第5話 枯れた天才魔法使い
リーゼが魔物を一蹴して以来、辺境の庵には妙な客足がついた。
肩の張った木こり、咳の止まらない老婆、馬に蹴られた行商。俺はそのどれにも「肩、凝ってませんか?」と尋ねてから手をかけ、ガレンに借りた治療院の板間で、銀の鍼ケースを開いては閉じる毎日を送っていた。
外で薪を割る音が止んだ。リーゼが顔を出す。
「ソウマ。妙なのが来た」
「妙なのは見慣れてるが」
「いや、これは……お前向きだ」
戸口に立っていたのは、雨に濡れた仔猫のような少女だった。
歳は十代の半ば。宮廷魔法使いの見習い装束を着てはいるが、襟も裾もくたびれて、背中は丸まり、視線は俺の足元あたりをうろついている。両手で杖を抱きしめ、まるでそれだけが自分を立たせているかのようだった。
「あの……ここに、変な治療をする人がいるって……ち、違ったらすみません、すぐ帰りますので」
「変な治療なのは合ってる」俺は板間を指した。「座れ。立ったままじゃ、診るものも診えない」
「で、でも、わたし、お金が……」
「金の話は治してからだ。それに、来た時点でもう半分はうちの客だ。雨に濡れたまま帰されたら、こっちの寝覚めが悪い」
少女は身を縮めて上がり込み、膝を抱えるように座った。
「ニーナ・ホルツって、いいます。宮廷魔法使いの……見習いの、出来損ないです」
「名乗りに肩書きで自分を殴るな。疲れる」
「す、すみません」
「謝るのもやめろ。倍疲れる」
ニーナは口をつぐみ、上目遣いに俺を見た。その目だけは、妙に澄んで、よく回る。卑屈さの奥に、ひどく鋭いものが沈んでいる。
「で、何に困ってる」
「……魔力が、一滴も湧かないんです」
ニーナは杖の先に意識を集めるような仕草をした。本来なら、淡い光がそこに灯るのだろう。だが何も起きない。彼女自身がいちばん、その何も起きなさに慣れている顔をしていた。
「十二で宮廷に上がりました。詠唱を覚えるのが誰より早くて、出力も大きくて……『百年に一度の天才』って、偉い人たちが」
「いい話に聞こえないな」
「最初は、嬉しかったんです。期待されてるって。だから応えたくて、毎日、できるかぎりの大きな魔法を出して……それを、また誰かが数字に書き留めて。その数字が前の日より低いと、みんなの顔が曇るんです。だから、絶対に下げちゃいけないって」
「下げちゃいけない、か」
「二年で、枯れました」
ニーナは膝の上で指を握った。
「ある日、ぱたっと。火種を出そうとしても、灰しか出ない。魔法医長さまに診ていただいて……『才能が尽きた』って。生まれ持った器の分を、早く使い切っただけだと。だから、これはもう、治らないんです。誰にも治せない病ですらない。ただの、終わりなんです」
リーゼが戸口で腕を組み、低く言った。
「私も、同じことを言われた」
ニーナがびくりと顔を上げる。
「才能が枯れた、とな」リーゼは右腕をひと振りした。風を斬る、迷いのない動き。「だが今、私はこうして剣を振れている。──こいつのおかげでな」
俺は床に膝をつき、ニーナの手首に指を当てた。
「ちょっと触るぞ。痛くはしない」
脈に触れる。経絡の流れを、指先で“聴く”。
リーゼのときは、焼け焦げて滞った経絡が、熱を持って轟いていた。酷使しすぎて詰まった、ズーンと重い淀み。だがニーナのそれは、まるで違った。
響かない。
手首の奥に、流れがほとんど感じられない。経絡そのものは焼けていない。ただ、巡るべき気が、スカスカに薄い。からからに乾いた井戸を覗き込んでいるような――そういう手応えだった。
(……これは、焼けじゃない。涸れだ)
俺は反対の手首も診た。同じだった。
「ニーナ。お前、出力を絞ってたな」
「……え?」
「大きな魔法を出すのを、ある時期から急にやめただろう。怖くて。失敗するのが、見限られるのが」
