第弐章 長ヒ夏休ミ §【夏休み6日目】
*▶︎▶︎pers.ASATO
翌日は、午前中にまたヒナギさんの猛コーチを受けてから、昼食後、女将さんの治療だった。
手のアザはもうほとんど消えていたが、肩と背中の方は、目覚ましい進展がなく……というより、また熱を持ち始めていた。その影響なのか、深夜から今朝にかけてひどい悪夢にうなされ、何度も目を覚ましていた。
「ふぅん、なるほどねぇ……。あんまり眠れなかったんだね?」
「はい。あ、でもいまの治療で思いっきり叫んだので、ちょっとスッキリしたかもしれません」
治療中ずっとすがるように握りしめていた護刀をホルスターに収めながら、僕はわざと冗談めかして言った。
「ヒナギ、今夜の夕食から献立を変えてみよう」
女将さんはそう言うと、サラサラとメモを書き、ヒナギさんに渡す。
「板場の龍銕にこれ渡して伝えな。少し薬効を強めにするよってね」
「はい。頼光くん、今日は15時からだったわね、アルバイト」
「ですね。あの、今日はどちらのお手伝いをすれば……」
旅館の制服に腕を通しながら尋ねる。ヒナギさんは、すでに着物をまとっている。
「予定変更で、濱千さんのところでよかったですね、女将?」
「ああ、それでいいよ」
「じゃ、行きましょう。まず板場に寄るから、頼光くん、一緒に来て」
道々、ヒナギさんが説明してくれた。
「濱千さんは湯守の責任者よ」
「ユモリ?」
「温泉係ね。うちは霊泉と呼んでいます。男湯と女湯の大浴場が本館と別館に2箇所ずつ、特別部屋に備えつけのお風呂が8箇所、あとは露天が館内に6箇所、敷地の山に5箇所。合計23箇所のすべてを濱千さんと8人のお弟子さんで担当しているわ。なかなかハードよ」
「あ、ひょっとして僕が毎日使わせてもらってる温泉も……」
「そうよ。あの別館の貸切露天風呂も23箇所のうちの一つです」
「じゃ、お礼を言っておかなきゃですね」
「そうしてください。湯守は交代制で一日もお世話しない日はないのよ」
「なんだか、生き物みたいだなぁ」
「そうかもね。うちのお客様は温泉を目的にいらっしゃる方も多いわ。ケガレや霊障に対する効能がとても強いから」
「湯治ってことですね」
「ええ。まさにうちの御役目には欠かせない、主力施設なの」
「なんだか緊張してきたなぁ……皆さんの足を引っ張らないようにします」
「大丈夫よ、いきなり大変な仕事は振られないから。濱千さんは、指導も上手だし」
ちょうど説明が終わった頃、板場に着いた。
「おっ、学生! どうだ、バイトはうまくやってるか?」
板長の龍銕さんが、威勢のいい声をかけてきた。
「あ、はい。どうにかこうにか……叱られながらですが」
「ったりめぇだろ! 最初はなぁ、叱られてナンボだ。肝心なのは、同じお叱りを受けねぇってことさ」
「はいっ、肝に銘じます!」
「けどよ、叱られるってこたぁ、動いてるってことだ。その調子で臆せずやれ、学生!」
ヒナギさんが、女将さんから預かったメモを渡すと、龍銕さんの顔つきが少し厳しくなった。
「……なるほど。こりゃまた女将も、なんていうか……」
なんだろう……なにか面倒をかけてしまっているんだろうか。
「フム……」
うわわ、こっちを見てる。怖い怖い。
「承知です。お嬢、今晩から切り替えるって、女将にお伝えください」
クルッと背中を向けて、持ち場に戻る龍銕さん。肩で大きく息を吐いた。
「板長さん、ご、ご面倒をおかけします……」
余計なことを言って怒鳴られるのを覚悟してでも、そう言わずにはいられなかった。
が——。
意外にも龍銕さんは、静かに片手を挙げただけだった。
ホッとしながら、次の濱千さんのところに向かう。途中、ヒナギさんのスマホに連絡が入り、別館の貸切露天まで来るように言われたので、僕はヒナギさんの付き添いなしで向かった。毎日使っているから、場所はよくわかっている。
到着すると、両手両足の制服をまくり上げた男たちが、輪をなして湯船を取り囲んでいた。全部で8人。お弟子さんたちが全員揃ってるということだ。
「失礼します! 今日お世話になります、アルバイトの頼光です!」
輪の中心にいる人物が「ちょっと待っててください」と言って、お弟子さんたちへの説明を続けた。短く刈り込んだ髪にキュッと手拭いで鉢巻きをしているが、湯口を覗き込んだり注がれるお湯を手に取って確かめる姿は、大学か何かの研究者を思わせる。お弟子さんたちも真剣な眼差しで師匠の説明に食い入っているから、本当に研究室で成分分析でもしているみたいだ。
「お待たせしました。湯守頭の濱千です」
それを皮切りに、一人一人が簡単な自己紹介をしてくれたが、一度じゃ覚えられそうにない。みんな一様に丸坊主で、たぶん坊主頭の青味が多い順に新しく入った人なんだろうなと思うと、思わず笑いが込み上げてきたが、我慢した。とりあえず、あらためて挨拶をする。
「頼光です。よろしくお願いします!」
「君は、毎日ここを使っているんだろう?」
「はい。女将さんの指示で、そうさせてもらっています」
「なにか気づいたことは無いかな?」
「いえ、特には……とてもいいお湯で快適です」
「いや、そういうことじゃなく。泉質的な……そうだな、湯に入るとピリピリするとか、違和感を感じるとか」
「そういうことも、特には無いですね」
「フム、なるほど……」
またお弟子さんたちとの談義が始まった。議論って言ってもいいかも。湯守って、こういう泉質のチェックとかもするんだなぁ。
「彼は、霊障4度でしたね、師匠?」
「そうなんだ。ということは、やはり……」
今度は、全員が腕組みをして黙り込んでしまった。なんだ、なにを悩んでるんだ?
