表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
6/22

第6話 魔力は出力じゃない、巡りだ

「いや、蛇口が錆びてるだけだ」


 そう言った俺を、ニーナ・ホルツは濡れた目で見上げた。猫背の背がいっそう丸まって、膝の上で握られた指が小さく震えている。


「……蛇口、ですか」


「ああ。水がないんじゃない。出口が詰まって、ちょろちょろしか出てこない。お前は『枯れた』んじゃなくて、無理に絞り続けて、絞る場所のほうが固まっちまったんだ」


 リーゼのときとは、違う。


 リーゼの右腕は、酷使で経絡(けいらく)が焼け切れた労損(ろうそん)だった。詰まって滞ったものを、鍼で一度貫いて、流れをバイパスさせてやる。(しゃ)だ。通す手技。


 だがニーナのこれは、逆だ。出力を絞りに絞って、巡るべきものまで干上がった気虚(ききょ)。ここで無理に通そうとすれば、空っぽの管に針を立てるようなもので、かえって本人を弱らせる。


「お前には、瀉はやらない。──()だ」


「ほ……?」


「足りないところへ、巡りを呼び戻す。痛いのはほんの少しでいい。お前のは、貫く治療じゃない。灯し直す治療だ」


 俺は銀の鍼ケースを開いた。冷たい光を返す細い鍼が、行儀よく並んでいる。その中から、いちばん細い一本を選ぶ。リーゼのときに使った太さじゃない。空っぽの身体に響かせるなら、これくらい繊細なものでいい。


「うつ伏せに。背中、見せてくれ」


 ニーナは怯えた仔犬みたいに、それでものろのろと従った。薄い背中だ。あばらが透けそうなほど痩せている。宮廷で「もっと出せ、まだ出せる」と言われ続けて、空っぽになるまで魔力を搾り取られた背中。


 俺は指の腹で、背骨の両脇をゆっくり辿った。


「肩、凝ってませんか?」


「……正直、肩の感覚なんて、もう……」


「だろうな。凝ってるとも思えないほど、力が抜けきってる。逆だよ、お前は。頑張りすぎて、頑張り方を忘れた」


 背中の経絡を辿る指先が、ある一点でふと止まる。腰の少し上、巡りの源になるツボ。ここがすっかり冷えて、底が抜けたように力がない。リーゼのときに感じた「焼けて熱を持った滞り」とは、まるで手触りが違う。こっちは、ただただ──寒い。


「ここだ。お前の蛇口の、根元」


 針を、そっと置く。


 押し込まない。リーゼのときのように「ズーン」と地獄の響きを送り込むのとは、まるで別の手つきだ。皮膚の表をかすめるように、ほんの少しだけ。そして、そこから俺自身の魔力を、細く、細く、流し込んでいく。


 呼び水だ。


 干上がった井戸に、ひと匙の水を落として、底に残った湿り気を呼び覚ます。これは俺の気を分ける技で、やればやるほど俺のほうが目減りする。万能じゃない。代償がある。だが──この子のこれは、ひと押しで足りる。あとは本人の井戸が、自分で湧き出すかどうかだ。


「ニーナ。目を閉じて、息を吐け。出そうとしなくていい。……抜くんだ。力を、全部」


「で、でも、魔力は、出さないと──」


「出すな。ためるんだ」


 ニーナの肩が、びくりと跳ねた。たぶん、生まれて初めて言われた言葉なんだろう。この世界の魔法使いは、湧いた魔力を絞り出すことしか教わらない。出力こそ才能。たくさん出せる者が天才で、出なくなった者は枯れた者。それが常識だ。


 くだらない、と俺は思う。


 水車は、水を勢いよく落とすだけじゃ回らない。流れがあって、巡って、また上に戻ってくるから、止まらずに回り続ける。一気に放流すれば、その瞬間は派手だ。だがすぐに干上がる。──宮廷の連中は、ニーナという水車から、ただひたすら水を抜き続けたんだ。回し方も知らずに。


「魔力は、出力じゃない」


 針先から流した呼び水が、冷えきった経絡の底に、じわりと熱を点す。


「巡りだ」


 その瞬間だった。


 ニーナの背中が、ふっ、と温度を持った。冷たく沈んでいた一点から、湯がにじむように熱が広がっていく。指先で確かに分かる。底の抜けていた井戸の、いちばん深いところで、何かがことりと動いた音がした。


