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第15話 ヒールと鍼、どちらが効く

「では、私が“完治”させた患者で勝負しよう」


ヘルマン・ガイストがそう言い放ってから、三日が過ぎていた。


王都の医療院の中庭に観覧席が組まれ、貴族と医官がぎっしりと腰を据えている。回復魔法の権威と、辺境の邪法の針師。どちらの理が正しいかを、おおやけの場で白黒つけるという。査問のときよりも、人垣はずっと厚い。


俺は施術台のかたわらで、銀の鍼ケースを軽く指で叩いていた。隣で硬い顔をしたリーゼが、小声に訊いてくる。


「ソウマ。緊張、しているか」


「いや。患者を診るだけだ。相手がどれだけ偉かろうと、やることは庵と変わらない」


反対側では、ニーナが胸の前で両手を握りしめている。壇上では、白髪を撫でつけたヘルマンが両腕を広げた。


「諸君。回復魔法ハイヒールは、神より賜りし癒やしの極致。折れた骨を繋ぎ、裂けた肉を塞ぐ。これに勝る医術など存在せぬ。──ここに、三年前に私が“完治”させた男がいる。北の戦線で全身を引き裂かれ、助からぬと匙を投げられた英雄だ。連れてまいれ」


奥の扉が開き、ひとりの男が付き添いに支えられて入ってきた。


歳の頃は四十がらみ。肩幅は広く、かつては相当に鍛えた身体だったのだろう。だが足取りはひどく重く、一歩ごとに見えない錘を引きずっているようだ。陽に灼けた顔は、どこか土気色がかっている。


「ガウェイン殿。北方の英雄と讃えられた剣士だ」とヘルマンが紹介する。「見よ。傷は一つも残っておらん。私のハイヒールが治しきった証よ」


確かに、男の肌に傷痕はなかった。だが──俺の目は、その身体のずっと奥を見ていた。


ヘルマンが俺を振り返り、勝ち誇った笑みを浮かべた。


「さあ、針師どの。この“完治した”男の、どこを治すというのかね。塞ぐべき傷もない。──貴公の邪法の出る幕は、どこにもありはせぬ」


忍び笑いが漏れるなか、俺は鍼ケースを手に、ゆっくり男に歩み寄った。


「ガウェインさん、でいいですか。──肩、凝ってませんか?」


男が、きょとんと俺を見た。


「肩……?」


「夜は、寝ても寝た気がしない。違いますか」


男の表情が、わずかに揺れた。


「な……なぜ、それを」


「顔に書いてあるんですよ」と俺は静かに言った。「もう何年も、まともに眠れていない。傷は塞がったのに、身体がずっと戦のあとを引きずっている」


「ば、馬鹿な!」ヘルマンが割って入った。「ガウェイン殿は完治しておる! 倦怠など、戦を退いた者の心の弛みにすぎぬ!」


「気の病、ですか」と俺は遮った。「あなたが、治せない患者を切り捨てるときの言葉だ。ガレンさんを潰したときも、そうでしたね」


ヘルマンの頬が、ぴくりと引きつった。


俺は男の背後に回り、背に手を当てた。掌から経絡(けいらく)の流れを読み、指の腹を肩から背骨の両脇へ、ゆっくり滑らせていく。


──ああ。これは、ひどい。


表面の肉は確かに塞がっている。だがその下、深いところを巡るべき経絡が、無残に焼け切れている。リーゼの右腕で感じたものと同じ手触り。いや、それより重い。何年も放置された、慢性の魔力焼けだ。塞がれた傷の下で、ずっと燻り続けていた。


「ヘルマン御医長」俺は背を向けたまま、声を張った。「あなたは確かに傷を塞いだ。見事な腕だ。──だが、傷の下で焼け切れた経絡までは、ハイヒールは届かなかった」


「で、でたらめを──」


「この人は、戦のたびに限界を超えて魔力を絞り出し、経絡が酷使で焼けた。そこへあなたのハイヒールが外傷だけを塞いだ。塞いだから、焼けが見えなくなった。──あなたは“治した”んじゃない。焼けに、蓋をしたんだ」


「証明してみせろ」ヘルマンの声が震えている。「本当にそこにあるなら、貴公の針で見せてみよ!」


「言われなくても」


俺は鍼ケースを開いた。慢性に焼け固まった滞りを貫くには、芯のいる一本がいる。リーゼに使ったのと同じものだ。


「ガウェインさん。痛いですよ。生きてきて、いちばん。──でも、その痛みこそ、ずっとあなたを蝕んでいたものの正体だ。逃げずに感じてください」


「……はい」


俺は焼けの中心を探り当てた。肩甲骨の内側、巡りの要になるツボ。押すと男が「うっ」と呻く。冷えて固まり、その奥に熱を孕む。焼けて滞った経絡の、いちばん深い結び目だ。


