第壱章 怪奇ノ館 6
天井が、見える。
見たことのない天井。
和室、なんだろうな。
どこだっけ、ここ……。
あれ? 名前……呼ばれてる、のか?
「……くん! ……ミツくんっ!」
ヒナギ……さん?
「頼光くんっ! 頼光くんっ!」
手が温かい……しっかり握られて……。
「……え? ……あっ!」
ガバッと上体を起こす。
「頼光くん! よかった……」
「……ヒナギ……さん……って! あわわっ!」
慌てて手を引っ込める。
「すっ、すすすみませんっ! 手なんか握っ……」
「よかった! 本当に……」
ヒナギさん、両手で顔を覆って……目が潤んでる。
「あの、僕は……ここは……」
「ったく、手間かけやがって……」
ドスのきいた声。振り向くと……。
「うわぁっ!」
あぐらをかいている座高だけでも、僕の身長ぐらいあるんじゃないかってぐらいの隻眼の男。
「だっ、だだだだ……」
「うちの番頭……右番頭の逆輪よ。ほらっ、逆輪! ちゃんと挨拶なさい」
男は、無言でコクリと目礼する。
「ここまであなたを運んでくれたの。一応、あの、お礼を言ってくれるかな……」
僕は正座に座り直し、深々と頭を下げた。
「ありがとうございましたっ!」
「きっと、何が何だかわからないよね……えっとね、頼光くん、柊の間で錯乱状態になったことは、覚えているかな……」
あの血走った眼が脳裏に現れ、一気に総毛立って言葉が出ずに、僕はただうなずいた。まるで自分の身体ではないみたいに、勝手に震えている。
「ほんっと、ごめんなさい! 怖い目に遭わせてしまって……」
「…………」
大丈夫ですとか、そんな謝らないでくださいとか、いろいろと言ってあげたいのに……歯がガチガチ震えて喋れない。
「あらら……このニイちゃん、ダメージでかすぎてトラウマになっちまうんじゃねぇですか、お嬢」
「ど、どうしよう……どうしたら……と、とりあえずお水を」
「あ〜、お嬢、そんな氷たっぷりの冷水じゃなくて、白湯でしょう、ここは」
「そっ、そうね! 白湯がいいわね!」
ヒナギさんが猛ダッシュで部屋から飛び出て行った。不思議と、僕のアタマは普通に働いているようで、二人の掛け合いも、着物姿とは思えない迅速なヒナギさんのアクションも、ちゃんと見聞きできている。いつもより、しっかりと。
なのに、言葉だけが……出てこない。
「やれやれ、お前さんも災難だったなぁ」
少し上体を傾げたまま、右目だけで僕を見る。鋭くて、射るような……うかつに接するととんでもないことになりそうなド迫力だが、わずかに暖かい光も混じっているような。
「あ? ニィちゃんよぉ、俺の顔になんかついてんのか?」
——前言撤回。やっぱり、怖い。
ドタドタとすごい足音をさせてヒナギさんが戻ってきた。滑り込むように僕の前に正座すると、お盆ごと白湯の入った湯呑み茶碗を畳の上に置いた。
「まず、飲んで! ね、落ち着くから、飲んで!」
言われるがままに湯呑み茶碗を手にし、ゆっくりと白湯を飲む。スイッと心地よい温度のお湯が喉を通っていく。
気がつくと、一気に飲み干していた。
「ふぅ〜っ」
「もっと飲む? 持ってくるよ?」
「あ……だ、だいじょ……だい、だ、だいじょう……」
バチンッ——!!
「——ゲッ! ゲホゲホゲホ!」
思いっきり背中を叩かれた。団扇みたいなでっかい手のひらの感触がした。
「いい加減、シャキッとしねぇか!」
「はいっっ!」
「ちょっ、ちょっと! 何してるのよ、逆輪!」
「だ、大丈夫ですからっ、ヒナギさん!」
あれ? 言葉が……出た。逆輪さん、涼しい顔で口笛を吹いてる。
「もいっかい! もいっかい喋ってみて、頼光くん!」
「いや、喋ってみてって言われても……なにを……」
ヒナギさんは、あんぐりと口を開けたまま涙目で僕をみてから、ガックリとうなだれた。
「……よかった……ごめんなさい……」
「さ〜てと」
逆輪さんは、バツが悪そうにボリボリ頭を掻きながら、ゆらりと立ち上がる。天井に当たるんじゃないかっていうぐらい、でかい。けど、細い。柳の木のようだ。
「じゃ、俺は仕事に戻りますぜ」
柳の木に足が生えて歩いているような感じで、ゆらゆらと障子に向かう逆輪さんの歩みが、止まった。
「あ、お嬢。この件、女将は……」
ヒナギさんは、首を横に振った。逆輪さんは、わずかに口元を釣り上げて嗤った。
「んじゃ、俺は関係ねぇんで。後でちゃんと報告するなり、よろしくやってくださ〜い」
振り返らずに手だけを振って、逆輪さんは出て行った。
「……ここまでのことになるなんて、思ってなかったんだもん」
まずいまずい、ヒナギさん、また涙目に……。
「あ〜その〜、うん、大丈夫! 大丈夫ですよ。ほら、僕もう完全復活してるし! それにあの柊の間も……」
またあの大首の姿がチラついて心臓が締めつけられる感じがしたが、さっきほどではない。
「柊の間も、とりあえず鎮まったんでしょう?」
もしなにか起こっていたら、逆輪さんはあんな平然とはしていないはずだ。
「……うん。それは、大丈夫」
「なら、問題なしですよ。逆輪さんも、あのぶんじゃ黙っててくれるんじゃないですか?」
「…………」
ヒナギさん、下を向いたまま黙ってしまった。女将さんに報告するつもりなんだろうか? 叱られないんだろうか? 僕も一緒に謝った方が……そうすれば少しは……。
「頼光……くんっ!」
バッと顔を上げたヒナギさん……眼が、爛々としてる? え? また……切り替えたの?
「ねっ、頼光くん!」
正座のまま、ススーッとにじり寄り、僕が座っている布団の上に乗っかってきた。近い!近いって!
「それで……どう?」
布団の上に、二人っきりで、鼻を突き合わせて座るカタチになり……僕の思考は混乱する。
「ど、どう……って……」
「何が、見えたの?」
鼻息が……届いてますよ、ヒナギさん。
……けど、小鼻が開いても、可愛いなぁ。
幸いなことに、そっちのドキドキが、僕の心の恐怖を尻に敷いてくれたようだった。
僕は、あのとき見たモノの仔細を、ヒナギさんに伝えた。




