第壱章 怪奇ノ館 4
落ち着かない。
落ち着けるわけが、ない。
甘酸っぱいような、それでいて濃厚な……薔薇のような匂い。
あの匂い袋とはまた別の、廻さん自身の匂いだ。
その生々しい匂いで満ちた、廻さんの部屋に、いま僕はいる。
時代劇に登場するような純日本風のお屋敷には似合わない洋間だが、シックな色彩で、本棚とベッドと勉強机だけのシンプルな部屋だ。女子の部屋っていうと、ぬいぐるみがたくさんあってピンク色の色調で……いや、僕の思い込みだけど。まぁでも、廻さんらしいといえば、らしいかも。にしても、多いな、本。壁一面が、ほぼ本だ。大学教授の書斎か、ここ。
トントンと階段を昇る足音が近づき、ドアの前で声がする。
「ごめんなさい、開けてくれる?」
ドアを開けると、おかわりのハーブティーと茶菓子を乗せたお盆を手に、廻さんが立っていた。
「これ、私が焼いたの」
ぺたんとカーペットの上に正座すると、廻さんは美しいレリーフが施された小皿を、僕の前に置いてくれた。
「あ、ありがとうございます。では、遠慮なく……」
マドレーヌ風の焼き菓子は、一口かじると口内にチョコレートの風味が広がり、しつこい甘さもなく、なんとも上品な味。
「美味しい……いくらでも食べられそうです!」
「よかった。まだたくさんあるから、おかわりが欲しければ言ってね。食物アレルギーって言っていたから、米粉で作ってみたのだけれど。乳製品も使っていないわ」
なんだこのシチュエーション。女の子の部屋で、僕の体質に配慮までしてくれた手作りのお菓子を向かい合って食べてるって……いったい何に対する神様からのプレゼントだ? ダメだ、お菓子の甘さとハーブの芳香で、ほっこりしてしまう……。
妄想じゃないことを確かめるように、廻さんをチラ見する。
和服姿でキレイに正座する廻さん。姿勢がよく、所作が美しい。またしても見惚れて……いかん、これは魔力だ。女の子の部屋っていうのは、これほどどうしようもなく魔力があるのか!
僕は正座をし直して、座禅の修行僧のように目を閉じ、邪念を鎮める。色即是空、空即是色……。
「さてと、頼光くん、宿題はできているかしら?」
目を開くと、廻さんは勉強机に移動してパソコンに向かっていた。
「一応、確認できるところまではやっておきました。思ったより時間がかかっちゃって、事前に返信できませんでしたが……」
「あ、それは問題ないわ。いまここで打ち込んでしまうから」
宿題というのは、あの喫茶店で会った日の夜に送られてきていたメッセージのことだ。そこには、僕の家に関するいくつかの質問が並んでいた。
「じゃあ順を追って聞いていくわね。まず、ご実家の神社は鎮座してどれぐらい経っているの?」
「えーと、一応、承久二年創立とされているので、西暦で1220年ですね。鎮座して約800年ってことになります」
「なるほど……なかなかの歴史よねぇ」
「でもこういうのって、ホントかどうかわかったもんじゃありませんよ。ハクづけで縁起書をでっちあげるなんてことは、昔の武将が系図を金で買うぐらいよくあることですから」
「あなた、歴史詳しいの?」
「好きなだけです。趣味みたいなものですよ」
歴史博物館の学芸員志望だなんて、いまの僕の成績じゃ恥ずかしくて言えやしない。
「ふぅん」
カタカタッとスムーズにキーを打つ廻さん。着物姿で手慣れたキーさばき……デキる若女将という感じで、かっこいい。
「御祭神は?」
「スサノヲノミコトです」
「なるほど……。ほかにお祀りしている神様は?」
「ありません。小さな神社なので、摂社も末社もなく、スサノヲノミコトだけです」
「わかりました。次に、家系図は確認できた?」
「すみません、実家に確認したんですが、そういうものは無いと……」
ウソだ。実家が苦手なので、とてもそんなこと確かめる気にはなれなかった。ごめん、廻さん。
