第11話 王都からの召喚状
「……上が、英雄をそう使えと言うんだ」
更迭の間際、ボルツが吐き捨てたその一言が、しばらく俺の頭に残っていた。
副団長の失脚で、辺境の騎士団は静かになった。使い潰されかけていたテオも、いまは無理のない範囲で剣を振っている。一件落着、と言いたいところだ。
だが、あの男の最後の視線が、嫌に引っかかっていた。あれは、自分を切り捨てた誰かへの恨みの目だった。ボルツでさえ、もっと上の何かに使われていた──そんな目だ。
霧の森に、その「上」からの返事が届いたのは、それから十日ほど後のことだった。
「ソウマ。王都から、使者だとさ」
ガレンが治療院の戸口で、苦虫を噛み潰したような顔をしていた。普段から不機嫌が服を着て歩いているような老治療師だが、その朝の渋面は、いつもと種類が違った。
「使者? 俺に?」
「ご丁寧に、騎士まで連れてな。うやうやしく巻物を抱えて立っとる」
戸の外には、磨き上げた鎧の騎士が二人。その間に、王宮の紋を背負った文官がひとり、堅苦しい顔で立っていた。文官は俺の姿を認めると、巻物を恭しく広げ、抑揚のない声で読み上げた。
「辺境にて魔力経絡を操る治療師ソウマに告ぐ。宮廷魔法医長ヘルマン・ガイスト殿の命により、王都中央医療院へ召喚する。その術理、邪法にあらざるかを検分するものなり。供は二名まで許す。──以上」
俺は巻物の文面を、もう一度頭の中でなぞった。
「検分、ねえ」
言葉は丁寧だ。だが中身は、はっきりしている。「お前のやっていることが、まともな医術か、それとも人を惑わす邪法か、こっちで裁いてやる」。そう言っているに等しい。
「行く義理はない、と突っぱねることもできるぞ」
ガレンが低く言った。
「だが、突っぱねれば、それこそ『やましいから逃げた』と触れ回られる。辺境にいるうちは無視できても、王都が『邪法』と名を打てば、お前の患者が次に困る。……厄介な打ち方をしてきよる」
「そういうことか」
体よく断れない形にして、王都の土俵に引きずり出す。検分という名の、見せしめだ。辺境の片隅で潰れた英雄を起こしているうちはよかったが、その評判が王都に届いてしまった以上、権威の側は俺を放っておけないらしい。
俺が呼ばれるんじゃない。針が呼ばれているんだ。回復魔法でなければ治せないはずの病を、別のやり方で治す者が現れた──それが、王都のどこかの誰かにとって、よほど都合が悪いということだ。
「ヘルマン・ガイスト、か」
俺がその名を口にした途端だった。
ガレンの皺だらけの手が、卓の上で、ぴくりと固まった。
「……ガレン?」
「いや」
老治療師は短く首を振った。だが、その目の奥に、一瞬よぎったものを、俺は見逃さなかった。怒りでも、軽蔑でもない。もっと古くて、もっと深く沈んだ──痛みのようなものだった。
「ソウマ。ひとつだけ言っておく」
ガレンは、いつもの毒舌の調子を捨てて、低く、絞り出すように言った。
「王都には、いろんな手合いがいる。傲慢な権威も、保身に走る医官も、腐るほどな。だが──あの男だけは、やめておけ」
「あの男ってのは、ヘルマンのことか」
「回復魔法こそ唯一の正しさだと、心の底から信じきっとる男だ。だからこそ、たちが悪い。あいつは、自分が治せない病を、病と認めん。治せんものは、はじめから存在せん。そういう理屈で、いままで何人もの──」
ガレンはそこで言葉を切った。続きを飲み込むように、ぐっと喉を鳴らして。
「……いや。よけいなことを言った。とにかく、あの男の土俵で正面からやり合うな。逃げ道を、常に背中に残しておけ」
これ以上は何を聞いても答えない、という顔だった。だが、それで十分だった。ガレンとヘルマンの間に、何かがある。たぶん、ずっと昔に。その「何か」が、この偏屈な老人の背中を、いまも重くしている。
