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他人の過去の一部が視えてしまう私なのに、なぜか侯爵子息の記憶は何も見えませんでした。  作者: 有梨束


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中編

「…すみませんっ、盗み聞きなんてはしたないことをっ…!」

私は、それはもう全力で頭を下げた。


「いや、こちらの不注意でもあるし」

「そうよ、こちらこそごめんなさいね」


なんとも気まずい空気のまま、あのまま帰るわけにもいかずに、私はまた客間に通されていた。


お父様がいないだけでメンツはさっきと同じく、私と私の真向かいにユリード様、その隣に侯爵夫人が座っている。


こんな未来が待っていたのだから、お父様が帰ったのは正解だったかもしれない。



「えっと、何も聞かなかったことにしますので。私も商売人の端くれです、お客様の情報は漏らしたりしません」


とは言ったものの、これ、どうしようかしらね。

時代が時代だったら、「このまま帰すわけにはいかない!」とかなんとか殺されるのかしら。


まさか、侯爵家の秘密を知ってしまうことになるとは。



「ええ、そうしてくれると助かるわ」

侯爵夫人が先ほどまでとは違って、弱そうに笑っていて、心臓のあたりがグッとなった。


「必要でしたら、書面に残しますが」

「そこまでしてもらわなくて構わないよ。ただ…」

ユリード様はそこまで言うと、夜会で見た時とは違って曖昧に笑った。


「よかったら、話を聞いてくれないかな」

「お話、ですか…?」

「ああ、僕が記憶喪失だという話を」


意味がわからなくて首を傾げると、ユリード様は乾いた笑い声を漏らして、頭を掻いた。


「いや、家の中でも知っている人間は数少ないんだ。もちろん、それ以外の人間にも話していない。だから、いつもどこか苦しくてね、もどかしいんだ」

「それは、なんとなく想像つきますが…」


そりゃあそうだろう、これだけのお家のご子息のそんな話、どこにも出せやしない。

記憶喪失だなんて、格好の餌になりそうだ。


まるで何もなかったかのように、隠してきたのだろう。


私だって、他人の過去の一部を見てしまうことは、誰にも話していない。

この能力のことを知っているのだって、もう亡くなったお祖母様だけだ。


家族だって、知らない──。



「サリーさん、私からもお願いできるかしら」

「奥様…?」

「もうね、家族だけで抱えているのは、疲れてしまったのよ」

そう言って、切なそうに微笑まれたら、なんとも言い難い気持ちがしてくる。


「ですが、今日はじめてお会いした私で、よろしいのですか?」

「はじめてではないよ、この前の夜会で会っている」


ユリード様の凛とした声が、私の背筋を伸ばしてくるようだった。


ビリビリとした緊張に似た何かが走った。


「君が転びそうになった時に、会っているよ」

「覚えておいでだったのですか…?」

びっくりして聞き返すと、ユリード様は可笑しそうに頷いた。


「ああ、あんなに印象的だったのだから、覚えているよ。僕にも殿下に近づかずにさっさと去っていくご令嬢は珍しい」

「いや、どう考えても場違いでしたよ…」

「目がギラギラしていないご令嬢も、新鮮だった」

「はあ、すみません。取引相手しか探していなかったもので」

「サリー嬢は、面白い人なんだな」

ユリード様は目を細めて、紅茶を一口飲んだ。


所作が優雅で、そこだけお芝居のワンシーンみたいだ。


「それに庭をまわっている間だって、何一つ僕のことを聞かなかった」

「だって、身分が違いすぎます」

「だとしても、あれこれ質問して、僕を狙っている令嬢に情報を横流しするくらいできそうなものなのだ」

「そんな無粋な…」

「いい商売になりそうじゃないかい?」

「そんな怖い商売したくありませんよ。逆にご令嬢方に目をつけられて生きた心地がしませんよ、きっと」

「そういうところだよ」

「どこでしょう…?」

「君の言動は信用に値すると感じた、という話だ」


それは、大変ありがたいが、本当にいいのだろうか…?



