建設業は、人が足りません」
北松建機の担当者が言うと、久保本農機の担当者が、首を振った。
「農業は、もっと深刻です。平均年齢が、六十五歳を超えている」
「林業は、五十代が若手です」
石橋フォレストテックの担当者は、苦笑いした。
「「足りない」は、うちの業界の挨拶のようなものです」
誰も、冗談を言っているわけではなかった。
二〇二〇年代の日本。少子高齢化は、加速している。働ける人が減る。職人も減る。農家も減る。介護士も不足する。その一方で、身体を使う仕事は、無くならない。木は切らなければならない。作物も作らなければならない。道路も直さなければならない。その現実が、PBシリーズの需要を、さらに押し上げていた。
青山は、黙って聞いていた。やがて、静かに口を開いた。
「現場が足りないのは、人だけじゃない。道具が、届いていない。そのマイナスを、こちらで埋める」
「ですが、生産の余力が」
北松建機の担当者が言いかけると、遠山が、手を上げた。
「海外に工場を作って、一気に増やすという道もある。前に、実際に、話もあった」
会議室が、ざわついた。
「だが、断った。うちは、国内でやる。だから、皆さんの力を、もう一度、貸してほしい」
遠山は、資料を一枚、机の真ん中へ置いた。共通部品を作る提携工場を、それぞれに増設し、川崎に第二組立工場を建てる。東洋重工と椰麻アグリシステムズの工場も、共通部品の生産拠点に加わってもらう。
「国内の工場を、全部つなぐ。それが、うちのやり方だ」
東洋重工の担当者が、不意に笑った。
「面白い会社だな。最初に図面を見せられた時、こんな地味なものが売れるのかと思った」
「その地味さが、強みです」
青山が、真顔で答えた。
* * *
二〇二四年、累計販売台数、百万台を突破。二〇二六年、二百万台。月産は、八万台を超えた。
創業時。百台売れれば成功だと思っていた機械が、今や、日本中へ広がっていた。
* * *
ある日、青山は、石川県の山間部を訪れていた。
古い木工所だった。七十歳近い職人が、PB-22を装着している。作業台には、太いケヤキ材。以前なら、二人で動かしていた材料だ。
職人は、ゆっくりと持ち上げる。危なげなく運ぶ。そして、当たり前のように、加工台へ置いた。
「……どうですか、それ」
青山が、思わず聞く。職人は、不思議そうに首を傾げた。
「どうということもない。着ていることを、忘れとる。腰が痛くない。それだけで、あと十年は、この仕事ができる」
青山は、何も言えなかった。職人は、PBを見ない。意識していない。ただ、仕事道具として使っている。ロボットではない。未来技術でもない。工具箱の金槌や鉉と同じ存在になっている。それこそが、目標だった。
* * *
その帰り、青山は、金沢の実家へ寄った。
小さな鉄工所は、今も、同じ場所にあった。旋盤の前に立つ父は、八十を過ぎて、ことさら小さく見えた。
「……来たか」
「うん」
父は、作業場の壁を、顔で示した。そこに、古びた装具が、大事そうに掛けられていた。とっくに販売を終えた、PB-02だった。
「発売の年に、お前が送ってきたやつだ。一度も、壊れとらん」
「……そうか」
「壊れんものを作れと言ったな。二十年以上前に」
父は、旋盤のハンドルを抜けた手で、古い装具を、そっと叩いた。金属を叩く、乾いた音がした。
「あの時は、あんなもんに飯は食えんと思った。だが、お前は作った。壊れん道具を」
青山は、返事ができなかった。父は、それ以上、何も言わなかった。ただ、旋盤の輪を回し、金属を削り始めた。その背中が、少しだけ、誇らしそうだった。
* * *
帰路の車中。遠山が、資料を眺めていた。最新の市場調査だ。
日本国内のアシストスーツ市場。HAL系は、医療・リハビリ。空気圧系は、介護・物流。PB系は、建設・農業・林業・工芸・製造。市場は、完全に拡大していた。もはや、一つの会社ではない。産業そのものになっている。
遠山は、資料を閉じた。
「不思議なもんだな」
「何がだ」
青山が聞く。
「昔は、アシストスーツなんて言っても、誰も知らなかった。今は、ホームセンターに並んでる」
村上が、笑った。
「安全靴売り場の、隣にな」
本当に、そうだった。大手ホームセンター。作業用品専門店。農業資材店。PB系OEM製品は、どこでも売られていた。現場力。楽腰。森人。ケアサポーター。
「人々は、PBという名前を知らない。でも、皆使ってる」
青山が、窓の外を眺めながら、ぽつりと言った。
「それでいい」
* * *
二〇二五年、アシストダイナミクス技術研究所。
青山は、試作品を見ていた。新型ではなかった。むしろ、簡素化だった。部品点数の削減。軽量化。整備性の向上。量産性の向上。そして、価格の低下。