「けど、もともとは京都に住んでいて、そのあと丹波へ、そして奥出雲に渡ってきた、らしいです……」
これはほんとうだ。小さい頃、聞いたことがある。
ものすごい勢いで廻さんはキーを叩いている。
「で、最後の質問については、どう?」
「あ、はい。実家の宝物のことですね……現物は確認できませんでしたが、目録がありました。いま……送信しました」
これは僕の趣味で、以前実家で古文書探しをしていたときに見つけ、写真を撮っていたものだ。
「……えっと……日本刀の類は……無さそうね……」
「そうなんですよ」
日本刀マニアの僕としては、心底ザンネンに思う。
「でも面白いものがあるわね、建速爪石とか鬼ノ背骨とか……建速ってスサノヲのことよね……」
「あ、それ、どうも箱に入った状態になってるみたいです。写真も送ってもらいましたので、送信しますね。達筆すぎて読めない文字とか、添えてあるっぽいですよ」
これも本当は、歴史探究の血が騒ぎ、実家の小さな蔵をあさっていたときに見つけたもの。添え書きの古い文字も、ある程度なら僕は読める。けど、そういうことは他人には黙っているに限る。
廻さんは、その写真を受信すると、パソコンの方に転送し、またカタカタとキーを打ち始める。
「……なるほどね。箱書きの部分を、AIに読ませてみたわ。建速爪石と鬼ノ背骨は、一つの箱に同梱されているのね。どうやら爪石は背骨の魔力を封印するためみたいよ」
「すごい! 廻さん、そんなこともできちゃうんですか!」
「すごいのは私じゃなくて、AIだから。古事記では、スサノヲが高天原を追放されるとき、手足の爪が抜かれたという話があるわね。それが地上に落ちて石になったみたいなことかしら……それが鬼の背骨を封印するために……でも背骨の方の由来は記録には残っていないみたいね。あ、ちょっと待って……」
たしかに、添え書きにはそういうことが書かれてある。やるな、AI。廻さんは、パソコンの画面に顔を近づけて、何やら見入っている。
「頼光くん、面白いものが目録に書かれているわよ」
手招きされるままに、僕もパソコンの画面を覗く。
「見て、目録の終わりの方に……」
カーソルが指している部分にある文字……そう、それがまた面白いんだ。一瞬、この面白さを分かち合えるかも、と思ってしまったが、思いとどまる。シラを切らなくては……。
「タマハガネって、カタカナで書いてますね……」
「そうよ、玉鋼は日本刀の元になる特殊な鉄のこと。面白いのは、その続きよ」
廻さんは、カーソルをぐるぐると回して、その部分を示す。
「……タマハガネ安綱って書いてあるでしょう」
「ですね……」
「安綱っていえば、童子切安綱が有名ね。国宝にもなっている天下五剣の一つよ」
「はぁ……」
「安綱はその刀を作った刀工の名前。この人はね、伯耆国の人っていわれているの」
「そう……なんですか」
知ってる。ああ、知ってるって言いたい! 分かち合いたい! でも……
「うちには関係ないと思いますよ」
「そうなの?」
「はい。そんな大層な……国宝とかと関わるような玉鋼がうちなんかにあるはずないので」
「そう? でも、もし童子切安綱を打ったものと同じ玉鋼だったら面白いのだけど……」
「あははは、確かにちょっとワクワクしますね。でも、あり得ないです」
廻さんは、サラサラと鉛筆を走らせる。
「島根にはね、スサノヲが鬼を退治したという伝説も残っているの。退治した鬼が奇岩と化した『鬼の窟』という場所もあるわ。スサノヲに敗れたヤマタノオロチが近江まで逃げ、そこで富豪の娘に産ませた子が酒呑童子だという説もあるのよ! 酒呑童子は、鬼の頭目ね。そして、それを切った刀こそ童子切安綱。あなたのご先祖さまが、その刀と同じ玉鋼を持っていてスサノヲをご祭神としたのは、酒呑童子の怨霊を鎮める力を強めるためだった……そう考えれば、面白いわよね……うん、面白いわ!」
「廻さん……なんていうか……」