針を、置く。押し込んだ。


「──力を抜け」


ズーン、と。


地獄の響きが、男の背を貫いた。


「ぐ──あ、あぁああっ!」


ガウェインが、施術台の上で大きくのけぞった。全身が弓なりに張り、太い腕が痙攣する。観覧席から悲鳴が上がった。だが俺は手を緩めない。針先から滞りきった経絡へ、巡りの道をこじ開けていく。焼け固まったものを貫き、流れをバイパスさせる。


「効いてる証拠だ。耐えろ! あんたの身体は、本当はずっと、こう叫びたかったんだ!」


男の額から、滝のように汗が噴き出す。歯を食いしばり、目を見開いて、何年も閉じ込めてきた痛みを、いま一気に吐き出していた。


そして──ふっ、と。


張りつめていた男の身体から、力が抜けた。


痙攣が止まる。荒い息が、少しずつ整っていく。土気色だった顔に、じわりと血の色が差した。固く強張っていた肩が、ようやく自分の重さを思い出したように、すとんと落ちた。


「あ……軽い……身体が……こんなに、軽いなんて……」


男はおそるおそる身を起こし、自分の右腕を持ち上げた。握って、開いて、また握る。三年ぶりに、その腕は意のままに動いた。


「動く……腕が、ちゃんと、動く……」


涙が、男の頬を伝った。歴戦の英雄が、子どものように泣いていた。


「俺は……ずっと、自分が弱くなったんだと……戦が怖くなった、臆病者になったんだと、そう思って生きてきたのに……!」


「弱くなったんじゃない」と俺は言った。「焼けてただけだ。あんたは、ずっと無理を続けて、自分を焼き尽くす寸前まで頑張った。──それは、臆病とは正反対だ」


やがて、観覧席のひとりが立ち上がる。続いて、もうひとり。「完治」と書かれた診立ての下で三年も苦しんだ男が、いま、針一本で本当の意味で立ち上がったのだ。


「魔力は、出力じゃない」


俺は鍼を抜き、ケースにしまった。


「巡りだ。塞いだだけで巡りを忘れた身体は、いつまでも焼け続ける。──ハイヒールは傷を治す。だが、整えるのは別の技だ」


ヘルマンは壇上で立ち尽くしていた。血の気の引いた顔で口を動かしているが、言葉は出てこない。彼の「完治」が、彼自身の患者に否定されたのだ。


「……そんな、馬鹿な」


ようやく漏れたのは、それだけだった。誰も、もう彼の言葉を聞いてはいない。医官たちは英雄の周りに集まり、俺の見立てを書きとめ始めている。


リーゼが、そっと俺の隣に並んだ。


「……お前は、勝ったぞ。ソウマ」


「勝ち負けじゃない」と俺は答えた。「あの人が、ようやく眠れるようになる。それだけだ」


そのときだった。人垣のいちばん奥、回廊の影に、ひとりの紳士が佇んでいた。仕立てのいい外套を羽織り、手袋をした手を欄干にかけて、騒然とする中庭を静かに見下ろしている。慌てる医官とも失墜したヘルマンとも違い、その男だけが何ひとつ驚いていない。


むしろ、その口元は──笑っていた。愉しげに、値踏みするように。焼けた英雄の再起を、上等な見世物でも観るように眺めている。その視線が、ふと俺をとらえた。


背筋に、ひやりと冷たいものが走った。


「使い潰される者」を見たときの怒りとは、種類が違う。あの紳士は、潰す側ですらない。もっと上から、潰すことも整えることも、ぜんぶひっくるめて「面白い」と眺めている。──人を、数で見る目だった。


紳士は俺と目が合うと、帽子のつばに手をやって会釈した。それから踵を返し、回廊の奥へ消えていく。


「……あれは、誰だ」


俺の問いに、青ざめたニーナが声を潜めて答えた。


「英雄運用伯、オズワルド・レーヴェンツァーンさま……宮廷で、英雄を“動かす”ことを一手に握るお方です……」


英雄を、動かす。その言葉の無機質な響きが、勝利の中庭に、長い影を落とした。

最後までお読みいただき、ありがとうございます。

「完治」の下に隠れていた焼けを暴き、回復魔法の権威ヘルマンはついに失墜しました。けれど、その騒ぎを「面白い」と眺めていた紳士──英雄運用伯オズワルド。彼の影が、これから物語の奥でゆっくりと濃くなっていきます。

次回「第16話 聖女の祈りは届かない」では、ソウマのもとへ、もうひとりの回復魔法の使い手──清楚で献身的な聖女アガサが訪れます。彼女の祈りが、なぜ届かないのか。善意がいちばん、人を休ませないのです。

面白いと思っていただけたら、ブックマークと評価で背中を押していただけると、巡りがよくなります。次回もどうぞ、力を抜いてお待ちください。

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