↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
9/15

第壱章 怪奇ノ館 8



 次の日の日曜。

 朝、目を覚まして、この見知らぬ部屋がヒナギさんの家の一室だとわかったのは、枕元にこんな書き置きがあったからだ。

 

 『あなたの状態を見た母の判断で、一晩、うちにお泊めしました。目が覚めたら、一階の居間に降りてきてください。あらためて母が、処置をします 氷薙』

 

 要するに、ヒナギさんの家に一泊してしまったわけだが……ぜんぜん浮ついた気分にはなれなかった。

 ジッと手を見る……。

 やっぱり夢ではなかった。

 右手の甲には、黒紫のアザのようなものがくっきりと浮かび、見るのもおぞましい。熱くてパンパンに腫れていて、同じような感触は右肩や背中の右側にもあったが、見て確かめる勇気がない。

 昨日、薄れていく意識の中で、お母さんを呼びに走るヒナギさんの声が聞こえた気がしたけど、結局あのまま僕は気を失ってしまい、見知らぬこの部屋で目を覚ますまで、ずっと眠っていたらしい。

 まだ少しアタマがクラクラする中、僕はベッドから出て寝巻きから服に着替えた。

 書き置きにあった「処置」って、なんだろう……僕の身体に何が起きてるんだろう。

 ドアに、あの柊の間のように、お札が貼りつけてある。ドアノブに触れたとたん、右手と肩と背中に激痛が走り、左手でドアを開ける。

 階段の手すりにつかまりながら、一歩一歩、足下を確かめるように降りる。

 居間のドアの前に立った瞬間、そのドアが開いた。

 見知らぬ女性が、満面の笑みをたたえて、立っていた。和服を見事に着こなし、キリッと髪を結い上げた、品のいい女性だ。

 「麻人さんね? どうぞ、入って」

 案内されるがままに、ソファに腰掛ける。少し鼻にかかった、どこか艶めかしい感じの声だ。

 「ちょっと、手を見せてくれる?」

 右手を差し出すと、女性は両手でつかみ、手の甲を見たりひっくり返して手のひらを見たりしながら、なにか聞き取れないような独り言をブツブツ言っている。右手は、炭酸水にでも突っ込んだような感じで、少しピリピリする。

 「申し訳ないけど、上半身、見せてくれる?」

 「はいっ? いや、でも……」

 「はいはい、恥ずかしがらない! ヒナギが来る前に、見せてっ」

 女性は、否応なしに僕のポロシャツを捲り上げて脱がせた。

 「ひぃぃっ!」

 女性は、微笑んだまま僕の右肩に顔を近づけ、背後に回って背中を見てからソファに戻った。

 「はい、ありがとう。もう、着ていいわよ」

 女性は、またブツブツと独りごちてから、歌うような声で言った。

 「ヒナギ〜、参番、持ってきてぇ」

 はぁい、という声が隣室から聞こえてくる。

 やがて、ヒナギさんが大きめの湯呑み茶碗を一つだけ持ってやってきた。

 「さ、少しずつ飲んで」

 と、女性はヒナギさんから受け取った湯呑みを渡してくれた。

 一口飲むと、形容しがたい味がして、一瞬、僕は顔をしかめた。

 「不味いでしょう? うふふふ。頑張って飲んでね」

 なんとか全部飲み干したのを見計らって、女性が自己紹介をした。

 「ヒナギの母の鍔葵(つばき)です」

 「あの……ここの女将です」

 ヒナギさんが、彼女の背後から少しだけ身を乗り出して、補足した。ちょっとだけ事務的な臭いがしないでもない。

 「さてと、麻人さん……たいへん言いにくいことだけど、結論から言いますよ」

 ヒナギさんの方に目を移すと、目を閉じて凝聴している。

 「右手に一つ、右肩に二つ、背中の右側に二つ浮かび上がっているアザ……呪詛をもらっちゃったわねぇ」

 「ジュソ……って」

 「呪いよ」

 女将さんは、口元は微笑んだまま、眼だけを鋭くさせた。呪いという言葉よりも、その眼の迫力で、僕は息を呑んだ。

 その女将さんの眼が、鋭さを増した。

 「……まったく、あんたもエライことをしてくれたねぇ」

 「すっ、すみません! 興味本位で、何も考えず……ほんと、すみませんでしたっ!」

 平謝りの僕を見かねたのか、ヒナギさんが口を挟む。

 「私が、私が……」

 言いかけたヒナギさんを、女将さんが手で制する。

 「その通りさ、麻人さん。あそこはね、興味本位で近づくところじゃあないんだ。あんた、やっちまったねぇ」

 女将は、うなじに手をやりながら、ため息を吐いた。

 「先に伝えるべきこと、伝えておかなきゃね。気をしっかり持って、落ち着いて聞くんだよ」

 そ、そんな前振りをされたら、落ち着いてなんかいられないんですけど……。

 「その、アザみたいなものはね、椿の花みたいな形してるだろう? これからどんどん広がっていくよ。どれぐらいのペースかは、ちょっとまだ読めないけれど、確実に広がっていくと思う。それでさ、全身に広がった頃合いにねぇ……」