「えっ? あっ、ごめんなさい! なんだか勝手に……勝手な憶測を……」
「ちっ、違うんです……」
「つい夢中になってしまって……人の家のことをあれこれと……」
「違いますって! あの、か、感動してるんですっ!」
「……え?」
「考えたこともありませんでした……自分のルーツのことなんか……。恥ずかしい話、自分のことで一杯一杯で。僕の特性っていうか……変なモノが見えたり聞こえたり……人に言ってもキモがられるし……だから、誰にも言えなくて……けど、容赦なく見えちゃって、聞こえちゃって……学校にも行けない日があると退学になったらどうしようとか……ほんと、一杯一杯で……」
「そうよ……ね。そんな事情あるのに、私ったら、いい気になって興味本位で……ごめんなさい」
「違うんですよ、廻さん。あなたのおかげで……いまのあなたの話を聞いて、僕は、なんていうか、少しラクになる気がしたんです」
「ラクになる……って……」
「うまく言えませんが……いま僕がここにこうしているのは、理由があったんだなって。ご先祖っていうか、たくさんの人たちが、かつて生きていた人たちが、そのときそのときの思いで必死になってきたことの結果なんだって、思えたんです。僕一人で抱え込んでるんじゃなく、その多くの人たちと一緒に背負ってるんだなって、思えたんです。なんだかとってもリアルに、ご先祖たちが支えてくれてるイメージが湧いたっていうか……」
「ちょっ……待って待って! そんな大それたことを私は……どちらかといえば、勝手な想像というか、私の希望的創作みたいなものかもしれず……」
「いいんですよ、それでも。僕にとっては、たしかに胸躍る仮説だったんですから。感動してしまったんですから。歴史って……歴史ってまさにそういうものですよねっ!」
ダメだもう、我慢の限界かも。歴史って、ああ、歴史って……熱くなるなぁ。
「あぁぁ、何だかいまになって反省してるわぁ……私、人さまの家にズカズカと土足で入るようなマネをしてしまったのでは……」
「そっ、そんなことはありませんっ! 僕は感謝してるんですってば! ぼ、僕はですねぇ……」
「夢中になると私、周りが見えなくなっちゃうのよねぇ……どんどん一人で先に進んでしまって……」
「いや、でも僕はですね……」
「猛省よ……猛省が必要なのよ、私……」
「だからっ! 僕は、あなたと出会ってよかったと!」
「……え?」
「えっ? いやっ、そういう意味じゃなくて……あの、そういう意味っていうのはつまり……」
「私も……」
「あのですね、僕が言いたいのは、廻さんが……いや廻さんに……え?」
「私も……よかったって……思ってる」
「廻……さん?」
「あなたに会えてよかったって……あなたのこと……」
「えっ? えっ? も、廻さん?」
「いろいろと知れて……お友達になれて、よかったと思っているわ」
「と、友達……友達……そう、僕も……ふぅ〜っ」
大きな、悲喜交々のため息。トモダチ、ね……。うん、そりゃそうだ。
「と、とにかく……ですね、廻さん、廻さんとその、トモダチになれて僕も……」
「ヒナギ……」
「はい?」
「氷薙でいいわよ、お友達なんだから……」
視線を下に向けたまま、廻さんは……いや、ヒナギさんはそう言った。
「あの……じゃ、僕のことも……あ、麻人で……」
「あなたのことはヨリミツくんでいいわね? とっても呼びやすいから」
あ、そうなんだ……。この姓も、悲喜交々だな。
ヒナギさんは、パソコンのデータを保存して電源を落とすと、よしっと気合を入れてお茶を飲み干し、いつもの強い視線で僕を見た。
「とにもかくにも、頼光くん。あなたが提供してくれた資料のおかげで、ひとまずあなたの能力の裏づけらしいものがわかったわ」
この人、切り替えも速いな。
「ということで、頼光くん、今日のもう一つの目的——“検証”に入りましょうか」




