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第10話 才能は枯れない、潰されただけだ

「インチキだ! 仕込みだ!」


ボルツ・ガルムの怒号が、訓練場の石壁に跳ね返った。


たった今、立てなかったはずのテオが、訓練用の太刀を全盛で振ってみせたばかりだ。観衆の騎士たちが息を呑んだその直後、副団長はまるで自分の足元が崩れたかのように、声を裏返して叫んでいた。


「そいつは初めから元気だったんだ! 病人の振りをさせて、辺境の詐欺師がひと芝居打っただけだ。──おい、誰か、この男を捕らえろ!」


誰も動かなかった。


テオの太刀筋を、この場の全員が見ている。仕込みでどうにかなる速さではないことも、騎士なら分かる。動かない部下たちを見て、ボルツの顔がさらに赤黒く染まった。


俺は、銀の鍼ケースをゆっくりと閉じた。


「仕込み、ね」


努めて静かに言う。怒鳴り返したりはしない。怒鳴り合いになれば、声の大きいほうが勝つ。だが俺が崩したいのは、声じゃない。事実のほうだ。


「副団長。テオの不調が芝居だったというなら、ひとつ訊かせてくれ。──こいつの右肩の経絡(けいらく)が、内側からどう焼けていたか、あんたは知ってたか?」


「な……」


「知らないだろう。あんたは部下の身体を、出力でしか見たことがないんだから」


俺はテオの肩に手を置いた。さっきまで石のように固まっていた肩だ。


「テオ。すまんが、もう一度だけ脱いでくれ。今度は、皆に見せるためだ」


テオは戸惑いながらも、訓練着の右肩を寛げた。施術の前、俺がここに鍼を立てたときの所見を、観衆に向けて指でなぞる。


「ここ。肩の奥から肘へ抜ける経絡が、一本、黒く焦げたみたいに滞っていた。──騎士諸君、自分の右肩を握ってみてくれ。テオと同じ訓練を積んできた者なら、思い当たるはずだ。素振りのあと、肩の奥がじんと重く痺れて、夜に熱を持つ。あれだ」


ざわ、と空気が揺れた。


何人かの若い騎士が、無意識に自分の右肩へ手をやっている。心当たりが、ある顔だ。


「それは凝りじゃない。ましてや甘えでもない。経絡が酷使で焼け始めた、れっきとした魔力焼けの初期だ。放っておけば、いずれリーゼ殿と同じになる。剣が、振れなくなる」


リーゼが、壁際から一歩前に出た。誇り高い竜騎士が、観衆へ向けて、自分の右腕を高く掲げてみせる。


「私がそうだった」と、リーゼははっきり言った。「『紅の竜乙女』と讃えられたこの腕が、ある日、鉛のように重くなった。聖女のハイヒールで傷は塞がれ、『完治した』と言われた。なのに剣が振れない。──そのとき副団長は、私になんと言った?」


ボルツの喉が、ひゅっと鳴った。


「才能が枯れた、と。代わりはいくらでもいる、と。そう言って、私を追放した」


「言いがかりだ!」ボルツが吼える。「治らんものが治らんだけだ! 私の責任ではない!」


「治らないんじゃない」


俺は、ケースから一枚の紙片を抜いた。テオを診たときに書き取った、経絡の所見だ。


「治し方を、誰も知らなかっただけだ。──そして副団長。ここからが本題だ」


俺は訓練場の隅へ視線を送った。そこには、テオの他にも、俺がこの数日のうちに庵で診た若手騎士が三人、肩を落として座っている。皆、テオと同じく「弱音を吐けば切られる」恐怖で限界を隠していた連中だ。


「俺はこの三人も診た。診て、ぞっとした。──全員、焼けている場所が同じなんだ」


「同じ……?」


誰かが、つぶやいた。


「ああ。右肩の奥から肘へ。一本残らず、寸分違わず同じ経絡が、同じように焦げている。病なら、こうはならない。人によって焼ける場所は違うはずだ。なのに揃いも揃って同じということは──」


俺は紙片を掲げた。


「これは病じゃない。同じ訓練を、同じやり方で、限界まで押しつけられて生じた焼けだ。一人や二人なら不運で済む。だが、テオを入れて四人。寸分違わず同じ焼け方をしていたら、それはもう、運じゃない」