 ゴクリ、と大きく喉が鳴る。

 「あんた、隠魂に乗っ取られるだろうね。オヌモノになっちまうのさ……その前に、気が触れるかもしれない」

 「なっ、ななななな……」

 「そんだけ、厄介なんだよぉ、あの部屋の主(ぬし)さんは。このての話、信じるも信じないもそりゃ自由だけど……実際にその身体じゃ、信じないってわけにもいかないだろう?」

 「あ、それは大丈夫。頼光くんは、素直にそういう話、信じられる人だから」

 「なに呑気な声で言ってんだい! そんな素直な人が危ういことになってるって話なんだよ!」

 ピシッと水面を叩くような正論に、ヒナギさんは黙り込む。母親には頭が上がらないのだろうか。

 「どうしようも、ないんでしょうか……」

 答えを聞いてしまったら終わりかも、と思いながらも、尋ねずにはいられなかった。

 「あたくしにもわからない、としか言えないね、いまは」

 ……どっちなんだろう、これ。可能性、あるのかないのか。

 「けどね、やれるだけのことはやらせてもらいますよ。自業自得とはいえ、うちで起こったことだ。放ってもおけないからね」

 自業自得って……僕だけの責任じゃないと思うんだけど。でもしょうがない、いまはこの人を怒らせるわけにはいかない、よな。

 「それであの、やれることっていうのは……」

 「麻人さん、あんた、夏休みの間、お世話させていただくことはできるかい?」

 「お世話っていうのは……」

 「1ヶ月ほど、ここで寝起きしてもらえるかいってことさ」

 それはムリだ……本来の僕の特性的には。他人だらけの場所に、それも長期間、同居して暮らすなんてことは、本来ならあり得ない……が……変わり果てた右手を見ていると、もうそうも言っていられない。

 実家じゃ帰省すると思ってるはずだが、バイトとかなんとか言えば……納得はするか。

 いやいや、でも待てよ、夏休み明けの「実力テスト」! 結果が悪ければ留年だぞ! そうだ、そっちが最優先だろ。夏休み中は集中してテスト対策をやらないと……。

 「どうしたんだい? 何か都合がおありかい?」

 「はぁ、あの、恥ずかしながら……」

 僕は、差し迫った事情を話した。

 「ふむ、なるほどねぇ。留年になるかどうかって瀬戸際じゃあ、夏休みが勝負だよねぇ。けど麻人さん、失礼だけどさ、今の話じゃ、あんた一人で勉強なんかできるのかい? 勉強のやりようもわからないんじゃないのかい?」

 「ごもっともです……ほんと、お恥ずかしい……」

 「ヒナギ、あんた見てあげたらどうだい?」

 「私は、構わないけれど……」

 マジで? 学年上位のヒナギさんなら、めちゃめちゃ心強いぞ!

 「じゃあ麻人さん、1ヶ月ここで試験対策の合宿も兼ねるってのはどうだい?」

 「そっ、それは、とってもありがたいです……けど……」

 「よし、それでいこう。ヒナギ、しっかり責任をもって教えておやり」

 「わかりました」

 「お願いしますっ!」

 「よしっ、じゃあそうしておくれな。来週末から夏休みだったね? 麻人さん、ご面倒だけど、必要な荷物だけ持って来てくれるかい」

 「わ、わかりました……あの、ご厄介をおかけします」

 「あらあら、ほんとにもう、いい子じゃないか。ヒナギ! しっかりお世話するんだよ!」

 「はい……」

 わずかに眉間に皺が寄るのを、僕は見逃さなかった。厄介ごとを押しつけられて不本意なのかとも思ったが、ヒナギさんはその直後に、チラッと女将さんを一瞥した。やっぱり、母親のことがニガテなんだな。

 「あたくしの処置は、少々しんどいこともあるだろうけど、しっかりやらせてもらうからね」

 「あ、はいっ……お願いします!」

 いろいろと慮ることはあるけれど、その一つ一つを気にする余裕は、いまの僕にはない。とにかくワラにもすがる思いで女将さんにすがるしかないんだ。


 かくして、1ヶ月の皆既亭翠屋……いや、あんなトンデモない異形が棲みついてるんじゃ、やっぱり「怪奇館」か……そこでの生活が始まることとなった。

  

 

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。