若手技術者の藤井が、首を傾げた。
「あの、どうして新機能を付けないんですか。他社は、センサーやAIを載せて、どんどん高機能化しています」
青山は、少し考えてから、答えた。
「必要だから作るんだ。作れるからじゃない」
「……でも、機能が多いほうが、売れるのでは」
「売れるかもしれん。だが、壊れる。壊れれば、現場で止まる。止まれば、誰かが、無理をする」
若手は、黙った。青山は、試作品を一つずつ手に取りながら、続けた。
「人間を、機械に合わせるな。機械を、人間に合わせろ。これは、俺たちが、卒論の頃から、変えていない」
若手は、試作品を見つめた。それは、磨かれた道具のように、無駄がなかった。
その思想の先に生まれたのが、PB-27だった。
* * *
二〇二七年、春。アシストダイナミクス、創業二十八周年の記念発表会。
壇上に置かれたPB-27は、もはや、初代PB-02とは別物だった。
• 重量:2.5kg
• 主構造:CFRP一体成形
• 補助機構:多軸差動リンク、カーボンスプリング、高耐久ゴムテンション機構、磁気ラッチ
• 電源不要、モーター・CPU無し、使用時間無制限
• 身体負荷軽減率:最大80%
だが、会場の反応は、静かだった。驚きではない。納得だった。ここへ来ることを、誰もが予想していた。
前列の席に、車椅子に座る一人の老人がいた。八十を過ぎた、榊原正敏だった。東工大の名誉教授となった今も、この日だけは、迎えの車で駆けつけた。
その隣で、介護福祉士の佐伯が、微笑んでいた。あの、腕のロックを求めた女性だ。
会場の後方では、国土交通省を始めとする行政の関係者たちが、静かに資料を見ていた。評価の物差しは、今も、同じだった。超人的な力ではない。作業の安全性の向上。腰痛などによる労災の予防。高齢者や女性が、長く働き続けられること。二十年分の統計が、その結果を、静かに物語っていた。
やがて、スクリーンに、ビデオメッセージが映し出された。山根重雄だった。八十を超え、もう式典にも来られなかった。年老いた山根が、画面の中で、笑った。
「最初のPBを、覚えてる」
会場から、笑いが起こる。
「あれは、重かった」
さらに、笑いが広がる。だが、山根は、続けた。
「でも、あれで良かった。職人の腰を守ろうって気持ちが、詰まってた」
画面の中で、ゆっくり頷く。
「今の若い連中は、知らんだろう。昔の職人は、五十で腰を壊してた。今は、七十でも働いてる。立派なもんだ」
映像が終わる。誰も、すぐには拍手できなかった。
青山は、壇上から、会場を見渡した。建設会社。農業法人。林業組合。介護事業者。町工場。伝統工芸職人。様々な人間がいる。そして、そのほとんどが、何らかのPB系製品を使っている。
研究室の卒論から始まった物語は、いつの間にか、日本の働き方そのものを変えていた。
* * *
発表会の後。青山は、車椅子の榊原のもとへ歩み寄った。
「……教授。お元気でしたか」
「腹は空いているが、元気だ」
榊原は、笑った。あの頃と、同じ笑い方だった。
「良い会社になったな」
「教授のおかげです」
「私は、作ってみろ、と言っただけだ」
榊原は、スクリーンの跡を眺めて、続けた。
「ロボットを作りたい学生は、山ほどいた。だが、道具を作りたいと言ったのは、お前たち三人だけだった」
青山は、深く、頭を下げた。
* * *
その夜。創業メンバー三人は、久しぶりに、屋上へ上がった。
かつて、川崎の雑居ビルで見上げた空。今は、本社ビルの屋上だ。
遠山が、笑った。
「結局、お前の夢は叶ったな」
青山が、首を傾げる。
「何の話だ」
「安全靴みたいにするって話」
村上も、思い出したように笑った。
「十五年前だ。PB-12の発表の日。お前は、『全員に着せる』って言った」
「あんなの、冗談に聞こえてたんだがな」
遠山が、言った。
「冗談じゃなかった。お前だけが、本気だった」
三人は、しばらく黙って、夜景を眺めた。遠くを走る首都高速のライトが、川のように流れている。その光の下で、今日も、誰かが腰を落とし、荷を持ち上げている。その腰の後ろで、名前も知られないばねとリンクが、静かに働いている。
やがて、遠山が、いつもの質問を口にした。
「次は?」
青山は、少し考えた。そして、初めて、こう答えた。
「分からん」
二人は、驚いた。青山は、笑った。
「でもまあ、現場が決めるだろ」
遠くに広がる街の灯を見ながら、青山は続けた。
「俺たちは、それに、応えるだけだ」
それこそが、PBシリーズが生まれた理由だった。研究者ではない。会社でもない。働く人々が、必要としたから生まれた。そして、これからも。
その歴史は、続いていく。
完