訓練場が、しん、と静まった。


「人災だ。──全部、あんたの運用が焼いた跡だ、ボルツ副団長」


ボルツの顔から、血の気が引いていく。赤黒かった頬が、今度は紙のように白い。


「で、でたらめを……経絡など、目には見えん。お前が勝手にそう言っているだけだ──」


「見えないものを、見えると言い張ってるわけじゃない」


俺は鍼ケースの留め具に指をかけた。


「証明できる。今ここで、あんたの右肩を診せてくれ」


ボルツの動きが、止まった。


「……何?」


「副団長。あんた、若い頃に第一線で名を馳せたそうだな。だが、ある時期からぱたりと現場を退いて、訓練を仕切る側に回った。──不思議だったんだ。現役を退くには、早すぎる歳だった」


俺は一歩、ボルツへ近づいた。


「さっきから、あんた、右腕をかばってる。怒鳴るときも、剣の柄じゃなく左手で卓を叩いた。右肩の上げ方が、ほんの少し、おかしい」


ボルツの左手が、反射的に右肩を覆い隠した。その仕草こそが、何よりの答えだった。


「あんたも、焼けてるんだろう。ずっと前に。──だから現場を退いた。退いた本当の理由を隠して、出世した」


「黙れ……っ」


「あんたは知ってたんだ。最初から。魔力焼けが『才能の枯渇』なんかじゃないことを。自分がそれで一線を退いたんだから、知らないわけがない。知っていて、部下に同じことをやらせた。そして壊れたら、自分が言われたのとは逆に、『才能が枯れた』と切り捨てた」


ボルツの膝が、かくりと落ちた。


「自分が一番怖いものを、部下に押しつけてたんだ。あんたの苛烈さは──ただの、怯えだ」


返す言葉が、なかった。


副団長は床に膝をついたまま、覆い隠した右肩を、わななく手で握りしめている。観衆の騎士たちの目は、もう恐怖でも嘲りでもない。理解と、静かな怒りだった。


古参の騎士──ヴェントが、重い足取りで進み出た。右目の上の古傷が、夕の光に深く翳る。


「ボルツ。……団長へ、すべて報告させてもらう。お前が握りつぶしてきた、若手の不調の記録ごとな」


その日のうちに、副団長ボルツ・ガルムの更迭が決まった。


罵声ひとつ飛ばなかった。誰も殴らなかった。ただ、焼かれた経絡という消せない事実が、彼の積み上げた権威を、内側から静かに崩しただけだ。


俺はテオと、診た三人に向き直った。


「お前たちは、枯れてない。潰されただけだ。才能ってのはな、そう簡単に枯れるもんじゃない。──ちゃんと整えてやれば、必ず戻る」


テオが、ぐしゃりと顔を歪めて、頭を下げた。隣の三人も、つられたように深く頭を垂れる。リーゼが、その肩をひとりずつ、無言で叩いていった。


引き揚げる間際だった。


俺の横を、力なく通り過ぎようとしたボルツが、ふと足を止めた。更迭を告げられ、肩の落ちたその背中が、低く、絞り出すように言う。


「……勘違いするな。私が好きで、若いやつを焼いたわけじゃない」


「ボルツ──」


「上が、英雄をそう使えと言うんだ」


吐き捨てるような声だった。憎しみでも、言い訳でもない。もっと深い、諦めのような響き。


「『壊れたら補充すればいい』──そう言って、英雄を数で数えるお方が、王都にいる。私はただ、その通りに回しただけだ。私を切ったところで、なにも変わらん。次の私が、また同じことをやる」


ボルツの視線が、訓練場の屋根の向こう、王都のほうへと向けられた。権威ある医長と、その上に座すという一人の伯爵。英雄を資源と数える、顔の見えない誰か。


「せいぜい、気をつけることだな。針の男。……お前が相手にしてるのは、私みたいな小物じゃない」


そう言い残して、ボルツは去っていった。


俺は、王都の方角に沈んでいく夕陽を、しばらく見ていた。


潰す側を、ひとり崩した。けれど、その背後でボルツに「そう使え」と命じた誰かは、まだ顔も見せていない。使い潰される若者は、ボルツが消えても、きっとまた湧いてくる。


──病じゃない。仕組みだ。


その予感が、夕陽の色をして、胸の奥にじんと残った。


最後までお読みいただき、ありがとうございます。

事実だけで副団長を崩した、第2章のクライマックスでした。けれど去り際のボルツが遺した言葉のとおり、英雄を「数」で使う本当の相手は、王都にいるようです。次回「第11話 王都からの召喚状」では、辺境の騒動を聞きつけた王都の権威が、ついにソウマへと手を伸ばしてきます。

面白いと思っていただけたら、ブックマークと評価で背中を押していただけると、巡りがよくなります。次回もどうぞ、力を抜いてお待ちください。


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