──だが、それを今、無理に開かせる気はなかった。経絡と同じだ。固まった滞りは、力ずくで貫けば、かえって本人を傷つける。
「分かった。逃げ道は残す。……でも、行くよ」
「正気か」
「気になることがあるんだ」
俺は卓の上の触書を指で叩いた。
「ボルツは最後に言った。『上がそう使えと言うんだ』ってな。辺境で英雄を使い潰してた仕組みの、その上が王都にある。だったら、一度この目で見ておきたい。回復魔法が万能だってことになってる、その大本をな」
俺がそう言い終わるより早く、奥から声が飛んできた。
「私も行く」
リーゼだった。腕を組み、当然という顔で戸口に立っている。
「お前を王都の権威どもの前に、ひとりでやれるか。……それに、私は王都に借りがある。追放されたときの、な」
「物騒な借りだな」
「返すとは言っていない。ただ、見届けるだけだ」
その背後から、おずおずと、もうひとつ小さな顔が覗いた。ニーナだ。痩せた指で、自分の袖口をぎゅっと握っている。
「あ、あの……私も、連れて行ってください」
「ニーナ。王都は、お前を干した連中のいる場所だぞ」
「だから、です」ニーナは、卑屈に丸まりかけた背中を、それでも懸命に伸ばした。「私、王都の医療院のこと、見習いだったから知ってます。中の道も、医官の名前も。……それに、もう、隠れて空っぽになってる子を、見たくないんです。あなたが教えてくれた『養生』を、あの場所に、持っていきたい」
蝋燭一本ぶんの灯を取り戻した少女が、その小さな光を、今度は人のために使おうとしている。
俺は思わず、片頬で笑った。
「供は二名まで、だったな。ちょうどいい」
王都へ向かう馬車の中で、ガレンの渋面が、ずっと頭の片隅にあった。あの男だけはやめておけ。導き手がそこまで言う相手。回復魔法こそ唯一の正しさ、と信じきった権威。
会えば分かる、と思った。経絡を診るのと同じだ。会って、見立てれば、その男がどこで固まっているのか、たいてい分かる。
そうして俺たちは、五日かけて、王都へ着いた。
中央医療院は、白い石を高く積み上げた、神殿のような建物だった。回廊には回復魔法の使い手が行き交い、淡い光があちこちで瞬いている。傷を塞ぐ光。痛みを覆い隠す光。──ここでは、それだけが医術だった。
奥の広間に、その男はいた。
豪奢な医長衣をまとった、白髪の老人。背筋は鉄の棒でも入っているように伸び、こちらを見下ろす目には、長く権威の座にあった者だけが持つ、冷たい確信があった。宮廷魔法医長、ヘルマン・ガイスト。
俺は腰を低く、形どおりの礼をした。そして、招かれるまま、診察台のある一室へ通された。
「噂の、辺境の針師か」
ヘルマンは俺を見もせず、長い指を組んだまま言った。
「見せてみよ。お前が、人の身体に何をしているのかを」
俺は背負っていた荷を解き、卓の上に、ひとつの小箱を置いた。蓋を開ける。冷たい光を返す、細い銀の鍼が、行儀よく並んでいた。リーゼを起こし、ニーナに灯をともし、テオを救った、俺の道具だ。
その瞬間だった。
ヘルマンの組まれていた指が、わずかにほどけた。彼は、針の並んだケースを、ほんの一瞥した。たった、それだけ。手に取ることもなく、俺に何を問うこともなく。
そして、長い沈黙のあとで、確信に満ちた声で、こう言い放った。
「──邪法だな」
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
針を一目見ただけで「邪法」と断じた宮廷魔法医長ヘルマン。回復魔法こそ唯一の正しさと信じきった権威に、ソウマはどう向き合うのか。次回「第12話 回復魔法は万能ですか」では、いよいよ二人の理がぶつかります。そして、ガレンがあの男を「やめておけ」と言った理由も、少しずつ姿を現します。
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