第弐章 長ヒ夏休ミ §【夏休み11日目】その1
§【夏休み11日目】
*▶︎▶︎pers.YUIKA
「あ〜もうダメ! 集中できないっ」
あたしは、ワシャワシャと頭を掻き、ノートPCを閉じた。
「ねぇヒナギ、あんたヒマなの?」
「失礼だなぁユイカは……」
着物姿のヒナギは表情を変えずに、あたしの部屋に積まれたオカルト関係の資料本を手に取っては読み耽っている。
「その格好ってことは、あんた、サボってるんだよね?」
あたしはといえば、ジャージ姿にチョンマゲヘア……ええわかってますとも。女優にあるまじき姿です。
「休憩中なのよ」
ヒナギはページを繰る手を止めない。
「ずいぶんと長い休憩じゃない。……はい、ちゃんと聞くから言ってごらん」
あたしは座り直し、きちんと正座した。
「相談、なんでしょ?」
「よっこらしょ」
ヒナギも正座になった。
「では、よろしくお願いします」
「はい、お願いされました。で、なんなの? オトコの話?」
冗談のつもりで言ったのに、ヒナギはうなずいた。
「え? え、え? そうなの?」
あたしは座ったまま、にじり寄った。
「なになに! 誰なの、相手は!」
「頼光くん……なんだけど……」
「ヨリミツ? そうだったの? いつの間に……」
「なんだかねぇ、キツくなってきちゃって……」
「うんうん。キツいって……苦しいのね? うんうん!」
ひょっとしてまだ告ってないの? え、まだ片想いってやつ?
「もう、見ていられないっていうか……」
そっ、それはつまり、もう好きすぎて正視できないってこと? あり得る。この子ならそーゆーの、ぜんぜんあり得る!
「お母さまも、ロコツっていうか……」
お母さま? 鍔葵さん? 鍔葵さんがロコツって……ま、まさか! いや、でもあの人ならあり得るか。うん、やりかねない。結婚が前提じゃないと認めないとか言いそうだし。いやぁ、でもそれ引くわぁ。オトコにドン引きされるヤツだわぁ。
「頼光くん、最近、目に見えて弱ってきて……」
あいつ、そういうの免疫なさそうだもんなぁ。絶対女の子とつき合ったことなんかないだろうし、それがいきなりねぇ、そんな前提を出されちゃ重いでしょ、メンタルやられるでしょ。
「毎日あんなに厳しい治療を強制されたら、それはもう衰弱するのも当然だもの」
「……ん? チリョウって、治療のこと? あいつ、どっか悪いの?」
「あ、そっか。ユイカには言っていなかったかしらね。ウフフ……」
「ウフフ……じゃないから。あのさ、前提なしで相談するの、やめてくれる? ま、いまに始まったことじゃないんだけど。すっかり妄想の世界でどんなドレス着て式に参列しようかなとか悩んじゃったじゃないの」
「ドレス? なんの話?」
「あ〜もう、この子のこの鈍さ、なんか腹立ってきた! あんたとヨリミツの結婚式に来ていくドレスってことだよ!」
「けっ、結……ばっかじゃないの! なにがどうなったらそういう話になるのよ! そんな……あり得ないから!」
「そこまで否定する? それはそれで意外だなぁ」
「なに、どういうことよ」
「いやほら、あながち憎からず思ってるのかなぁってね。あんたにしては珍しく献身的だし……一つ屋根で暮らしてるわけだし、恋愛感情の一つや二つあっても不思議じゃないかなって……」
「ちょっと、やめてくれる? 一つも二つもありません!」
「そうなんだぁ。あたしは嫌いじゃないけどなぁ。あいつ、見ようによっちゃあ、ちょっと可愛いし……」
「知らないわよ……そんなの」
「ま、いいや。で、なに、あいつの治療ってなんなのよ」
「あ、そうだったわね。あの子、柊の間で呪詛をもらってしまったの。それでその治療のために、夏休みの間ここに住み込んでもらうことになって……」
「あ、そうなんだ。ただの通いのバイト君じゃなかったのね。住み込みって、あんたのとこに?」
「うん。夏休みの初日から来てもらって……今日で11日目かな」