ニーナの肩が跳ねた。図星の音だった。
「……だって、一度でも下手を打ったら、もう次はないって。みんな、私の数字しか見てなかったから。だから、確実に出せる分だけを、何度も何度も、ずっと――」
「絞り続けた、か」
俺は手を離し、膝の上で組んだ。
「いいか。お前の経絡は焼けてない。リーゼとは別系統だ。お前のは、気虚――枯れだ。器が小さいんじゃない。井戸が枯れてるだけだ」
「同じじゃないですか。湧かないんだから……」
「全然違う。器が小さいなら、もうどうしようもない。だが井戸が枯れてるのは、汲み方と休ませ方の問題だ」
「汲み方……」
「井戸ってのはな、汲んだそばから、地の下の水脈がゆっくり満たしていくもんだ。汲みすぎず、涸らしすぎず、休ませながら使えば、水は尽きない。だがお前は、満ちる暇も与えずに、毎日底をさらうように汲み続けた。挙句、底が見えてからは、怖くなって柄杓を小さくした。少しずつ、確実に汲める分だけ。──それじゃあ水脈は、いつまでも目を覚まさない」
俺は前世で、何度もこの手の身体を診てきた。出し惜しみして縮こまった選手を。本番で失敗するのが怖くて、練習でも全力を出せなくなった、才能のある若者を。力がないんじゃない。力の出し方を、恐怖が握り潰しているだけだ。眠った水脈は、正しく揺さぶってやれば、また湧く。
(……俺はこの感覚を知ってる。前世で、嫌というほど。だから、見過ごせない)
「教えてくれ。お前を診た魔法医長ってのは」
「ヘルマン・ガイストさまです。回復魔法では、国でいちばんの……」
ガレンが奥の棚を整理する手を、ぴたりと止めた。何も言わずに、また動かす。妙な間だった。
俺はその名を頭の隅に置いて、別のことを尋ねた。
「お前みたいなのは、宮廷に他にもいるのか。早くに『枯れた』って言われて、消えていった連中は」
ニーナは少し考えてから、声を落とした。
「……騎士団のほうでは、よく聞きます。副団長のボルツさまが鍛えた精鋭が、ある日ぱったり力を失くして、表に出てこなくなるって。『英雄の寿命だ』って、みんな言ってますけど」
「英雄の寿命」
「強い人ほど、早く燃え尽きる。授かった分を、早く使い切るから。……そういうものなんだ、って」
俺は黙った。
リーゼ一人なら、不運で済む話だった。だが、ここにもう一人いる。同じ「枯れた天才」が。しかも騎士団では、もっと大勢が同じように消えているという。ボルツとかいう男の手元で。
(一人なら、偶然だ。二人なら、たまたまだ。だが大勢が、同じ場所で、同じように焼けて消えてるなら――)
それはもう、運じゃない。誰かが、そういう使い方をしている。
「ソウマ」リーゼが俺の顔を見て、眉をひそめた。「妙な顔をしているぞ」
「いや」俺はかぶりを振った。「ちょっと、嫌な算盤が合いそうになっただけだ」
まだ確かめようがない。今は、目の前のこいつだ。
ニーナは膝を抱え直し、ぽつりと言った。
「先生……わたし、ここまで来て言うのもなんですけど。たぶん、無駄足でした」
「なんでだ」
「だって、わたしはもう、空っぽなんです。リーゼ様は元から才能があって、それが焼けただけ。でもわたしは、最初から大した器じゃなくて、それすら使い切って――」
「いや」
俺は彼女の言葉を、静かに断ち切った。
「お前は空っぽじゃない。蛇口が錆びてるだけだ」
お読みいただきありがとうございました。
「空っぽ」と「蛇口が錆びてる」は、似ているようでまるで違う――ソウマがそう言い切る根拠を、次回ようやく鍼が証明します。次回、第6話「魔力は出力じゃない、巡りだ」。錆を落としたとき、ニーナの杖に何が灯るのか。
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