「あ──」


 ニーナの声が、震えた。


「あ、あったかい……お腹の奥が、あったかい……っ」


「巡り始めたな。慌てるな。それを外に出そうとせず、まずは身体の中をぐるっと一周させろ。お前の魔力に、道を思い出させてやれ」


「は、はい……」


 ニーナはぎゅっと目を閉じて、震える呼吸を整えた。そして、おずおずと、右手を持ち上げる。痩せた指先を、開いて、閉じて。


「……灯、して、いいですか」


「やってみろ。ただし、全力で出すな。蝋燭一本ぶんでいい」


 ニーナの指先が、ふわりと光った。


 小さな、本当に小さな光だ。手のひらに乗るくらいの、頼りない明かり。けれどそれは、確かに灯っていた。一滴も湧かないと泣いていた少女の指先で、忘れられていた魔法が、おずおずと息を吹き返している。


「……出た。出ました……っ、先生、魔法が、灯ってます……!」


 ぼろぼろと、ニーナの目から涙がこぼれた。うつ伏せのまま、頬を床に押しつけて、子どもみたいに泣きじゃくる。卑屈に丸まっていた背中が、嗚咽のたびに上下していた。


「派手じゃないだろ」と俺は言った。「全盛期の十分の一も出てないはずだ。だがな、ニーナ。それでいい。──蝋燭一本ぶんを、毎日絶やさず灯せるやつのほうが、一夜で松明を焚いて燃え尽きるやつより、ずっと長く道を照らせる」


 ニーナがゆっくりと身を起こした。涙でぐしゃぐしゃの顔で、それでも、指先の小さな光を、宝物みたいに両手で包んでいる。


「わたし……ずっと、もっと出せ、もっと出せって……出せないわたしが、悪いんだと……」


「悪いのはお前じゃない。出させ続けて、巡らせ方を一度も教えなかった連中だ」


 俺は鍼を抜き、ケースにしまった。


養生(ようじょう)っていうんだ。出した分を、ちゃんと取り戻す。身体を休ませて、巡りを整える。──当たり前のことなんだがな、この世界じゃ、どうやら誰も知らないらしい」


 ニーナは光をそっと消すと、今度はその両手で、俺の袖を握った。


「教えて、ください。その、養生っていうのを。わたし、覚えたいです。……もう二度と、自分を空っぽにしないために」


 卑屈な仔犬の目には、もうなっていなかった。


 その日から、ニーナは庵に居ついた。リーゼが用心棒なら、ニーナは物覚えのいい弟子だ。俺が一度言った経絡の見立てを、その晩には諳んじてみせる。頭のいい子なんだ、もともと。ただ、頭のよさを「出力」でしか測られてこなかっただけで。


 噂は、辺境の風に乗った。


 竜騎士の右腕を蘇らせた流れ者。枯れた天才魔法使いに、魔法を取り戻させた針の男。霧の森の小さな治療院は、いつのまにか、王都にまで名を知られ始めていた。


 ──だが。


 評判というものは、味方ばかりを連れてくるわけじゃない。


 ある夕暮れ、リーゼが治療院の戸を蹴破る勢いで駆け込んできた。常から凛と澄ましている竜騎士が、珍しく顔色を変えている。


「ソウマ。……まずいことになった」


「どうした。患者か」


「いや。──王都の、騎士団だ」リーゼは握りしめた一枚の触書を、卓に叩きつけた。「副団長のボルツが、お前のことを公言した。それも、おおやけの場でだ」


 俺は触書に目を落とした。


『辺境に巣くう針の男は、回復魔法の理を歪め、人の経絡を勝手にいじくる邪法の呪術師なり。王国の英雄を惑わし、軍規を乱すものにつき、これを警戒すべし──』


「邪法の呪術師、ねえ」


 俺は思わず、片頬で笑ってしまった。


 針一本で、潰れた者を起こしているだけだ。誰も傷つけちゃいない。だが、出力こそ正義のこの世界では、「出させない」俺のやり方は、よほど目障りらしい。


 リーゼが、剣の柄に手をかけたまま、低く言った。


「ボルツは、私を追放した男だ。……才能が枯れたと言って、私を、テオを、何人もの若いやつを使い潰してきた。あいつがお前を名指ししたということは──」


「ああ」と俺は静かに応じた。


 蝋燭一本の灯を取り戻したばかりのニーナが、奥でこちらを見つめている。その小さな光を、もう二度と、誰にも搾り取らせはしない。


「使い潰す側が、ようやく俺に気づいた、ってことだ」


最後までお読みいただき、ありがとうございます。

「邪法の呪術師」と名指ししてきた副団長ボルツ。彼が使い潰してきたのは、リーゼだけではありませんでした。次回「第7話 使い潰される若者」では、その犠牲者のひとり、若手騎士テオが、隠れて治療院の戸を叩きます。

面白いと思っていただけたら、ブックマークと評価で背中を押していただけると、巡りがよくなります。次回もどうぞ、力を抜いてお待ちください。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