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第9話 響け、その経絡に

騎士団の調練場は、見世物小屋のようだった。


中央に据えられた一脚の長椅子。それを取り囲むように、甲冑の騎士たちが幾重にも輪をつくっている。空気はからりと乾いているのに、注がれる視線はねっとりと湿っていた。嘲りと、好奇と、品定め。辺境から這い出てきた針の男が、どんな無様を晒すのか──そういう目だ。


「邪法の呪術師ってのは、ずいぶん貧相な鞄を提げてるんだな」


どこかで誰かが言い、輪のあちこちで笑いが起きた。俺は提げた銀の鍼ケースを軽く揺すってみせる。


「肩、凝ってませんか?」


「あ?」


「いや、皆さん。揃いも揃って肩が上がってる。鎧の重みじゃない。気の張りすぎだ。──そういう身体が、いちばん焼けやすい」


笑いが、わずかにひずんだ。


俺の隣で、リーゼが腕を組んで仁王立ちしている。竜騎士の威圧に、最前列の若手が一歩退いた。彼女がここにいるだけで、この場の半分は「あの追放されたはずの女が、なぜ全盛のように立っているのか」という問いを、嫌でも突きつけられる。


輪の正面、ひときわ立派な甲冑の男が、腕を組んでこちらを見下ろしていた。副団長ボルツ・ガルム。部下を限界まで使い潰し、壊れれば「才能が枯れた」と切り捨ててきた男だ。


「茶番だ」とボルツは吐き捨てた。「だが古参どもがどうしても見たいと言うのでな。──いいだろう。そこの椅子に、お前の言う『焼けた』とやらの騎士を寝かせてやる」


合図で、若手が一人、両脇を支えられて連れてこられた。


テオだ。


亜麻色の髪の、まだ少年の面影を残した若者。支えられた脚が、力なく地面を擦っている。


「テオ。歩いてみろ」とボルツが命じた。


テオは唇を噛み、震える脚で一歩を踏み出そうとして──膝から、崩れ落ちた。


「見ての通りだ」ボルツが嗤う。「こいつはもう終わりだ。才能が枯れた。剣も握れん。それを針一本で起こすと? できなければ、お前は二度と王都の地を踏めん。約束通りだ」


俺は長椅子の脇に膝をつき、テオの目を覗き込んだ。汗で前髪が額に貼りついている。怯えと、それでも消しきれない一片の期待。


「テオ。痛いのは効いてる証拠だ。先に言っとく。──たぶん、お前は悲鳴を上げる」


「せ、先生……俺、ほんとに、また……?」


「立てる。お前は枯れてない。無理させられて、経絡が焼けて滞ってるだけだ。詰まりを通せば、流れは戻る。──力を抜け」


俺はテオの上着を脱がせ、背を向けさせた。指の腹で、肩甲骨の内側、背骨に沿った経絡をゆっくり辿る。


あった。


肩の付け根から腕へ落ちる流れの一点が、熱を持って固く盛り上がっている。リーゼのときと同じ、焼けて滞った労損の手触り。連日連夜の素振りと魔力の酷使で、ここが煮詰まって、流れを堰き止めているのだ。


「ここだ」


銀の鍼ケースを開く。冷たい光を返す鍼の中から、太めの一本を選ぶ。空っぽを灯すニーナの繊細な針じゃない。これは、貫いて通す針だ。


「行くぞ。──奥歯、噛んどけ」


針先を、滞りの芯へ、まっすぐ落とした。


ずぶり、と皮膚を割る。そこから一気に、深く。固く盛り上がった芯を、針が射抜いた瞬間──。


「ぐ、ぅ……あ"あ"あ"あ"ッ!!」


テオの背が、弓なりに跳ねた。


「ズーン」と来たはずだ。得気だ。焼けて詰まった経絡の芯を針が捉え、重く、痺れるような響きが、肩から指先まで、骨を伝って一気に駆け抜ける。地獄の鐘を、身体の内側で撞かれるような感覚。


「い、痛っ、痛い痛い痛いッ、なんだこれ、腕がっ、腕の奥が、ぜんぶ痺れて──!」


「効いてる証拠だ。逃げるな。今、お前の焼けをバイパスさせてる。歯ぁ食いしばれ!」


テオが長椅子の縁を掻きむしる。脂汗が滴り、爪が木肌を削った。輪の中の騎士たちが、ざわりと身を引く。先ほどまでの嘲笑は、もうどこにもない。あるのは、目の前で起きている異様な光景への、純粋な怯えだ。


