第壱章 怪奇ノ館 7
「……なるほどね。じゃあ今回は、前にあなたが言っていた”戦慄の周波数“みたいなものは感じずに、柊の間の障子に手をかけた時点で異変が起きたということね?」
「う〜ん、そうも言い切れないんですよね。いつもとは違うけど、なんかとてもイヤな感じはしてたので。全身が抵抗してたっていうか……」
「予感とか予知みたいな感じかしら」
「あるいは、”戦慄の周波数“が、いつもとは違ってタイムラグがほとんど無い状態で発生してたのかもしれません」
「その周波数をあなたが発したのと、ほぼ同時に現象化が起きた……ということかしらね」
「普段見ているようなレベルとは比較にならないような、とんでもないモノだったから……かなぁ。とにかくイヤな感じはしたんです、今まで経験したことのない感じ方でしたけど。ヒナギさん、一体なんなんですか、あそこにいたモノって……」
「前にも言った通り、若い女性の幽霊ってことになってるけれど……それ以上のことは私もわからないの。何しろ自分で見たわけじゃないから……」
「それを目撃したっていう宿泊客の人たちは、なんて証言してるんですか?」
「あまり明確なことはね……あの部屋の前を通ったとき引っ張り込まれそうになったとか、戸を開けて恨めしそうに見ていたとか、そのぐらいのことしか……それもうちのスタッフからの又聞きだけど」
それぐらいの話なら、よくあるっていうか、別段めずらしくないっていうか……。そうすると、何かその女性にまつわる強い因縁みたいなものがあるんだろうか?
「たとえば、かつてその部屋で自殺や殺人があったとか……そういうことは?」
「まぁ古い旅館だから、ずっと昔にそういうことが無かったとは言い切れないかもしれないけれど……私は知らないし、いまのスタッフからも聞いたことはないわ」
「……違う。そんなボンヤリした話じゃない。そんなフワッとしたモノなんかじゃなかった、アレは……」
そのほかになにか気づいたことはないか、記憶を辿ってみる。
「あとは……特に目立った特徴とかは思い当たらないんですが……あ、なんか頭の中で凄まじい反響がしたかな……」
「反響?」
「って言っても、僕の叫び声なんですけどね。やたらと響いて、頭が割れそうでした」
「自分の叫び声が反響って……谺みたいな?」
「まぁそんな感じです。返って来るたびに声が大きくなって、もう耐えられませんでした」
ヒナギさんは、僕からの情報が曖昧だからなのか、少し困ったような顔をしていたが、思い立ったように顔を上げて言った。
「実は……うちはね、少々特殊な旅館で……もちろん普通の一般客も多いのだけれど、隠魂守の常宿でもあるの」
「お……おぬ……」
「オヌミタマモリよ。この地方では、昔から魑魅魍魎や妖怪変化、幽霊に悪霊、荒ぶる神……まぁ異形の類を総じて隠魂と呼んでいた……それは知ってる?」
「すみません、聞いたことないです」
「最近ではこの地域でも、そういう古い伝承みたいなこと、知らない人の方が多いのじゃないかしら。隠魂に身体を乗っ取られるとオヌモノと化す。鬼の語源とも言われているわ」
「隠魂に、オヌモノ……」
「その様子じゃあ頼光くん、隠魂守のことも知らないのね?」
「初耳かも……です」
「古来、隠魂やオヌモノを鎮めたり祓ったりする役割を担ってきた人たちのことよ。それはね、いまも……この現代でも存在しているわ」
「西洋だと、エクソシストみたいなもんですかね」
「まぁ当たらずといえども遠からず、かな。隠魂守は、素性を隠して活動していることが多いから、普段はフツウの会社員だったり、学校の先生だったり、いろいろいるわね」
「お坊さんとか……」
「そうそう。神社の宮司さんとか禰宜さんもいるわよ。あなたのお身内も、そうかも知れない」
「それは……ないですね」
あり得るはずがない。フツウを強いて思い通りにならない僕を排除してきた親たちなんだ。ああイヤだ、あの人たちのことなんか、思い出したくもない……。
