第8話 邪法の呪術師、騎士団へ
騎士団の駐屯地は、王都の外壁に張りつくように築かれた灰色の城砦だった。
訓練場からは木剣のぶつかる音と、しわがれた号令が絶え間なく響いている。その響きに、俺は前世の記憶を重ねかけて、やめた。あそこも、こうだった。誰かが倒れるまで、号令は止まらない。
「ソウマ」
隣を歩くリーゼが、低く言った。竜騎士の正装ではない。だが背筋はまっすぐで、すれ違う若い騎士たちが思わず足を止めるほどの気配を放っている。
「本当に、入るのか。ここは、あの男の城だ」
「テオを、このまま放っておくのか?」
俺が問い返すと、リーゼは唇を引き結んだ。昨日、治療院の戸を叩いた若手騎士テオ。副団長ボルツの猛訓練で魔力焼け寸前まで追い込まれ、弱音を吐けば切られるという恐怖で、限界を隠していた。
「行く」と俺は言った。テオの熱を抜いたところで、明日もまた誰かが同じやり方で焼かれる。──ならば、大本を断つしかない。昨日決めたことだ。
門の前で名乗ると、若い門番が露骨に顔をしかめた。
「辺境の針の男だな。聞いている。……通すなと言われているが」
「テオに会いに来た、と伝えてください。同じ団の仲間が、剣を握れなくなりかけてる。それを放っておくのが、騎士団の流儀なんですか?」
門番が言葉に詰まった隙に、リーゼが一歩前へ出る。たったそれだけで、若い門番は気圧されたように半歩退いた。竜騎士の名は、まだこの城で死んでいない。
「……勝手にしろ。だが、あんたらを歓迎する者はここにはいない」
門番の言う通りだった。
門の内側で、待ち構えていた男がいた。
太い首、削げた頬。胸甲には副団長の徽章。ボルツ・ガルムだった。
「ほう。噂の邪法使いが、自分から首を差し出しに来たか」
声は、訓練場の号令に慣れた者のそれだった。腹の底に響く。周りの騎士たちが、じわりと俺たちを囲むように足を止めていく。
「人の経絡をいじくり、回復魔法の理を歪める針の男。──ここは戦士の地だ。呪術師の立つ場所はない。失せろ」
囲んだ騎士たちの間から、押し殺した嘲笑が漏れた。針一本で何ができる、と誰かが囁く。辺境の流れ者が、いよいよ自分の墓を掘りに来たぞ、と。リーゼを知らない若い世代には、俺はただの胡散臭い呪術師に過ぎない。そういう目だった。
その人垣の奥に、見覚えのある顔があった。
テオだ。鎧の重さに耐えかねるように壁際に寄りかかり、右手を庇うように胸に抱えている。俺と目が合うと、あいつは怯えたように視線を逸らした。──ここで俺に懐いていると知られれば、切られる。その恐怖が、痛いほど伝わってきた。
俺は片頬で笑った。
「失せろと言われて失せるなら、辺境からわざわざ来ませんよ。テオを診せてもらいに来ました。あいつ、もう剣を握る手に力が入らないでしょう」
ボルツの目が、わずかに揺れた。
「弱い者が脱落するのは、戦士の習いだ。才能が枯れた者に用はない。代わりはいくらでもいる」
「才能?」
俺は鼻で息を吐いた。囲む騎士たちの何人かが、ぴくりと反応する。
「枯れたんじゃない。あんたが焼いたんだ。それを才能のせいにして切り捨ててるだけだ」
場の空気が、凍りついた。
副団長に、面と向かってそう言う者は、この城にはいない。それが、囲む騎士たちの息を呑む音でわかった。ボルツの顔から、嘲笑が消えた。
「貴様……」
「やめろ」
割って入った声は、しわがれていた。
人垣を割って、白髪交じりの古参騎士が進み出る。古い革の胸当て。右目の上に、引き攣れた古傷。歳は六十に近いだろう。だが立ち姿には、若い騎士たちにはない芯があった。
「ヴェント殿……」とボルツが舌打ちする。
ヴェントと呼ばれた老騎士は、俺を頭から爪先まで眺めると、ふいにリーゼへ視線を移した。
「リーゼロッテ。久しいな。……右腕は、どうした」
リーゼが、息を詰めた。
「……動きます。前より、ずっと」
「ほう」
