第13話 査問の鍼
「ならば公開査問の場で証明せよ。治せねば追放だ」
ヘルマン・ガイストのその一言が、たった二日で形になった。
王都の医療院、その中央に設えられた円形の広間。本来は重病人を運び込むための場所だというが、今日ばかりは趣が違う。すり鉢状にせり上がった見物席に、貴族と医官がぎっしりと居並んでいる。絹の衣擦れ、扇の動き、ひそやかな囁き。値踏みするような視線が、円の底に立つ俺ひとりへ、雨のように降ってくる。
「これはまた、ずいぶんと盛況だな」
俺は銀の鍼ケースの留め金に指をかけたまま、見上げてつぶやいた。隣でリーゼが、剣の柄に手を添えて低く唸る。
「見世物のつもりだ。お前が恥をかくのを、肴にしようという連中だよ」
「先生……気を、強く持ってください」
ニーナが俺の袖を、きゅっと握った。卑屈な仔犬だった頃の癖だ。怖いと、無意識に近くのものを掴む。俺はその手を、ぽんと軽く叩いてやった。
「大丈夫だ。俺は、ここに患者を診に来た。それ以外のことは、知らん」
そう言ってはみたが、正直、いい気分はしない。
ここは病人を救うための場所のはずだ。それが今日は、人ひとりを吊るし上げる舞台に化けている。この熱気は、闘技場のそれだ。誰かが負けるのを見たい人間の、品のない期待で空気が湿っている。
ガレンの言葉を思い出す。出発の前夜、あの偏屈な老治療師は、めずらしく真顔で俺の肩を掴んだ。あの男だけはやめておけ、と。ヘルマンは、治せぬ病を病人のせいにして権威を守ってきた男だ。お前の針が本物であればあるほど、あいつはお前を潰しにかかる、と。
その忠告の意味が、この広間に立った今、ようやく腹に落ちた。
円の正面、いちばん高い席に、ヘルマンがいた。豪奢な医長の法衣をまとい、両手を組み、薄く笑っている。回復魔法至上主義の権威。ガレンの古法を「邪法」と断じて潰した男。その目は、俺を一匹の虫けらほどにも見ていない。
「集まっていただき、感謝する」
ヘルマンが、よく通る声で口を開いた。
「ここに、辺境より参った針の使い手がいる。回復魔法の理を歪め、人の経絡を勝手にいじくり回す——世に言う、邪法の呪術師だ。本日は、その術が真に人を癒やすものか、それともただの惑わしか、皆々様の御前で検分いたす」
ざわり、と見物席が波打った。嘲りと好奇の入り混じった、嫌な熱だ。
「検分の方法は、至って簡単」
ヘルマンが、ぱちりと指を鳴らした。
広間の奥の扉が開き、寝台が運ばれてくる。その上に横たわっているのは、白髪の老人だった。痩せて、頬がこけて、ぴくりとも動かない。けれど死んではいない。落ちくぼんだ眼窩の奥で、濁った目だけが、天井をぼんやりと見つめている。
「この者は、かつて王国に名を轟かせた騎士、ヴェルナーだ」
ヘルマンの声に、わずかな同情の色が混じる。だがそれは、観客に聞かせるための芝居の同情だ。
「十年前の討伐で深手を負い、私が回復魔法で治した。傷は完全に塞いだ。骨も繋いだ。だが——この男は、それきり寝台から起き上がれぬ。手足は萎え、口もきけぬ。私とて、これ以上は手の施しようがない」
ヘルマンが、ゆっくりと俺を見下ろした。
「私の回復魔法でも、治せなかった。さあ、邪法の使い手よ。お前の針とやらで、この者を治してみせよ。立たせてみせよ。——できねば、お前の術は、口ばかりの惑わしということだ」
罠だ。すぐに分かった。
回復魔法でも治らない。鍼でも治らない。十年寝たきりの老騎士。誰が手を出しても「治らなかった」という結末しか出ないように、慎重に選び抜かれた一手。ここで俺が施術して、ヴェルナーが立ち上がらなければ——それで終わりだ。邪法は嘘でした、追放です、めでたしめでたし。
見物席が、にやにやと俺を見ている。
「どうした、針の男。さっきまでの威勢はどこへ行った」
「治せぬのなら、そう言えばよかろう」
「辺境の流れ者が、王都の医長に逆らうからこうなるのだ」
ヤジが降ってくる。リーゼが顔を赤くして何か言い返そうとするのを、俺は手で制した。
そして、寝台に歩み寄った。
「——ちょっと、診せてもらうぞ」
俺は老騎士の枕元に膝をつき、その手を取った。