「まぁそれはいいとして……話を戻すわね」
「お、お願いします」
ヒナギさんは、居住まいを正した。
「この旅館は、一つの御役目を持っています」
「御役目?」
「隠魂守がその仕事の中で受けたケガレを浄めるという御役目よ」
と言われても、リアリティの湧くはずもなく……。
「厳密に言えば、ケガレを取り出していったんこの館で保管し、時間をかけて幽の世界・根ノ國に返すの」
もうここまで来ると、はぁそうですか、としか言えない。
「時には隠魂守が祓いきれない隠魂を、ここに持ち込んでくることもある。ここで浄化するためにね。フフフ……とっても怪しげな話よね。でも、隠魂守の紹介でここに来るお客さんには、政財界のお偉方とか、芸能人とか実業家とかが多いのよ」
そうか、そのての富裕層とかセレブみたいな人の御用達でもあるんだな。そりゃもう名実ともに高級旅館だ。
「そういうお客さんって、社会的地位や莫大な財産を有しているのだけど、人の恨みや嫉妬なんかにさらされて、それ相応にケガレも強かったりするのよね。だからここで清めるの。でもやっぱり、怪しげでしょう?」
……けど、ヒナギさんの美しいたたずまいを見ていると、アヤシイ話にも胡散臭い話にも思えないから不思議だ。
「そうやって持ち込まれた隠魂が逃げ出してあの部屋に棲みついたってことも、あるかもね」
ああ、なんだそうか。たしかにそういうこともあるかもな。
「そうなのよ、いろいろなことがあるのよ」
そうかもしれないな。いろいろあってもいいのかも。そんなことより、ヒナギさんの声が……なんだか無性に心地よくて……。
「いろいろなことがある。あってもいいの。滅多に口外できないけれど、あなただから、話している」
ヒナギさんの眼は、据わっているようでもあり、射るようでもあり、見つめていると吸い込まれそうで……とろんとして……くる。
「あなたなら、話してもいいと、思ったの」
アタマの中でヒナギさんの声が反響する。何重にも重なって聴こえる。眼を……そらすことが……できない。黒い瞳が迫ってくる。大きな渦になっていく。
「ここは……出雲……幽の国……オオクニヌシ大神が幽の国を治め……スサノヲ大神が根ノ國を治める土地……」
そうか……そう……だよな……出雲って……もともとそういう場所……だったよな……。
——だからね、なんの不思議も、ないのよ。うちのような御役目を担う場所が、この土地にあることは、なんの不思議もないの。
そうだ……不思議なんか……なにも……ない。
——そうよ。不思議なんか、ないのよ。
——不思議なんか、ない。
——とても、当たり前のことなの。
——わかって、くれましたか。
——わかった……な?
——わかったならば……ここへ……来い……。
——その……魂を……我に……よこせ。
——汝ノ魂ヲ……我ニ喰ラワセヨ。
——我ヲ目覚メサセヨ……。
——ソノ美味ソウナ魂……。ヨコセ……ヨコセ……。
「頼光くん? ちょっと、頼光くんっ!」
……なんか、揺れてるな。すごい、揺れてる……。強く、掴まれて……熱い……。
「頼光くんってば! どうしちゃったの?」
こっちが訊きたいよ……どうしちゃったんだ、僕……ううう、掴まれてる腕が……肩も、背中も……。
「熱い……熱いっっ!」
ヒナギさんが、僕の腕を掴み、一心に揺らしている。僕はその手を掴んで、助けを乞う。
「熱い……ううううう……熱い……」
ヒナギさんが僕の手を見て目を丸くする。僕は、突き飛ばされて、布団に倒れる。ヒナギさんが部屋を出て行こうとする。
「待って……ヒナギさん……待って……」
ヒナギさんの方に差し出した僕の手の甲には……黒っぽい紫色の、獰悪な、直視したくないほど不快なアザのようなものが浮き上がっていた。
意識が薄れる中、お母さん、お母さんと叫びながら遠ざかっていくヒナギさんの声が、聞こえた。




