第弐章 長ヒ夏休ミ §【夏休み10日目】
*▶︎▶︎pers.ASATO
ヘトヘトだ……。
身体にチカラが入らない。さっきから部屋のベッドで仰向けになって、ボ〜ッとしてる。
声もすっかり枯れてしまった。一昨日、昨日と連日、女将さんの治療を受けたせいだ。
3日前……「送祓ノ間」の一件のあと、僕は女将さんから、こっぴどく叱られてしまった。
——肝心なときに護刀を置き忘れるなんて、なにやってるんだい! そのせいでまたアンタがケガレを呼んだに違いないんだよ!
いや、違うと思うんだけどなぁ。僕があそこに入る前から、もう宗万智さんは様子がおかしかったし。むしろ護刀なしで正気を保ってたことを褒めてもらいたいぐらいなんだけど……。
護刀を置き忘れたことは、よほど女将さんの怒りのツボだったようで、いろんなところに飛び火して、僕のアザがなかなか改善しないことにも及んだ。いつまでそんなものを抱え込んでるんだ、みたいな話になり、2日おきで1回1時間半までという方針が、毎日3時間でも4時間でもという無茶苦茶な方向に決まってしまった。バイトも当面の間はナシ、その分、少しでも治療に時間を割くってことだ。そりゃアザが早く消えるに越したことはないが、ぶっちゃけ身がもたない。治療も荒っぽくなってきたし、絶叫しすぎて声が枯れる始末。
午前中の家庭教師は引き続きやってもらっているが、治療の痛みでろくに眠れていないから、これはこれでキツい。踏んだり蹴ったりだ。
19時の夕食まで、まだかなり時間がある。
そうだ、今日は早めに入浴しようかな。いつものあの個室露天は、やはり入った後は少しラクになる……気がする。効能とかはよくわからないにしても、フツーに温泉で身体を温めると疲れとか痛みとかが緩和される気がする。
よっこらしょっと掛け声をかけてどうにか上体を起こし、足をヨロつかせながら立ち上がる。そうそう、ホルスターを忘れないようにしなくては。また怒られてしまう。
別館個室露天で肩まで浸かっていると、まだアザのあたりがピリピリする。
けど、ジワ〜っと温かさが滲みて眠くなってくる。
お風呂で眠るのは危ないってわかってるけど、眠い……。
寝ちゃダメだ。寝ちゃ……ダメだ。
ぶるるっと頭を振り、姿勢を変えて湯船から腕を出し、うつ伏せで腕枕する。肩のあたりがヒンヤリして、少し目が覚める。
個室とはいいながら、露天だからそれなりの広さだ。柵で囲まれた範囲に、小さな湯船が全部で3つ。微妙に泉質が違うらしいけど、入ってもいいのは、いま僕がいる湯船だけ。言われたことはきっちり守る。女将さん、怖いんだもん。
所々に、間接照明。その傍に、点々と人形のようなものが立っている。御霊柱ってやつだ。最初は不気味だったけど、もう慣れた。御霊柱はケガレから発生した「隠魂」が「守り神」に転化したもの……館のケガレを吸ってくれるものだと、前にヒナギさんが言っていた。温泉にはケガレが溜まりやすいんだと思う。湯守の手伝いをしたとき、澱がすごかったから。
「ケガレから……守ってくれてるんだね……ありがとう」
トロ〜ンとした笑顔で、また半分眠りながら感謝する。ギラリ……と御霊柱の眼が光ったように感じた。
なんとか眠らずに済み、「よしっ!」という掛け声とともに湯船を出る。
服を着て廊下を歩く。キンキンに冷えた牛乳でも一気飲みしたいところだが、そんなことをすれば速攻お腹を下すので諦める。哀しき僕の体質。
湯上がりはやっぱりポカポカして心地いいけど、頭がハッキリするにつれ、心のシコリがうずき出す。女将さんの厳しい顔や口調が思い出されて、胃の辺りがキュッと締めつけられる。
「どう考えても、濡れ衣なんだけどなぁ……」
不快なことほど、蒸し返してしまう。怖いものほど、意識を向けてしまう。ああ、哀しき僕の性分。
「帰りたいなぁ……」
もちろん、実家にではない。実家なんかに帰ったら、また別の不快感で押しつぶされる。帰りたいのは、僕のアパートだ。ボロくて狭いけど、僕の好きなものに囲まれた安息の場所。あ、そうだ。アパートに帰れば、思う存分「歴史シミュレーション・ゲーム」ができる。高堂さんが贈ってくれるって言ってた改訂版! いい人だよなぁ、高堂さん……って。あれ?
