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第7話 使い潰される若者

「邪法の呪術師」と名指しされて三日。


その夜更けに治療院の戸を叩いたのは、ボルツの差し向けた刺客でも、検分の役人でもなかった。


外套のフードを目深にかぶった、痩せた影だった。雨も降っていないのに、肩からぼたぼたと冷たい汗を滴らせている。フードの奥で、若い男の声が、噛みしめるように言った。


「……ここに、来れば。治して、もらえると、聞いて」


「とりあえず入れ。表で倒れられると、また邪法だなんだと噂が立つ」


俺が招き入れると、影はもつれる足で框をまたぎ、そのまま膝から崩れ落ちた。フードが外れる。歳の頃は十七、八か。短く刈った亜麻色の髪、まだあどけなさの残る顔立ち。だがその顔は、灯火の下で見ても分かるほど蒼白だった。


奥から顔を出したリーゼが、息を呑んだ。


「──テオ。お前、テオじゃないか」


「リ、リーゼ先輩……っ」


少年の目が、ぱっと見開かれた。蒼白な頬に、わずかに血の色が差す。それは病人の血色じゃなかった。憧れの人を前にした、若者の頬の色だった。


「先輩が、ここで世話に……いや、その、俺は、ただ、噂を確かめに来ただけで……べつに、どこも、悪く、なんて……」


言いながら、テオの言葉尻が震えて消えた。膝に突いた手が、小刻みに痙攣している。本人は隠しているつもりらしいが、隠せていない。指の先が、こきざみに跳ねていた。


「リーゼ」と俺は静かに言った。「こいつは?」


「騎士団の、後輩だ」リーゼの声が、わずかに固い。「私が『紅の竜乙女』と呼ばれていた頃……入団したばかりのこいつが、まっすぐな目で言ったんだ。『俺も、あなたのような騎士になります』と。──私が追放されたあとも、残っていたのか」


「残りました」テオが、食い気味に顔を上げた。「先輩がいなくなっても、俺は、騎士団に。だって、先輩に追いつくって、決めたから……ボルツ副団長も、見込みがあるって、毎日、特別に鍛えてくださって……」


「特別に、鍛えて」


俺はその言葉を、ゆっくりと舌の上で転がした。


「テオ、だったな。フードの下、汗びっしょりだ。夜風は冷えてるのに、お前ひとりだけ夏みたいに汗をかいてる。心臓は、走ったあとみたいに早鐘。指は震えて、止められない。──これ、いつからだ」


「……っ、これは、その、ここまで、走ってきたから」


「嘘が下手だな」


俺はテオの前にしゃがみ込んだ。逃げようとする手首を、そっと取る。脈を見るためだ。指の腹に伝わってきたそれは、速くて、浅くて、ところどころで乱れて飛んでいた。経絡(けいらく)の流れが、滝のように一方へ暴れている。これは──滞りじゃない。逆流だ。気が、上へ上へと突き上げて、暴れ回っている。


「どこか、強張ってる感じはないか。たとえば、右の肩あたり」


「……え?」


「右肩だ。貸してみろ」


「い、いえ、俺は、平気で──いっ……!」


外套の上から、俺が肩口にそっと指を当てただけで、テオは飛び上がるように悲鳴を上げた。触れた、というほどの力もかけていない。なのに、まるで焼けた鉄に触れたみたいに、全身が跳ねた。


肩の経絡が、火を噴いていた。


リーゼの右腕とは、また違う。リーゼのは、焼け切れて熱を失った焦土だった。だがテオのこれは、今まさに燃え盛っている最中だ。出力を上げ続けて、上げ続けて、巡りが追いつかないまま、無理やり魔力を押し出している。経絡が、自分の出した熱で焼かれかけている。──魔力焼けの、一歩手前。気逆(きぎゃく)を起こしかけた、危険な熱だ。


「テオ」と俺は声を落とした。「お前、毎朝、起きると指が痺れてるだろう。剣を握ると、握ったはずの感覚が、途中から消える。夜は、心臓がうるさくて眠れない。だが、それを誰にも言ってないな?」


テオの蒼白な顔から、最後の血の気が引いた。図星だった。


「な、なんで……」


「身体に全部書いてあるからだ。──なんで言わない」


テオは、しばらく俯いていた。膝の上で拳を握りしめて、震える声を絞り出す。


「……言ったら、切られる」


「切られる?」


「ボルツ副団長は、いつも、おっしゃるんです。『弱音を吐く者は要らない』『限界だと言った瞬間、お前の才能はそこまでだ』って。実際……俺と同期で入ったやつが、二人。剣が振れなくなって、副団長に『才能が枯れたな』と言われて……次の日には、騎士団から、消えてました」


