前編
その人にたまたま触れた時、頭の中に真っ黒な映像だけが映った。
──過去がないって、あなたは誰なの?
私はいつものように友人の引き立て役として、夜会に参加していた。
誤解なきように言うのだけれど、自ら引き立て役を志願して友人のデートの約束や婚約をアシストしているので、友人関係は良好である。
私は実家の商売に役立ちそうな人を夜会で探しているだけなので、結婚相手探し目的で参加している友人たちと一緒にいるのは、私にとってもいい話というわけ。
それに、私の『とあるアドバイス』はよく当たるしね。
「ねえ、サリー。あの胸ポケットに花を刺している華やかな方はどうかしら?」
「うーん、あんまりおすすめできないかも」
「ねえねえ、サリー。私、あの壁際でシャンパン飲んでいる方が好みの顔なのだけれど」
「ああ、あの方はいいと思うわ」
私が訊かれるたびに答えると、友人たちは可笑しそうに微笑んだ。
「なんでサリーはそう思うのかしらねぇ」
「んー、なんとなく、勘みたいなものかしら」
「でも、それがだいたい当たっているからすごいわよね」
「サリー、占い師でも始めたらどう?」
「あはは、それは無理だと思うよ〜」
私は笑いながらシャンパングラスを傾けたが、実際のところ予知能力があるわけじゃないから占いなんてとてもできやしないと、私が一番よくわかっている。
私の特殊能力は、せいぜいその人の過去を覗き見できるくらいだ。
私は相手に触れると、その人の過去の断片が頭の中に流れて見ることができてしまう。
それは、同じ能力を持っていた祖母から受け継いだものだった。
過去といっても、全部が見られるわけではない。
おそらく本人が強く印象に残っている子どもの頃の記憶がほとんどだ。
だから、実際に見たことある過去も、『釣りをしていたら川に落ちた』とか、『高熱を出して悪夢を見続けていた夜』とか、『はじめて外国の国境を跨いだ時の景色』とか、そういう思い出のようなワンシーンだけだ。
それでも、普段はなるべく見ないためにも、人には触れないようにしている。
私だって、勝手に頭の中を覗かれたら気持ち悪いと思うから。
だけど、この能力はその人の人となりを知るには、案外役に立つ能力でもあるのだ。
子どもの頃の記憶とはいえ、その人がやってきたことには間違いがない。
「子どもの過ちだから…」では済まされないような映像の持ち主だって、たまにいる。
そういう方は、残念ながら現在も後ろ暗いところがあったりする。
以前、新しい取引相手として紹介された人の過去が見えた時に、『すれ違う人間からお金がスレるのかを友達と勝負がてら遊んでいた』という子どもの頃の映像が見えて、身辺調査をしたら現在は詐欺師だったということがあった。
だから、念の為仄暗い過去を持っている人には、それ以上近寄らないようにしている。
そういう相手を大事な友人たちに勧めないというだけの話だ。
ついでに商売相手にも選ばない、それだけ。
「早く結婚しちゃいたいわねぇ〜」
友人の一人が呟いた時、一際目立つ集団からきゃあっという黄色い声が上がった。
「あら、王子殿下のお出ましかしらね」
「じゃあ、移動しましょう。一緒にいたら、潰されるのがオチだわ」
私の友人たちは高望みはせずに自分の家格と合う相手を探しているので、王子殿下は眼中にない。
そういう潔いところが大好きだ。
あら、殿下の隣にいる方ははじめて見る気がするわ。
濃紺の髪と瞳を持つ端正な顔の持ち主も、殿下に負けないほどきゃあきゃあ言われている様子だった。
「ほら、サリー。行くわよ」
「あ、うん」
そんな返事をしている間に、王子殿下を取り囲む集団はすごい勢いでホールを移動して、あっという間に押し潰されていた。
一気に香水の匂いに囲まれて、温度も上昇したように感じる。
重たいドレスに左右を塞がれたら、巻き込まれるしかなかった。
ああ、波のように動いていくそれに、避難した人と巻き込まれてどうしようと困っている人たちに分かれたのが見えた。
私は完全に後者である。
それでも、女性たちの目は王子に注がれているため、私がもみくちゃにされていることすら気づいてもらえない。
家格が低いとこうなるのだから、身分は弁えて壁の花になっておくべきだったなぁ。
と反省したところで遅くて、誰かの足に引っかかって、倒れそうになった。
「う、わっ」
すっ転びそうになった時、誰かのたくましい腕が腰を支えてくれた。
あれ…、転んでない…?
と思って、相手の腕に手をかけて体勢を取り戻そうとした時。
頭の中に映像が流れて、今までに見たことないシーンにびっくりして、私は思わずその人の顔を確かめた。
さっき見た紺の瞳を持つ綺麗な顔した男の人が、私を見て、柔和な顔をしていた。
「大丈夫ですか、お嬢さん」
その方の優しい顔が作り物に見えて、なぜか悲しくなった。
その人の過去は、何も見えなかった。
何も映し出されない真っ黒に塗りつぶされたところしか見えなくて、戸惑う。
この人、過去がない…?