一つ屋根の下で同居してるなんて、なかなかのシチュエーションだけど……よく考えたらこの子は昔からこんな感じだもんなぁ。フツーの16歳の女子が持ってるような感情が、ポコッて抜けてるもんなぁ。ロマンスなんか、あり得ないかぁ……。
「あ、そうだ、柊の間って言ったよね……たしか、あかずの間でしょう? あいつ、あそこに入っちゃったの?」
「というより、私が入らせたというのが、正確なところかな」
「涼しい顔でサラッとひどいこと言うのも、あんたらしいね」
「……やっぱり、ひどい……よね」
「はい、ひどいです。だって、あそこってアレでしょ? この館でも昔からいわく付きの……」
「ええ、哭血縄比売……」
あたしは、大きくため息をついて、チョンマゲを結び直した。
「超大物ってことだよね。ふつう怪異に名前がつくって、相当なことでしょう?」
「でもほら、ヤマタノオロチとか牛鬼みたいな有名人ではないから……」
「人じゃないからね、ヒナギさん。あと、全国区の方々と比べないように。むしろ地方にひっそりと、でも長いあいだ名前が残り続ける怪異が、本当にタチが悪かったりするんだから。哭血縄比売といえば、この元出雲地方限定の怪異だけど、謎だらけよね。一説では500年以上さかのぼれるぐらい古いモノらしいけど、詳しいことは……」
「さすがオカルト女優だわ! よくご存知ね」
「……その呼称、褒め言葉じゃないって、知ってるかな?」
「あら、そうなの? ステキじゃない、オカルトに詳しい女優さんなんて!」
「あのね、ヒナギさん。世の人のほとんどは、あんたみたいな公明正大なオカルトマニアじゃないの。つまり、オカルト女優っていうのは、揶揄なんです、わかる?」
「大丈夫よ、ユイカ。私は心から尊敬しているからね」
そんな真っ直ぐな眼で見られたら……。
「……なんか、元気になってくるなぁ。ホントに大丈夫なんだって思えてくるなぁ」
「大丈夫。一流のオカルト作家になるんでしょ? なれるわよ」
「えぇと……話が見えなくなってきた。あ、そうそう、実はね、ちょうどいま書いてる本のネタとして、哭血縄比売のこと調べてたのよ」
「すごい! 導かれたのね!」
「なにに導かれたのか気になるところだけど、まぁいいわ。哭血縄比売のことは、二次資料にちょっとずつ登場する感じだからね、いま掻き集めてるところなのよ。でもホントに情報が少なくて、いろいろと推測するしかないのよね」
「ユイカ的には、どんなふうに推論しているの?」
「まだ仮説にもなってないんだけどね。たとえばクチナワという言葉。これが蛇を指す古語だっていうのは知ってる?」
「それは、知っているわ」
「ご存知の通り、ここ出雲では古来から蛇を龍に見立て、龍蛇神として祀るわよね」
「そうね、出雲大社が有名ね」
「それはもともと、この地で古い神様として蛇を崇敬してきた歴史の名残りともいわれてるわね。神様である一方で、ヤマタノオロチみたいな魔物も、蛇がモチーフになってるじゃない?」
「それはつまり、ニギミタマとアラミタマのようなことかしら……」
「さすが、賢いねヒナギ。カミっていうのは、もともとはそういうモノなのよ。恩恵を与えることもあれば、荒ぶることもある。それは妖怪なんかもそうでしょう?」
「たしかに、そうかも」
「たとえばだけど、こんなストーリーも思い浮かぶのよ。500年前、なんらかの理由で龍蛇神の祟りをもらった女性がいた。そうねぇ、宇治の橋姫みたいに嫉妬のあまり鬼と化した女性が復讐のために神の力を得ようとして蛇を喰い、祟りを受けた。その蛇の血にまみれた姿から、哭血縄という名前がついた……みたいなね。縄は、蛇の象徴でもあるでしょう?」
「すごい! さすが作家さんだわ!」
「……まだ、卵にもなってませんが」
「でも、いまの話なら、哭血縄比売の由来や、その力の強さまで説明できているのじゃないかしら」