「よぅ、後輩!」
「こ、高堂さん?」
「なんだよ、幽霊でも見たって顔だぜ?」
「いやいや、喜んでるんですってば」
「ハハハ、そりゃ嬉しいね。後輩君に慕われるなんて」
相変わらず爽やかな笑顔。この笑顔のせいで、僕はすっかり自制心を失ってしまった。
「高堂さん……」
「な、なんだよ。急に暗くなっちゃって」
「実は……」
軽い愚痴の一つ二つ聞いてもらえればいい、そんなつもりだったのが、どんどん堰を切ったように言葉が溢れ、立ち話では済まなくなっていた。
気がつくと、僕らは別館中庭に面した縁側に座り込んでいた。
「……すみません、こんなに長時間ダラダラと……」
高堂さんは、白い歯を見せた。
「いいさ、こんなに溜め込んでたんじゃ、吐き出さないとカラダ壊すぜ」
満面の笑顔に、僕の気も緩む。
「でも、高堂さんも聞き上手ですよ。本来、僕、こんなに自分のことは喋らないんですから」
「よく言われるよ。まっ、俺がモテ男のゆえんだねぇ」
「うらやましい限りです……」
「ときにヨリミツ君さ、その呪詛元のことは、女将さん……鍔葵ちゃんから何か聞いてないの?」
「いえ、特にそういうことは……」
「フム、そうなのか」
顎に手を当て、思案顔になる。
「……それは鍔葵ちゃんもよくないなぁ」
もう一度、思案顔になる。
「その呪詛って、柊の間でもらったって言ったよね?」
「はい」
「あそこはね、かなりヤバいモノが封じ込められてるんだよ。そう、かなり、ヤバい」
繰り返したのは、相当ヤバいってこと……だよな。
「哭血縄比売……っていうらしいんだ」
「クチナワ……ヒメ……」
高堂さんは、中庭の土に指で字を書いた。
「哭血縄比売……ですか。またオドロオドロしい名前ですね」
「俺も詳しいことは知らないんだけど、なんでも500年以上この館で言い伝えられてる、そりゃ大物の悪霊らしいぜ」
「な、なんだか高堂さんの会社で手がけるゲームに登場しそうな感じですね」
「お〜いいねぇ、それ……って、冗談言ってる場合じゃないと思うよ、ヨリミツ君。だいたい名前がつくなんて、それ相応の大物ってことなんじゃないの?」
「大物……ですか」
とんでもない呪詛をもらっちゃったんだろうな。マジメに考えると、不安に潰されそうな気がして、やっぱり茶化したくなってくる。
「けど、納得はしたよ。鍔葵ちゃん自らが荒療治するっていうのも、ある意味しょうがないかもね」
「しょうがないじゃ済まないぐらい……キツいんですけど」
「それもわかる。たぶん、夏休みの1ヶ月ぐらいじゃ足りそうになくなってきたから、彼女もアセってるんだろうさ。あいつ、本来そういう荒っぽいことは好まない……でもないか。怒りのツボがあんだよなぁ。それ踏んじゃうと、手がつけられないこともあったなぁ、昔……」
「それ、聞かないことにします」
「あんまし無責任なことは言えないけど、きっとキミの取った行動があいつのツボにハマっちゃったんだなぁ」
「濡れ衣なんですけどね……」
「ただね、ヨリミツ君……」
微笑みが、消えた。
「そんなにわかりやすい理由で、そうまで怒るヤツじゃないぜ、あいつは」
「そう、なんですか?」
「賢いヤツだからね。もしかしたら、キミが気づいていない大きな理由が……そう、あるのかも……な」
なにやら自分で自分を納得させているようにも見える。
「なんなんですか、その大きな理由って」
高堂さんは、黙ってしまった。頭の中で整理しているのか、しきりにうなずいている。
「高堂さん?」
「あ、すまんすまん。でも毎日の荒療治や厳しい態度がキツいってのは、よくわかるよ。理由がどうあれ、な」
「そう言ってもらえると、少し、気が楽になるかもです」
「そいつは何よりだ。まぁこれもご縁だからね。俺に話してラクになるなら、いつでも話してくれよ。しっかり聞くし、もしかしたら何か役に立てるかもしれないからさ」
「あ、ありがとうございます!」
心底うれしい。誰も頼れる人がいなかったから。ヤバい、涙出そうだ。
高堂さんは、別れ際に、スマホの連絡先を教えてくれた。まだしばらくはここにいるから、いつでも連絡してくれと。
一人になって本屋敷に向かっていると、小柄さんに出くわした。今日はツイてるぞ。
「頼光さん……あ、温泉の帰り?」
「はい、さっきバッタリ高堂さんに会いまして、ちょっと話し込んでました」
言ってから、しまったと思った。あまり高堂さんと馴れ馴れしくしないようにと言われてたんだった。佐柄さんからだったけど。
「フフフ、大丈夫よ、佐柄さんには内緒にしておくから」
さすがだなぁ、やっぱりお母さんみたいだ。
「助かります。あの人、絶対また怒るから……」
「でも嫌わないであげて? あなたを思ってのことだから。ただね、不器用な人なのよ……」
「あっ、いえ、嫌うだなんてそんな……先輩として注意してくれてるのはわかってますから」
小柄さんは、ちょっとだけ目を大きくした。
「先輩——?」
「って言っても、僕は正規のスタッフじゃないですけどね。でも、仕事をご一緒させていただいたんで、やっぱり先輩ですよ。もちろん小柄さんも」
「ああ……そう、だね」
「あれ? 僕、なんか変なこと言いました?」
「あ、ごめんなさいね。私たち、ここじゃ一番下っ端だから、先輩だなんて言われると、なんだか新鮮で……それより頼光さん、元気そうでホッとしたわ。このところバイトも休んでたから、心配してたんだ」
「気にしてくれてたんですね。実はちょっと落ち込んでたんですけど、さっき高堂さんと話してたら、元気になっちゃいました」
「そうなんだ。よかったじゃない」
「高堂さん、聞き上手なんで、ついいろいろ話を聞いてもらって……」
「そうなのね? たしかに……」
急に顔を近づけて、眼を覗き込んできた。
「うん。眼に元気があるね。うん、よろしい!」
ヨシヨシとかされそうな勢いだ。小柄さん、ほんと癒される……って、ちょっと、また距離が!
「……で、どんなお話をしてたの?」
真っ直ぐに見つめるその瞳に、僕はフゥ〜っと吸い込まれそうになっていた。