「お怪我でもされましたか?」
もう一度声をかけてくださったのにハッとして、私は首を振った。
まずい、気づいたら周りの女性陣に怖い視線が向けられていた。
「い、いえ、助かりました。ありがとうございます」
「一応医務室に…」
「あっ、いえ!大丈夫です!失礼します…!」
名前を聞くどころか名も名乗らずに、その輪からピューッと逃げ出した。
上位貴族に目をつけられたら、終わるっ…!
そのまま友人たちの避難した先に向かうと、ほらほらと手招きされた。
辿り着くと、すぐに私を囲って姿を隠してくれた。
その隙間から、華やか集団の気配を探る。
「ど、どう…?」
「大丈夫、もうこちらのことは気にしていないみたい」
「セーフ…、お嬢さん方のライバルだと思われたら、5年は社交界に出てこられなくなるわ」
「もう危ないじゃない、サリー」
「怪我は?」
「してない、大丈夫」
「そう、ならよかったけど」
私はドレスの裾を直しながら、今度は中庭へ出て行こうとしているさっきの集団の背中を見た。
「さっき私を助けてくれた人、どなたか知っている?」
「侯爵家のユリード様ね」
「そうなんだ、あんまり見たことない気がしたのだけれど」
「ああ、何年か留学に行ったからね。夜会に出るようになったのも、ここ半年くらいだし」
「たしか、王子殿下の再従兄弟だったはずよ」
「へえ〜、それでか。身分が高そうなオーラだけはわかったわ」
「そうそう、だから私たちには関係ないお人よ」
そう言って、少し休憩しようと、私たちは休憩室に向かうことにした。
侯爵家のユリード様、ね…。
友人たちにあの人はどうなの?といつもみたいに訊かれなくてよかった。
私は、何も答えられなかっただろう。
彼の過去は、何一つ見えなかったのだから。
私はあの透き通った紺色の瞳を思い出しながら、自分の両腕をさするように抱き締めた。
過去がない人なんて、この世にいるの…?
「ねえ、お母様。次の香水の新商品は、あまり匂いのしないものにしない?」
「そんなことしたら、香水の意味がないじゃない」
「まあ、そうなんだけどさぁ…」
私は小瓶を傾けながら、そっと丁寧に外側を拭いて磨いていく。
我が家は家族経営なため、母も娘も従業員の1人だ。
今日もせっせと働いていく。
この前、上位貴族のお嬢さん方の渦に巻き込まれた時に、たくさんの香水が混じり合って、しかもまあまあ皆さん濃くつけていたから、なかなかに気持ち悪かったのだった。
王子殿下たちも、よく平気でいられるなぁ…と後から考えて感心してしまった。
ずっとにこやかだったし、物腰柔らかだし。
そこまで思い出して、あの日の黒い映像が頭を過る。
ユリード様、だったっけ…。
あの方、本当はどんな人なのかしらね。
いつもだったら、上位貴族など今度関わらないだろうと、頭のリストに入れるだけ入れて忘れるのに、あの紺色の髪と瞳はこうやって時々チラつく。
優しそうにも見えたし、王子殿下よりも柔らかい態度だったし、きっとみんなには素敵な殿方に見えているだろうに、なんか悲しいものに見えたのだ。
その悲しみがなんだったのか、うまく掴めなくて、消化不良みたいに少し重たい。
「香水といえば、あなたについていってもらいたい商談があるのよ」
「いいけど、お父様について行けばいいの?」
綺麗に拭いた瓶を仕舞いながら、
「そう、珍しく身分の高いお家から『おたくの商品を全部見せてほしい』って言われてて」
「へえ〜、じゃあお買い求めのお客様なんだ」
「数もいっぱいあるし、こちらからお家に持っていって試してもらう手筈になっているわ」
「それでうまいこと誘導してくればいいのね。それで、いつなの?」
「今日」
「…それ、私に言いそびれていたでしょ。で、身分が高いってどこのお家?」
「侯爵家よ」
…………いやいや、侯爵家とは聞いていたけど、ドンピシャでユリード様の家だとは思わないじゃない。
私は営業スマイルと貼り付けながら、真向かいに座るユリード様相手に対応していた。
私はただの従業員、私はただの従業員、私はただの従業員…、余計な詮索はしない…。
自分にそう言い聞かせながら、お父様の隣で商品の説明をしていく。
「こちらは甘さ控えめの匂いになっております。つけたては重たく感じるかもしれませんが、時間が経つと爽やかが増して微かに残る程度になるので、男性にもおすすめです」
「あら、いいわね。私も嗅いでみていいかしら」
「もちろんにございます。心ゆくまで試していただけるなら、こんなに嬉しいことはございませんわ」
肝心なユリード様は無言で次々と香水を嗅いでいくので、話に乗ってきてくださったユリード様のお母様である夫人と会話を楽しむ。
「あら、花の匂いではないのね」
「はい、そちらは森をイメージした匂いになっております。朝、霧が立ち込めたところから日が差していくように変化していきますよ」
「へえ、いいじゃない。どう変わっていくのか知りたいわね」
「お試し用のサンプルのご用意もあります」
「ふふふ、じゃあそれひとつ」
「ありがとうございます」
私の言葉ですぐに、お父様がサンプルを用意し始める。
その間も、ユリード様は香水の瓶を開けては閉めていた。
その顔がこの前と違って険しい気がして、何を考えているのだろうと不思議に思う。
「プレゼント用ですか?」
声をかけると、「えっ…」と困惑した様子で顔を上げて、すぐに柔らかい笑みに変わった。
「いえ、自分用に」
「でしたら、こちらなんかもおすすめですよ」
そう言って違うものも差し出したけれど、それも嗅いだだけでテーブルの上に戻された。
本当に香水が欲しいのかしら?