冷たい。だが、ただ冷たいんじゃない。皮膚の下を流れるべきものが、滞っているんでも、焼けているんでもない。ニーナのときの「底が抜けた寒さ」とも違う。これは——もっと、奥が深い。
指の腹で、手首の脈を探る。か細い。だが、ある。腕を辿り、肩へ。経絡の道筋を、ゆっくりと指でなぞっていく。広間の喧騒が、すうっと遠のいた。ヤジも、扇の音も、ヘルマンの薄笑いも、全部どうでもよくなる。今、俺の世界には、この老人の身体しかない。
肩から、背中へ。腰へ。
見立てるんだ。治し方を考える前に、この身体が、何を抱えているのかを。
リーゼの竜焼けは、酷使で焼け切れた労損だった。ニーナの枯れは、絞り出され続けた気虚だった。ボルツに潰された若手たちは、限界を隠して壊れた者たちだった。——だが、この老騎士は、そのどれとも違う。
俺は、ヴェルナーの萎えた脚に触れた。
筋は落ちている。十年、動かしていないんだから当然だ。だが、経絡そのものは——死んでいない。焼けてもいない。枯れてもいない。ただ、巡る力が、自分でどこへ流れればいいのかを、忘れてしまっている。十年のあいだ、何ひとつ動かさずにいたせいで、身体が「動き方」そのものを手放してしまったんだ。
指先で、その滞りの“質”を確かめる。焼けた経絡は、触れれば熱を持って疼く。枯れた経絡は、底が抜けたように寒い。だがヴェルナーのこれは、どちらでもない。ぬるい。ただ、ぬるいんだ。流れる材料はちゃんとあるのに、水路に淀んだ水が、ゆるゆると同じ場所をまわっているだけ。堰を切ってやれば動く。だが、堰を切るのは俺の仕事で、そのあと水路を歩き直すのは、この老人自身の仕事だ。
俺が一本の鍼で塞いでやれる傷じゃない。それは、はっきりしていた。
前世で、何度も見た。手術は成功した、骨も繋いだ、けれど寝たきりのまま萎えていく身体を。傷が治ることと、また動けることは、別の話だ。塞いだあとに、こわばった身体をほどき、忘れた動きを思い出させてやる——その地道な作業を、俺たちは確かに知っていた。だが、この世界には、その地図がまるごと無い。
回復魔法で傷を塞いだあと、誰ひとり、この男に「動かし方」を教えなかった。塞いだら治る。それがこの世界の常識だから。塞いだあとに、萎えた身体をどう取り戻すか——その地図が、この国には、まるごと存在しない。
俺は、ふっと息を吐いた。
ヘルマンが、待ちかねたように声を上げる。
「どうした。匙を投げたか。治せぬと、認めるか」
俺は、老騎士の濁った目を、まっすぐに覗き込んだ。その奥に、まだ消えていない、かすかな光がある。生きたい、という光だ。十年寝たきりでも、まだ、消えていない。
「ヴェルナーさん」と、俺は静かに呼びかけた。
老騎士の目が、わずかに動いた。聞こえている。
俺は立ち上がり、銀の鍼ケースを開いた。冷たい光を返す鍼が、行儀よく並んでいる。その一本を抜き、指先でくるりと回した。見物席が、固唾を呑む。ヘルマンの薄笑いが、ほんの少しだけ強張った。
俺は、広間の全員に聞こえるように、はっきりと言った。
「あんたは、これを『治してみろ』と言ったな、医長殿」
「言ったとも。治せまい」
「ああ。あんたの言う意味では、確かに治せない」
ざわめきが起きた。やはり認めたぞ、という嘲笑の気配。だが俺は、それを断ち切るように続けた。
「だがな。あんたは、最初から問いを間違えてる」
鍼を、老騎士の経絡へ、そっとかざす。
「これは——“治す”病じゃない。本人に“整え方”を教える病だ」
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
治してみろ、という罠に、ソウマが返したのは「これは治す病ではない」という一言でした。万能の技で一発で治す——その期待を、ソウマはあえて裏切ります。次回「第14話 治せない、と言う勇気」では、治せないと正直に告げることが、なぜ場の空気を変えるのか。誠実さがひらく道を描きます。
面白いと思っていただけたら、ブックマークと評価で背中を押していただけると、巡りがよくなります。次回もどうぞ、力を抜いてお待ちください。