俺は針を、ほんのわずか、捻る。


滞りの芯を貫いた流れが、堰を切る。煮詰まって行き場を失っていた巡りが、針の通した道を通って、一気に末端へ流れ込んでいく。テオの腕が、びくびくと痙攣した。


「あ"……ぁ……」


悲鳴が、ふいに途切れた。


弓なりだった背が、すとんと長椅子に落ちる。荒い呼吸の合間に、テオが、呆けたような声を漏らした。


「……あれ……?」


俺は針を抜き、ケースに納めた。


「軽いだろ」


「……かる、い……? え……腕が……腕が、ない、みたいだ……いや、違う、ある、あるんだけど、なんか……羽が、生えたみたいに……」


トトノイだ。


地獄の響きが抜けたあとに訪れる、嘘みたいな軽さ。鉛のようだったものが綿になり、詰まっていた流れが、川になって全身を巡る。焼けて止まっていた力が、本来の道を思い出した瞬間の、あの解放。


「立ってみろ、テオ」


テオが、ゆっくりと身を起こした。


長椅子に手をつき、おそるおそる、脚に体重を乗せる。先ほどまで膝から崩れ落ちていた、その脚に。


──立った。


ふらつきもせず、まっすぐに。背筋が伸び、肩が落ち、抜けていた力が静かに芯へ戻っていく。亜麻色の髪の下で、若者の目が、信じられないというように見開かれていた。


調練場が、しん、と静まり返った。


「……太刀を」とテオが、掠れた声で言った。「俺に、太刀を、貸してください」


近くの騎士が、半ば操られるように、訓練用の太刀を差し出した。テオはそれを受け取り、両手で構える。


そして、振った。


びゅっ──と空気が裂けた。


全盛の、いや、それ以上の太刀筋だった。淀みなく、鋭く、重い。膝も握れなかった若者が、輪の中央で、見事な袈裟懸けを宙に描いてみせる。一閃、二閃、三閃。風が唸り、土埃が舞った。


「う、嘘だろ……」


「あいつ、先週は素振り十回で潰れてたぞ……」


「枯れたんじゃ、なかったのか……?」


騎士たちのどよめきが、波のように広がっていく。輪の後ろのほうでは、誰かが思わず一歩前へ出ていた。みな、目の前の事実から目を離せずにいる。回復魔法でも起こせなかったものが、針一本で起き上がった。それは理屈の話ではなかった。立ち上がり、太刀を振る一人の若者という、覆しようのない事実だった。


リーゼが、腕を組んだまま、低く言った。


「これが、ソウマの針だ。──私も、テオも、お前たちが『枯れた』と切り捨てた者は、誰一人、枯れてなどいなかった」


テオが太刀を下ろし、肩で息をしながら、輪の向こうのボルツを見た。憧れた騎士団の、その副団長を。


俺は立ち上がり、汗を拭った。証明は済んだ。これ以上の言葉は要らない。──そう思った、そのときだった。


「……仕込みだ」


低い声が、静寂を裂いた。


ボルツだった。組んでいた腕がほどけ、その顔が、見る間に赤黒く染まっていく。


「仕込みだッ! こいつは最初から、不調などではなかったのだ! 辺境の女と同じよ、貴様らグルになって、芝居を打っているだけだ! 経絡が焼けただと? そんな病は、ない! こいつは怠けていただけだッ、針で治ったのではない、最初から!──最初から、どこも悪くなどなかったのだ!」


唾を飛ばして喚くその声が、どこか上ずっていた。


俺は、ふと、思った。


この男は──テオの不調を否定しているんじゃない。否定したいんだ。


最後までお読みいただき、ありがとうございます。

立ち上がったテオ、ざわめく騎士団。動かぬ事実を前に、副団長ボルツはなぜか「病などない」と否定に走りました。なぜ、彼はそこまで「魔力焼け」の存在を認めたくないのか。次回「第10話 才能は枯れない、潰されただけだ」では、ソウマの見立てが、ボルツ自身の隠してきた過去を、経絡ごと暴き出します。

面白いと思っていただけたら、ブックマークと評価で背中を押してください。巡りがよくなります。次回もどうぞ、力を抜いてお待ちください。


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