老騎士の右目が、すっと細められた。
「あの竜焼けが、か。聖女のハイヒールでも戻らなかった、お前の右腕が」
「この男が、整えました」
リーゼがきっぱりと言い切ると、ヴェントの視線が再び俺に戻ってきた。値踏みするような、それでいてどこか飢えたような目だった。
「副団長。この男を追い返すのは容易い。だが──」
ヴェントは、ぐるりと周囲を見回した。囲む騎士たちの中に、明らかに顔色の悪い者が、何人もいる。脂汗を浮かべ、肩で息をしている若手。俺の目には、そいつらの経絡がどう滞っているか、手に取るようにわかった。あれは、テオと同じだ。
「ここには、リーゼと同じ目をした若いのが、何人もおる。剣を振れなくなった者を、儂はこの目で何人も見送ってきた。みな『才能が枯れた』と言われてな」
老騎士の声に、苦いものが滲んだ。
「もし、それが治るというなら……儂は、見てみたい。この目で」
ヴェントの右目が、囲む若手のひとりに留まった。脂汗を浮かべ、剣を吊った腰がわずかに傾いでいる男だ。
「グスタフ。お前、もう半年、まともに振れておらんな。隠しても、儂にはわかる。儂も、同じ年頃に同じ目をしておった」
名指しされた若手が、びくりと肩を震わせた。図星だ。あいつの経絡も、テオと同じ滞り方をしている。ボルツの同じ訓練が、同じ焼け方を量産している。それが、俺の目には一目でわかった。
「ヴェント殿、邪法に与するおつもりか」
ボルツの声が尖る。だがヴェントは動じなかった。
「邪法かどうか、儂にはわからん。だからこそ、見るのだ。──副団長。証明させればよかろう。ここで、公の場で。仕込みも逃げも利かぬ、団の全員が見ている前で」
ざわめきが広がった。
公開で、と誰かが繰り返す。面白い、と若い騎士が声を漏らす。空気が変わっていくのを、俺は肌で感じた。冷笑の壁に、一筋の亀裂が走る。
ボルツの顔が、紅潮した。
引くに引けない。ここで断れば、副団長が一介の針の男に怯んだことになる。この男のいちばん嫌うものが、それだろう。出力で勝てぬ相手はいない、という己の信仰が、揺らぐことになる。
「……いいだろう」
ボルツが、絞り出すように言った。
「公開の場を設けてやる。貴様の針とやらで、テオを起こしてみせろ。立てなくなった者が、再び剣を振れるというなら、見せてみろ」
そして、ボルツは一歩踏み出し、俺を見下ろした。
「だが、邪法使い。これは見世物ではない。賭けだ。──治せなければ、貴様は二度と、王都の地を踏ません。辺境の庵に這って帰り、二度とこの城に近づくな。リーゼも、その小娘も、貴様に与した者はすべて、王都から締め出す」
囲む騎士たちが、息を呑んだ。
俺は、銀の鍼ケースを軽く握り直した。ひやりとした金属の感触が、掌に馴染む。前世から、ずっと俺の手の中にあった重さだ。
「結構ですよ」
俺は静かに応じた。
「治せなければ、二度と王都の地は踏みません。──その代わり、治ったら、あんたの『才能が枯れた』を、撤回してもらう」
リーゼが、隣で小さく笑った気配がした。ヴェントの右目が、満足げに細められる。
公開施術の場が、決まった。
明日。敵地のど真ん中で、俺は針一本で、有能を証明しなければならない。
肩、凝ってませんか。
──ああ。あんたたちのほうが、よほど凝ってる。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
敵の本丸で、退路を断つ賭けが決まりました。割って入った古参騎士ヴェントの飢えた目も、これから効いてきます。次回「第9話 響け、その経絡に」では、いよいよ公開施術。観衆の嘲りと好奇の中で、テオの経絡に針が入ります。立てなかった若者が、再び太刀を振るその瞬間まで、どうかお見逃しなく。
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