「僕は記憶をなくして以降、僕という人間がわからないまま生きているからか、他人のこともまっさらとした気持ちで見られるんだ」


ユリード様は、侯爵子息に相応しい不適な笑みを見せた。


これが本来のユリード様なのかもしれない。


有無を言わせない圧が、居心地のよさを塗り替えて、真剣な取引の現場のようになっていく。


商売人の娘だ、こういう空気は嫌いじゃない。



「だから、君に悪意もなければ、詮索する気もないというのがわかるよ」


そこまで言い切られると、悪い気もしない。


「君になら話してみたいと思ってしまったんだ」

「それに接客だって押し付けがましくなく、さりげなくて、あなたのこといいなと思ったもの」

夫人の援護射撃まで加わっては、私個人が褒められたということにして、大人しく言うことを聞こう。


こちとら下位貴族だ、上位貴族に逆らうなんて恐ろしいことはしないのである。


「私でよろしいのでしたら」

覚悟が決まって頷くと、ユリード様も奥様も力が抜けたように笑った。




「僕は、以前留学していたことになっているのだが」

「はい、友人から聞いたことがあります」

私が頷くと、ユリード様も静かに頷いた。


それにしても、侯爵家の紅茶は美味しいわ。

どこから取り寄せているのか知りたくなってしまう。


こんな時でも頭の片隅では商売のことが過り、この状況に半分現実逃避していた。



「今から3年前に留学したということになっているが、その時期に落馬して頭を強く打ってね。ずっと意識がないままだったんだ」

「えっ」

「建前として、留学したということになっていたんだ」

「それは、大変でしたね」

「それで目が覚めたのが今から2年前で、起きたら何も覚えていなくて」

「まあ」

「で、1年半かけて貴族教育を施し直してもらって、ようやく半年前からまた社交の場に出るようになったというわけだ」

ユリード様は笑っていたけれど、その笑顔は寂しげに見えた。



今、なんかさらっとすごいこと言ってなかった?


話を聞く限り、まだ記憶は戻っていないんだよね?

それって、今も自分が誰かわからないまま、ユリード様自身を演じているってこと…?


何その凄技、侯爵家の人間ってそこまでできないといけないのね…。


どんな気持ちで、『自分』でいるのだろうか。



「そ、れは、例えば、過去のことも覚えていらっしゃらないのですか?」


普段なら訊かないであろうことを質問した。


彼の何もない過去を覗き見してしまった以上、訊かなければいけない気がした。



「ああ、何も覚えていない。自分が誰かもわからないままだ」



それは、あの真っ黒な映像と関係がありそうな…。


本人が何も知らなければ、私も見ることができないということなのだろう。

そんなこと、今まで一度もなかったけれど。



……記憶がないから、真っ黒だったんだ。



しっくりくる答えが、もらえてしまったな。


何かお手伝いできることがあったらよかったのだけれど、何も見えないのでは、私の能力は使い道がない。



「それで、今はいろんな匂いを嗅いでいるというわけだ」

「匂いが記憶喪失と、何か関係あるのですか?」

「お医者様が言うには、香りと記憶は結びついているから、何か手掛かりになる可能性もあると言われているの」

「なるほど」


それで香水だったわけか。

うちで扱っている商品全部を見せて欲しいなんて、侯爵家は違うわね〜なんて思っていたのは違ったらしい。


あれだけの数を確認しても何も収穫がなかったのだから、夫人ががっかりしたのも無理はない。



「匂い以外の手がかりがないのですか?」

私がそう訊くと、ユリード様は静かに首を振った。


「過去の話を聞いたり、人に会ったり、行ったことある場所にも行ったんだけど、何も得られなくてね」

「それで、次は匂い…」

「そうなるね」

「…では、我が商会に遊びに来るというのはいかがでしょうか?昔取り扱っていた商品も、多少なら残っていますよ」

これでなんの助けになるのかはわからないが、今までやったことないことなら試したいかもしれない。


少なくとも、私だったらここまで話した相手に何もしてもらいないのは、モヤッとしそうだ。

これは、商売人根性すぎるかしらね…?


「私たちが子どもの頃に流行ったおもちゃとか、そういうのは保管してありますのでよかったら」

私がそこまで言うと、ユリード様はガタっと立ち上がった。


紺色の目にグッと力が入って、私を見ていた。


「い、いいのかい?」

「はい、商会見学とでも思って気軽に来ていただければ」


まあ、上位貴族がわざわざうちの商会に顔を出すというのは箔がつくし、お父様たちも反対しないでしょう。


その利益分の何かをお渡しできればいいな。



そんな約束をしたら、ユリード様は次の日すぐにうちの店にやってきたのだった。


「サリー、あなた侯爵子息の心でも射止めてきたの?」

「そんなことあると思います?」

「ないから言える冗談ね」

お母様に耳打ちされたので、思わず顔を顰めそうになったけれど、お母様は愉快そうに笑っていた。


心臓に悪い冗談はやめてほしい、まったく…。



今日は兄様も店にいたので、案内を兄に任せようと思ったのだけれど、ユリード様に指名されてしまった。


「あてもなく商品をジロジロ見られないよ」と小声で言われたら、それもそうかと納得した。


「バックヤードか保管庫にいますので、何かあったら声をかけてくださいね」

「こっちはいいから、そっちは任せた」

兄様にもそう言われたら、私の今日の仕事はユリード様の案内役だ。


よし、仕事するぞ〜!


