表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
14/18

第14話 治せない、と言う勇気

「これは──“治す”病じゃない。本人に“整え方”を教える病だ」


俺がそう言った瞬間、居並ぶ医官たちの間に、ざわりと不審の波が走った。


王都の医療院、その中央に据えられた査問の台。寝かされているのは、長年寝たきりだという老騎士だ。痩せて、肌は土気色で、瞼を半分しか開けていられない。かつては魔物討伐の前線で槍を振るった男だと聞いたが、今はもう、自分で寝返りを打つこともままならない。


その枕元で、宮廷魔法医長ヘルマン・ガイストが、薄く笑った。


「ほう。“治す病ではない”、と来たか」白い長衣の裾を払い、彼は貴族たちのほうへ大げさに振り返る。「諸君、お聞きになったか。針の男は、治せぬと申しておる。──さんざん辺境で奇跡を起こしたと吹聴しておきながら、いざ本物の難症例を前にすれば、これだ」


笑い声が、ぱらぱらと貴族席から漏れた。


俺は、その嘲りを背中で受け流した。腹は立たない。


「ヘルマン殿。ひとつ、はっきりさせておく」


俺は老騎士の脈に指を当てたまま、顔を上げた。


「俺の鍼は、一発で何でも治る万能の技じゃない。傷を塞ぐ術でもない。回復魔法みたいに、唱えれば光が溢れて、はい完治、とはいかない」


医療院が、しんと静まった。


たぶん、この場の誰もが、俺がここで「治してみせます」と大見得を切ると思っていたんだろう。だが、俺は前世で見てきた。「絶対治る」と請け合った治療家が、治らなかったときどう恨まれるか。──治療は、博打の口上じゃない。


「言っておくが」と俺は続けた。「この御仁の身体は、長い時間をかけて歪んでしまっている。一度の施術で立って歩く、なんて派手なことは起こらない。期待しているなら、悪いが裏切ることになる」


リーゼが、壁際で小さく息を呑むのが分かった。


ヘルマンが、勝ち誇ったように両手を広げた。


「お聞きの通りだ。──治せぬ、と本人が認めた。これで査問は終いでよかろう。邪法は邪法。辺境の流れ者を、王都から追放──」


「待ってくれ」


俺は、老騎士の腕を、そっと持ち上げた。


「治せないとは言ってない。“一発では治らない”と言ったんだ。その二つは、まるで違う」


経絡(けいらく)はもう、さっき指で辿り終えている。焼けてもいない、枯れてもいない、ただ十年の寝たきりが巡りを淀ませただけの身体──気虚(ききょ)には違いないが、暮らしの歪みが、何年もかけて枯らしたんだ。見立ては、すでに腹に落ちていた。


だから俺は、診るのをやめて、語りかけた。


「あんた、若い頃、相当無理をしたな」と俺は老騎士に話しかけた。「右の肩から背中、ここに古い焼けの跡がある。槍を振る側だろう。痛みをこらえて、こらえて、こらえ続けた跡だ」


老騎士の半開きの瞼が、ぴくりと動いた。掠れた声が、漏れる。


「……分かる、のか。誰も……心の弱りだと、気の持ちようだと……」


「気の持ちようなんかじゃない。あんたの経絡に、ちゃんと刻まれてる。嘘はつかない」


俺は銀の鍼ケースを開いた。冷たい光を返す鍼の中から、いちばん細い一本を選ぶ。空っぽに近い身体に、太い鍼で響かせるわけにはいかない。これは灯し直す施術だ。呼び水を、そっと落とす。


「力を抜いてくれ。痛みは、ほとんどない。今のあんたに、痛みをこらえる体力は残ってないからな」


背骨の脇、巡りの源になるツボに、鍼をそっと置く。押し込まない。皮膚の表をかすめるように、俺自身の魔力を、細く流し込んでいく。涸れた井戸の底に残った、わずかな湿り気を呼び覚ますように。


老騎士の土気色の頬に、じわりと、血の気が差した。


「あ……」


「巡り始めた。だが、ここからが本題だ」


俺は鍼を置いたまま、医官たちのほうへ顔を向けた。声を、医療院の隅まで届くように張る。


「いいか。この一本で、巡りの呼び水は差した。だが、これだけじゃ、明日にはまた涸れる。なぜか。この御仁を寝たきりにしてるのは、病そのものじゃない。──寝たきりでいるしかなかった、暮らしのほうなんだ」


