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第12話 回復魔法は万能ですか

「邪法だ」


王都の医療院。白を基調とした広間の中央で、宮廷魔法医長ヘルマン・ガイストは、俺の銀の鍼ケースを一瞥しただけで、そう言い放った。


老いてなお背筋の伸びた、痩身の男だ。豪奢な医衣の襟には、回復魔法の位階を示す金の徽章がいくつも連なっている。その目は、虫の死骸でも見るように冷たかった。


「人の身体に、鉄の針を突き立てる。経絡(けいらく)などという、ありもせぬ道筋を勝手にこじ開ける。――聞けば辺境では、それで英雄が蘇っただのと騒いでいるそうだが」


ヘルマンは、ふっと鼻で笑った。


「偶然だ。あるいは、暗示の類だな。治った気になっているだけの、気の迷いだよ」


俺の後ろで、リーゼが一歩踏み出そうとするのが気配で分かった。袖を引いて止める。ニーナは縮こまったまま、それでも俺の背中を見上げている。


「気の迷い、ですか」と俺は言った。「俺の鍼で右腕の出力を取り戻した竜騎士が、今ここに立ってますが」


「ならば、最初から治っていたのだ」ヘルマンは即答した。「回復魔法で完治した者の不調など、本人の弱気に過ぎん。剣が振れぬのは、心が折れたから。それを針の暗示で奮い立たせただけのこと」


なるほど、と俺は内心で唸った。


理屈が、見事に閉じている。負けようのない論法を、この男は何十年も磨き上げてきたのだろう。


「治せない病は、すべて〈気の病〉だ」


ヘルマンは、まるで聖典の一節を諳んじるように言った。


「身体は、回復魔法で必ず治る。それでも苦しむと言うなら、それは身体ではなく、心の弱さ。患者が己の弱さと向き合えぬのを、なぜ我ら医者の責とするのか。――気の病に、針も薬もいらん。必要なのは、本人が立ち直る覚悟だけだ」


広間に居並ぶ医官たちが、深くうなずいた。誰一人、疑う顔をしていない。


ぞっとした。


治せなかった患者を一人残らず「心の弱い者」に仕立て上げれば、医者は一度も負けずに済む。匙を投げたことすら、患者のせいにできる。


俺の前世にも、似た言葉はあった。検査で異常が出なければ「気のせい」「ストレスでしょう」。そう言われて見放され、本当は身体が悲鳴を上げていた人間を、俺は嫌というほど見てきた。


「――よく言うものだ」


不意に、しわがれた声が割って入った。


俺の隣で、ずっと黙していた老人。辺境からここまで付き添ってきた、導き手のガレンだった。普段は毒舌でこちらを煙に巻く老治療師が、今は石のような顔で、ヘルマンを睨み据えている。


ヘルマンの眉が、わずかに動いた。


「……ガレンか。生きていたとはな」


「貴様の目の届かぬ辺境で、雑草のようにな」


二人の間に、見えない火花が散った。リーゼが訝しげに俺を見る。俺にも、事情は飲み込めていなかった。


「ソウマ」とガレンは、こちらを見ずに言った。「この男はな、四十年前、わしの師を潰した男だ」


「師、を……?」


「わしの師は、古い時代の医者だった。針ではないが、巡りを診て、養生を説いた。回復魔法が万能ではないと、誰より早く気づいていた人だ。――だが、その正しさが、こいつには都合が悪かった」


ガレンの拳が、震えていた。


「ヘルマン。貴様は師を公の場で〈邪法の徒〉と糾弾し、医籍を奪った。師が看ていた患者たちは、すべて〈気の病〉として切り捨てられた。……治せたはずの者が、何人も死んだ。貴様の権威を守るために」


ヘルマンの表情は、微塵も揺るがなかった。


「治せなかったのではない。患者が心の弱さに負けただけだ。私は何も間違っていない」


「――そうやって!」


ガレンが声を荒げた。普段の飄々とした老人からは、想像もつかない激情だった。


「そうやって、何もかも患者のせいにしてきた。回復魔法で塞いだ傷の奥で、経絡が焼け爛れていく者たちを、貴様は〈気の弱い者〉と呼んで見殺しにしてきたのだ。四十年、ずっとだ!」


広間が、しんと静まり返った。


俺は、ようやく腑に落ちた。ガレンが王都行きを渋ったのも、「あの男だけはやめておけ」と言ったのも、これが理由だったのか。この老人は、自分の師を潰した男の前に、四十年ぶりに立っている。


俺は、静かに一歩前へ出た。


「ガイスト殿。ひとつ、訊いていいですか」


ヘルマンの冷たい目が、俺に戻る。


「回復魔法は、万能ですか」


広間がざわついた。医官の一人が「無礼な」と気色ばむ。だがヘルマンは、片手でそれを制した。


「万能だとも。神より賜りし癒やしの理。塞げぬ傷はなく、繋げぬ骨はない」


「外傷は、ね」と俺は応じた。「裂けた肌を塞ぐ。折れた骨を繋ぐ。それは確かに、見事なものだ。俺の鍼にできないことを、回復魔法はやってのける。――そこは、認めます」


ヘルマンが、わずかに虚を突かれた顔をした。


「だが、酷使で焼け切れた経絡は、塞げない。傷口じゃないからだ。すり減って、巡りが止まった内側の道。あんたの魔法は、その上に蓋をする。傷は消えたように見える。だが奥では、焼けが広がり続けてる」


俺は、自分の右腕をとんと叩いた。


「その患者が『まだ身体が重い』と訴えたら、あんたは言うんでしょう。それは気の病だ、心が弱いだけだ、と。――治せないものに名前をつけて、患者の心のせいにすれば、回復魔法は永遠に万能のままだ。便利な言葉ですよ、〈気の病〉ってのは」


ヘルマンの頬が、ぴくりと引きつった。初めて、感情らしきものが動いた。


「……小僧。貴様、何が言いたい」


「言いたいことは、ひとつです」


俺はヘルマンの目を、まっすぐに見返した。


「あんたが〈気の病〉と切り捨ててきた患者の中に、本当は治せた者が、いたんじゃないですか」


時が、止まったようだった。


ガレンが息を呑む。リーゼとニーナが、固唾を飲んで成り行きを見守っている。居並ぶ医官たちの顔から、笑みが消えていた。誰も、この問いに笑って答えられなかった。


ヘルマンの拳が、医衣の裾を握りしめた。骨の浮いた、老いた拳だった。


長い沈黙のあとで、ヘルマンは口を開いた。声は、低く、しかし揺るがなかった。


「面白い」


笑っていなかった。むしろ、その目には、隠しきれない怒りと――そして、ほんのわずかな怯えが滲んでいた。四十年守り抜いた城壁の、礎を一突きされた者の顔だった。


「辺境の針師。貴様の戯言、一度だけ聞き届けてやろう」


ヘルマンは、医衣を翻した。金の徽章が、冷たく光を弾く。


「ならば、公開査問の場で証明せよ。貴族と医官の居並ぶ前で、回復魔法で治せぬ患者を、その針で治してみせろ。――治せねば、邪法の徒として、王都から追放だ」


最後までお読みいただき、ありがとうございます。

「治せねば追放」――ヘルマンが用意したのは、回復魔法でも針でも治らぬはずの、ひとつの難症例。逃げ場のない公開の場で、ソウマは何を見立てるのか。次回「第13話 査問の鍼」、いよいよ権威との直接対決が始まります。

面白いと思っていただけたら、ブックマークと評価で背中を押していただけると、巡りがよくなります。次回もどうぞ、力を抜いてお待ちください。


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