テオの声が、嗚咽に近づいていく。


「だから、言えない。痺れてるなんて、眠れないなんて、言えるわけ、ない。言ったら、俺も……『枯れた』って言われて、消される。先輩に、追いつく前に。俺、まだ、何者にもなってないのに……っ」


奥で話を聞いていたニーナが、唇を噛んだのが見えた。あの子も、同じ言葉で空っぽにされた。「もっと出せ、まだ出せる」と。──宮廷も、騎士団も、使う言葉は違っても、やってることは同じだ。


俺は、はらわたの底が冷たく重くなるのを感じた。


これは、病じゃない。


リーゼが床を踏み鳴らした。誇り高い竜騎士の声が、怒りに震えている。


「ボルツ……っ、あの男、私を追い出すだけでは飽き足らず、こんな子どもまで……! 『特別に鍛える』だと? 限界まで出させて、壊れたら『才能が枯れた』と切り捨てて、また次の新入りを使い潰す。あいつのやり方は、昔から何ひとつ変わっていない……!」


「リーゼ」


「私が、あいつの目を覚まさせてやる。今すぐ騎士団へ──」


「待て」


俺は立ち上がり、まず、震えるテオの背に手を当てた。暴れる気の流れを、てのひらでなだめるように、ゆっくりと下へ、下へと誘導していく。上に突き上げていた熱が、わずかにほどけて、テオの呼吸が少しだけ深くなった。


「今夜は、ここで一番暴れてる熱だけ抜く。気逆を起こしかけてるからな。このまま明日の訓練に出たら、お前、剣を振った瞬間に倒れるぞ。下手すりゃ、そのまま二度と魔力が湧かない」


「で、でも、訓練を休んだら、俺……」


「休めなんて言ってない。──整えるんだ」


俺は銀の鍼ケースを開いた。冷たい光を返す細い鍼を一本、選び取る。テオの暴れた熱を逃がすための、瀉の一本だ。


「いいか、テオ。お前は弱くない。むしろ、丈夫すぎるのが仇になってる。痛いって言えないやつほど、限界を越えても走れちまうんだ。そういうやつから、先に壊れる。──強さってのは、無理ができることじゃない。無理をしないで、長く立っていられることだ」


針先を、火を噴いている肩の一点に、そっと添える。


「魔力は、出力じゃない。巡りだ。お前のは、力が足りないんじゃない。巡りを忘れて、出すことだけ覚えさせられただけだ」


針が入った瞬間、テオが「ぐっ」と喉を鳴らした。暴れていた熱が、針先を通って、すうっと逃げていく。蒼白だった頬に、すこしずつ、人間らしい血の色が戻ってくる。


それを見届けて、俺はリーゼに向き直った。


ニーナが奥から見ている。テオが床で、荒い息を整えている。リーゼが、剣の柄を握りしめて、こちらを見ている。


ボルツという男は、こいつ一人を壊しかけているわけじゃない。同じやり方で、何人もの若者を、今この瞬間も「特別に鍛えて」いる。テオの肩の熱を抜いたところで、明日もまた、誰かが同じ熱で焼かれる。


──だったら、抜くべきは、テオの熱だけじゃない。


「リーゼ」と俺は言った。「リーゼの言う通りだ。これは、テオ一人の話じゃない。同じ熱で焼かれかけてるやつが、騎士団に、まだ何人もいる」


「では……!」


「ああ」


俺は鍼ケースの蓋を、ぱちりと閉じた。


「使い潰される前に、整える。──騎士団へ行く」


最後までお読みいただき、ありがとうございます。

弱音を吐けば切られる。その恐怖が、テオの肩を焼いていました。けれど熱を抜いたところで、明日もまた、誰かが同じやり方で使い潰されていく。──ならば、いっそ大本へ。次回「第8話 邪法の呪術師、騎士団へ」では、ソウマがリーゼを連れて、ボルツの待つ騎士団へ乗り込みます。冷笑と妨害の待つ敵地で、針の男はどう「証明」するのか。

面白いと思っていただけたら、ブックマークと評価で背中を押していただけると、巡りがよくなります。次回もどうぞ、力を抜いてお待ちください。


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