なんだか香水が欲しくて探しているというよりは、匂いの中にある何か追っているようだった。
結局、夫人の方がいくつか購入してくださって、ユリード様は何もお求めにならなかった。
「本日はありがとうございました」
お父様とお礼を言って、客間をあとにしようとしたら、夫人に声をかけられた。
「ねえ、ご令嬢。時間があったら、我が家の庭でも見て行かれない?」
「え、よろしいのですか?」
「ええ、私の自慢の庭なのだけれど、今ちょうど花が見頃なのよ」
夫人のお誘いに内心驚いていると、ユリード様と目が合ってにこっと笑った。
「母は人に見て欲しくて仕方ないんだ。あなたが嫌でなければ、ぜひ寄っていてくれ」
「そういうことでしたら、ぜひ。嬉しいお誘いですわ」
「あら、よかった。じゃあ、ユリード案内してあげて」
え、あ、奥様が案内してくださるわけじゃないんですね。
いいのかな?こんな身分下の女の相手なんてね。
そんなことを思ったのだけれど、当の本人は気にする様子もなく、にこやかに頷いた。
「わかりました。ご令嬢、僕が相手でもよろしいですか?」
「もったいないことにございます」
「では、案内しますね」
なぜだかあとは若い人同士でみたいな雰囲気が漂って、奥様には「ゆっくりしてらっしゃい」と言われたし、お父様は「では、娘をよろしくお願いします」と私を置いて次の商談に向かってしまった。
いや、子爵令嬢と侯爵家の嫡男様とでは何かあるわけがないですよ???
とはいえ、庭に出てみると、これは見に行ってみてと言いたくなるなと思うほど圧巻の咲き誇り方をしていて、侯爵家ともなるとこんなに立派な庭なのかと感動してしまった。
「どうですか?」
「すっごく綺麗です!これは見ないと損ですね」
「それは母が喜びます」
ユリード様はくすくす笑いながら、私に歩幅を合わせて進んでいく。
節度を持った距離を保っているけれど、それは向こうも同じようで、正直居心地はよかった。
時々、ユリード様が花に顔を近づけて匂いを嗅いでいるのが気になったくらいで。
さっき香水の匂いを何個も何度も確認していたのと同じ作業に見えて、どうしたのですか?と訊きそうになってやめた。
必要以上に相手の過去を覗き見ないのと一緒で、必要以上に人に深入りしないのが、私の中のルールだ。
詮索しない、身の程を弁える、分を越えない。
そうやって、他人と自分との線を引く。
だから、子爵令嬢のただの商売人は、侯爵子息の行動を気に留めない。
あの『真っ黒』が気になるからって、探ろうとしちゃダメよサリー。
それにしても今この状況は、ユリード様を狙っているご令嬢がハンカチを咥えそうなほどの非日常的な出来事だ。
仕事のあとにこんな素敵な庭を見せてもらえるなんて、とんだご褒美ね。
今日はツイているなあ〜、なんて思っているうちに庭もまわり終わって屋敷へと戻ってきた。
「お疲れでしょう?お茶でも飲んでいかれませんか?」
「随分長居もしてしまっていますし、そろそろお暇いたしますわ」
「そうですか。では、門まで送ります」
とても良くしてもらえているけど、今日はただの商売人としてきたのだ。
これ以上、お客様の家に居座る理由もない。
ユリード様がエスコートしてくれそうになった時、窓が開いているのか、近くの部屋の中の声が聞こえてきた。
そんなに大きい声ではなかったはずなのに、あまりの言葉に、鮮明に耳に届いてきた。
「今回もダメだったわね。…ユリードの記憶は、もう戻らないのかしらね」
えっ………。
記憶が、ないって、どういう…?
聞き間違いでなければ、奥様がため息を吐かれていた。
さすがに無意識に目がユリード様を見ていた。
そして、私の顔は相当強張っていたのだろう。
私を見るユリード様の顔も、これまでとは違って、明らかに困った顔をしていた。
お読みくださりありがとうございました!!
毎日投稿190日目。
短編のつもりでしたが、分けました。(またしても、最初の構想より長くなりそうな予感です…)
(追記)誤字報告ありがとうございました!修正いたしました!(2026.7.12)