「どうぞ、こちらになります」

私は他のお客様を案内するのと変わらない態度で、ニコリと笑ったのだった。



「これはすごい…、物で溢れ返っている」

「そうなんですよ、お父様がなんでもひとまず取っておく人なので」

しかも、何年のいつ発売なのか棚ごとに分かれているから、正直見ているだけでも楽しいと思う。


お父様曰く、『何十年も前に流行ったものはもう一度形を変えて流行ることがあるため、こうして現物を取っておけば、次に何を仕入れるかの参考になるから捨てられない』のだそうだ。


たしかにそれは当たったことがあって、我が商会が順調に店を大きくしてきた理由でもある。


お父様には過去を見る能力はないのに、こんなことができるのだからすごい。


お祖母様の知恵が多少あったけれど、それも祖父の代の話だし、この懐かしいものがたくさんあるがゆえの恩恵はお父様の実績と言っていいだろう。

私は能力も使わずにそんなことができる父の方こそ、能力者に見える。


「ユリード様は、たしか私より3つ年上でしたよね?でしたら、この棚が生まれ年だと思いますので、これ以降の棚には見覚えのあるものがありかもしれません」

私が一つの棚を指差して、そこからズラーッと続いていく棚を指差していく。


少なくとも、お父様が成人前後頃から取っておいてあるものが多いから、私たちが子どもの頃に見てきたものはあるはずだ。


「見てもいいだろうか?」

「もちろんです」

ユリード様は棚に近づいて、覗いていく。


「手に取って頂いても構いませんよ」

「いや、勝手がわからないから壊してしまったら大変だ」

ユリード様は手を伸ばすことなく、棚の中を確認しようとする。


なるほど、それこそ子どもの頃から入り浸ってここにあるもので遊んできた私や兄様と違って、貴重品に見えているのか。


「これなんかは、私が子どもの頃に流行ったものですね」

そう言って、私は棚の木箱を下ろして、中身を掲げた。


「これは匂いがする栞で、こっちは大人を騙すように自分の声が再生されるおもちゃ、あとは手で叩くまで消えないシャボン玉液とかですかね〜」

そう言いながら、ひょいひょいユリード様の手のひらの上に置いていく。


ユリード様は戸惑ったようにしていたけれど、おそるおそる一個一個眺めている。


「あっ、これは当時王子殿下がお好きとか言って急激に流行った、ねじまき付きのぬいぐるみですよ」

懐かしいと思いながら、くまのぬいぐるみもユリード様に持たせた。


貴公子に、くまのぬいぐるみというギャップ。

う〜ん、これはお嬢さん方がきゃあきゃあ言いそうな、見せてはいけない姿な気がする…。


「これは、見たことがある」

くまのぬいぐるみを真っ直ぐに見て、ユリード様は呟いた。


「えっ、本当ですか!?」

思わず大きい声が出たけれど、ユリード様は平然と頷いていた。


「ああ、今も王子殿下が私室に置いて大事にされている」

「あ〜…、思い出したとかではなく、現在進行形でしたか…」

「あ、そうだね。今の話だ。紛らわしい言い方をしてすまない」

「いいえ。王子殿下が物持ちのいい、ものを大事にする方とわかって、臣下としては嬉しい限りです」


びっくりした〜、もう記憶の手がかりでも見つかったのかと。

なんか二重の意味で、心臓に悪かったな今。


「このくまは、ずっと前のものだったんだな」

「ええ、私が3歳の時発売なので、かなり時が経っていますね」

「そうか」

きっと、王子殿下だったら懐かしい!となったのだろう。

でも、ユリード様にそんな熱はなかった。


私は隣でシャボン玉を吹いて、手で捕まえてみたけれど、ユリード様は首を振るだけ。



「もう少し大きくなった頃だと、振るたびに匂いが変わるボールですね」

「…酸っぱくなったり、甘くなったりする」

「そうなんですよ、当時はみんな自分の好きな匂いで振るのを止めてましたよ」

「そうなのか」

「で、自分のベッドに持ち込んで寝た友達が、寝返りと共にボールが転がって激臭で飛び起きたっていうエピソードを教えてくれましたね」

「ふふ、それは災難だ」


ユリード様はくすくす笑って、ボールをまた振った。


これも心当たりがない様子。


やっぱり階級が違うと、持っていたおもちゃ自体も違うのかもねぇ。

この保管庫に来て、こんなに共感し合えないのは、なかなかに心にくるものがある。