ざわめきが、また広がった。だが今度の色は、嘲りじゃない。戸惑いだ。


「だから俺は、この人に“整え方”を教える。鍼で巡りを起こしたら、次は本人だ」


俺は、寝台の脇に膝をついたまま、言葉を一つひとつ置いていった。


「陽の差すうちに起きて、無理のない範囲で手足を巡らせる。だるくても、ほんの少しでいい。動かした分、巡りが道を思い出す。そして夜は、しっかり身体を休ませる。休むのは、怠けることじゃない。明日また巡らせるための、立派な仕事だ」


俺は、この世界にない言葉を、あえて口にした。


養生(ようじょう)、っていうんだ」


医官の一人が、思わずといったふうに身を乗り出した。まだ若い、生真面目そうな顔つきの医官だ。


「……養生。それは、薬でも、魔法でも、ないと?」


俺は、ゆっくり頷いた。


「ああ。薬も魔法もいらない。本人の暮らし方が、いちばんの治療になる。回復魔法で塞いだ傷は、その場で治って見える。だが、塞いだだけで、酷使した中身は焼けたままだ。──治って見えることと、治ることは、違う」


俺は老騎士の脈に、もう一度指を当てた。さっきより、確かに芯が立っている。


「動かしすぎれば焼ける。休ませすぎれば涸れる。その境目を、この人自身が身体に訊けるようになるまで、隣で付き合う。今日はここまで、明日はもう半歩。それを、来る日も来る日も繰り返すんだ」


俺は顔を上げた。


「だから俺は、この場で“完治させた”なんて見得は切らない。──派手じゃないだろう。でもな、これがいちばん、人が長持ちする道なんだ」


しんとした医療院に、老騎士の、震える声が落ちた。


「……立てるように、なるか」


「保証はしない」と俺は正直に言った。「だが、立とうとするあんたを、整え続けることはできる。今日より明日、明日より明後日、少しずつだ。──やってみるか?」


老騎士の、半分しか開かなかった瞼が、ゆっくりと、両方とも開いた。


「……ああ。やる。やらせて、くれ」


「決まりだ。なら、今日からあんたは俺の患者だ。──途中で投げ出したりはしない」


その瞬間、若い医官たちの何人かが、はっきりと顔を上げた。さっきまで嘲りに同調していた目に、別の光が宿っている。治せると豪語せず、治せないところを治せないと言い、それでも患者の手を離さない。──そういう治療を、彼らは初めて目にしたんだろう。


生真面目な顔の医官が、ぽつりと言った。


「……我々は、ずっと、塞ぐことだけを治療と呼んできた。休ませることを、教えてこなかった」


場の空気が、確かに、傾いた。


それを、誰よりも敏感に察したのが、ヘルマンだった。


「詭弁だ」


低く、絞り出すような声だった。さっきまでの余裕は、もうない。白い長衣の肩が、わずかに震えている。


「“治せぬが整える”だと? “養生”だと? そんなものは、治療から逃げる者の言い訳に過ぎん! 治すとは、治すことだ。塞ぐことだ。立たせることだ! 巡りだの、暮らしだの──そんな曖昧なもので、英雄の身体が背負えるものか!」


ヘルマンは、ぐるりと貴族席を見回した。追い詰められた者が、最後に権威にすがる目だった。


「いいだろう。ならば、勝負としようではないか」


彼は、白い指を、まっすぐ俺に突きつけた。


「この場の御託では決着がつかぬ。──私が、回復魔法で“完治”させた患者がいる。かつて王国を救った、れっきとした元・英雄だ。すっかり治って、今は何の不自由もなく暮らしておる。その者を、ここへ呼ぼう」


医療院の空気が、再び張りつめた。


「貴様の鍼が、私の回復魔法に勝るというなら──私が治した英雄の前で、それを証明してみせろ。ヒールと、その邪法の針。どちらが、人を真に治すのか。白黒を、つけようではないか!」


俺は、銀の鍼ケースの蓋を、静かに閉じた。


そして、思った。ヘルマンが「完治させた」と胸を張る元・英雄。その身体に、もし、塞がれただけの“焼け”が今も燻っているのだとしたら──。


「いいだろう」と俺は答えた。


「あんたが治したと思ってる患者を、俺に診せてくれ。──治って見えてるのか、本当に治ってるのか。確かめるのは、ちょうどいい」


最後までお読みいただき、ありがとうございます。

「治せない」と言う勇気が、場の空気を確かに動かしました。けれど権威ヘルマンは、最後の賭けに出ます。彼が「完治させた」と胸を張る、元・英雄の患者。その身体に隠されたものとは──。次回「第15話 ヒールと鍼、どちらが効く」、回復魔法と鍼の直接対決です。

面白いと思っていただけたら、ブックマークと評価で背中を押していただけると、巡りがよくなります。次回もどうぞ、力を抜いてお待ちください。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