「まぁ、あくまで思いつきだけど。でもさ、仮説は思いつきから始まることもあるからね。最初は直感がキッカケだったりするのよ。ただね……」
あたしは、喋りながら頭の中を整理し始めた。
「その由来はともかくとして、哭血縄比売がなんらかの嫉妬とか恨みを持って生き続け、なにかの縁でこの館に辿り着き……」
この皆既亭翠屋は、ケガレを清める場所。哭血縄比売が超強力な怪物で、それがここに入り込んだとすると、そんなものを清め祓える人といったら……。
「刀右衛門さん、か……」
「実はね、ユイカ……」
ヒナギが、真剣な面持ちになっている。
「うちのスタッフの間では、お父様がずっと眠り続けている、ある理由が囁かれていて……」
「もしかして、哭血縄比売が関わってるってこと?」
「定かではないの。でも、そうなんじゃないかって、みんなが言っているわ」
あたしは、紙にペンで殴り書きをする。
「だいたい想像がつくけど、刀右衛門さんが、哭血縄比売を祓おうとしたって話でしょう? それで……呪詛を受け……覚めない眠りについた、みたいな……だとすると、女将さんとしては、たまらない話よね……」
「頼光くんが、同じ哭血縄比売の呪詛をもらったとすれば……」
「二度と同じことが繰り返されないようにって……血相を変えて……ヒナギ、そりゃ厳しくもなるかもよ」
事の詳細は、わからない。にしても、そういうような構図だとすれば、鍔葵さんが急変してヨリミツの治療をアセり始めたのも、理解はできる。
「ねぇ、ヒナギ? 鍔葵さんがアセるぐらい、ヨリミツの症状って深刻だってことなんじゃないの?」
「頼光くん……」
言ってから、しまったと思った。こんな言い方をしたら、ヒナギの不安を煽ってしまう。
「どうしよう……私、頼光くんに大変なことしちゃった……取り返しのつかないことを……」
あたしは、ヒナギの肩に手をやり、精一杯明るい声で言った。
「けどね、ヒナギ。あいつは大丈夫だと思う」
「でも……でも……」
「だってほら、あたしがここで隠魂に襲われたときだって、あいつ、なんだかわかんないうちにさ、やっつけちゃったじゃん。あんなこと、誰にだってできるもんじゃない。見かけによらずタフなヤツなんだよ」
「……だったら、いいのだけど」
「それにほら、哭血縄比売の話は、あくまであたしの推論……っていうか創作みたいなものだからね? そんなタチの悪い怪異かどうかも、実際のとこ、わかんないから。鍔葵さんは責任感の強い人だからさ、そんなに大した症状じゃなくても、きちんと治してやりたいって思うでしょ。あの人は、そういう人だって」
「そう……かもね」
話題を変えなくては。
「ところでさ、ヒナギ? 哭血縄比売のこと……あ、これはあたしの仕事のことなんだけどね、きっとおたくの家伝書なら、詳しいことが書いてあるかもなんだけど……」
ヒナギの顔が少し曇る。あ、また変なこと振っちゃったかな。
「家伝書は、門外不出だから……」
「蔵の中に保管されてるんでしょ?」
「うん。うちの壱ノ蔵。その中にも中蔵があって、そこに厳重に保管されているそうなの。私もお母さまも見たことはないし、そのカギは……」
「そっか、刀右衛門さん……なんだね?」
ヒナギは、コクリとうなずいた。
「ごめんごめん、変なこと言っちゃったね。忘れて、ヒナギ」
「ごめんね、力になれなくて」
「な〜に言ってんのよ! あたしは作家だよ? ……って、まだ卵の前だけど。イマジネーションっていう武器があるんだから、大丈夫、大丈夫! ある程度書けたら、読んでくれる?」
「……あ、うん。でも、いいの?」
「もちろん! 筋金入りのオカルトマニアのあんたが太鼓判押してくれたら、もう成功間違いナシだからね!」
そのあとは、本の構想の話でなんとかお茶を濁し、ヒナギも帰り際には少し元気を取り戻したように見えたけど、次にヒナギが訪ねてくるまで、そう時間は掛からなかった。