「こっちだと、女の子の間で流行したものなので、もしかしたら当時もイマイチだったかもしれません」

そうは言いつつ何がきっかけになるかわからないから、きっと触れてきていないだろうものも一応説明していく。

そして、やっぱり首を振られるだけだった。


ま、そんな簡単に記憶に変化があるわけないか。


今、ユリード様に触れたら、私は何が見えるんだろう。



ひと通り、お生まれになってから発売されたおもちゃたちは見たけれど、どれもユリード様を動かす何かにはならなかった。

休憩もなしに見ていたから、もうおやつの時間くらいになっていた。


「お疲れ様でした。応接室にお茶をご用意しますので、ゆっくりしていってくださいませ」

「ああ、ありがとう。付き合わせて悪かったね、サリー嬢」

「いえ、久しぶりにここを探索できて楽しかったですよ」

「そうか。…サリー嬢、生まれる前の棚も見てみてもいいだろうか?」

ユリード様は微かに笑いながら、今見てこなかった棚の方を指差した。


「ええ、もちろん構いませんが」

「ここまでくると、知らないものを知るのは楽しいなって」

「わかります、昔のものっていいですよね」

私は半分くらい仕事の気持ちが薄れて、単純に商品を眺める楽しみが増していた。


元々、この保管室が好きで、今の家の仕事の手伝いをし始めたのだ。

いい商品を仕事中に見ていられるのは、私としてもいい時間だ。


「古いものだと、私たちが生まれる20年くらい前のものから置いてありますよ」

「へえ〜、管理が行き届いているんだね」

「保管室の管理も仕事のうちですからね〜」

そう言いながら、一番古い棚の木箱を取り出した。


中には、お父様が子どもの頃に遊んでいたというおもちゃも入っている。


「これは?」

ユリード様が私が差し出す前に、はじめて一つの箱を指差した。


「ああ、これはオルゴールですね」

「聞いてもみてもいいかい?」

「はい、動きがだいぶ鈍いんですが、それでもよかったら」

私はオルゴールを取り出して、蓋を開けた。


そこには、少年が大きい荷物を背負って、片手を空に向かって伸ばしている像があった。


「これは?」

「星に手を伸ばしている少年、らしいです。この頃、たしか、そういう小説が流行ったとかで。それをモチーフにしたそうですよ」

「小説か。子どもの頃に読んだと言われた本は目を通したが、何も思い出さなかったなぁ」

何気ない呟きに、ユリード様の努力が感じられた。


何か思い出せたら、いいのかな。

でも、ユリード様はこうして生きていて、この3年間だって、ユリード様では間違いないはずで。


なんか、思い出さなくても、今がいいならなんでもいいんじゃないかという気がしてくる。


部外者だから、そんなこと思えるんだろうなぁ。



そう思いながら、オルゴールのねじを回して、そっと手を離した。


ところどころ止まりながら、音が流れていくのを真剣に聞いていたユリード様は、ゆっくりと顔をあげて、揺らいだ目で私を見た。


オルゴールの少年が欲した、夜空みたいな濃紺の瞳が動揺しているのがわかった。



「この曲、知っている気がする…」


えっ?


「でも、何かは思い出せない、な」


額に手を当てて苦しそうに顔を歪めるユリード様に、私の方が心臓がドクドクしてくる。


古いものたちの偉大さに、心が震えそうだ。


誰かの過去の記憶の中には、ものが映っていることも多い。


好きだったもの、嫌いだったもの、感動したもの、手放したかったもの。

それらを覗かせてもらうたびに、私も自分の持っているものや商品を大切にしようと思ってきた。


ユリード様にも、そういったものがあったのかしら。

それは、このオルゴールに関係あるのかな。


「…なんかこの曲はすごく引っかかる。なんでだろう、それがなんか嬉しい」

「それは、すごいですね。他のものとは、全然違いますね」

「ああ、そうだね」


ユリード様が微笑んだのを見て、私にももっとお手伝いができたらいいのにと思った。



それは、商売人としての思いを越えていた気がする。


お読みくださりありがとうございます!

毎日投稿191日目。

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