「頼光君、悪いが、背中と肩を見せてもらえないだろうか」
なにがなんだかわからないままに、言われた通りにする。濱千さんは僕の後ろに立ち、眼鏡をかけてアザのある辺りを凝視する。
「頼光君、ここに来て何日目だったかな」
「え〜と、今日で6日目です」
「この霊泉には、5回入ったということでいいか?」
「はい、そうですね」
湯守さんたちは、また輪になって口々に意見を交わす。ボソボソとよく聞き取れないが、時折「やはり効能が……」とか「いや、もう少し違う角度から……」とかがなんとなく耳に入ってはくるが、まさに侃侃諤諤って感じで、入り込む余地がない。
「まぁ、とりあえず結論としては、もう少し検証が必要ということだな。では、頼光君、本題に入ろうか」
僕は制服を着直して、返事をした。
「湯守の仕事はね、泉質の状態確認、湯量の確認、湯の温度調整……この辺りは素人には任せられないから、私たちの仕事だ。君には、洗い場と湯船の清掃を手伝ってもらうよ」
「はい、わかりました」
「うちは、基本的に毎日換水している。湯の入れ替えだね。チェックアウトの10時に湯抜きを行い、そのまま午後にかけて湯船と洗い場の清掃を行うから、そのときに手伝ってもらえるかな」
「承知しました。明日は13時からの予定ですが、もう少し早く来た方がいいでしょうか」
「可能なら12時ぐらいに入ってもらえるとありがたいが、私から女将に相談しておくよ」
そのあとは、湯守詰所に移動して、座学的な話になった。ホワイトボードがいくつも設置され、そのすべてに図やら化学記号やらが殴り書きされた一室は、見るからに研究室のようだった。
23箇所ある湯船は、効能別になっていて、特別部屋の備えつけだけは、宿泊客の体質や状態によって、5種類ある源泉をブレンドするそうだ。この配合は、女将さんからの指示に基づき、濱千さんが厳密に行う。それ以外の湯船のお湯は、あらかじめ決められた効能のものが用意されているらしい。僕は、いいチャンスだと思い、気になっていたことを訊いてみることにした。
「あの、濱千さん、質問してもいいでしょうか」
「どうぞ」
「僕が毎日お世話になっているあの個室露天風呂の効能は、なんなんでしょう?」
「あそこは霊障3以上の症状に対応した泉質にしてあります」
8人の坊主頭が、同じ動きで僕と濱千さんを交互に見る。
「霊障3は、かなり重度の部類だから、もともとは効能も強めに調整してある」
「そうなんですね。僕の背中と肩のアザがなかなか改善しなくて、昨日からはむしろ悪化しているような感じもするんですが……」
「君の場合は霊障4だからね。まだ湯治5回目だと、目立った改善は出ないのが普通だよ。それに、悪化しているように感じるのは、一時的な好転反応という可能性もあるね」
「なるほど……」
「焦らず続けることだよ。効果を焦る精神状態だと、効能にも悪影響を及ぼすことがあります」
「わかりました。ちなみに、あそこのお湯は、どんな症状に合わせた配合なんですか?」
「それは……詳しくは言えないことになっている。申し訳ないが、君は正規のスタッフではないから、まだ部外者扱いなんだ……」
「そう……なんですね。失礼しました」
普通、温泉には効能が書かれた看板とかパネルがしっかり公開されて、むしろアピールされているけど、ここは違うんだな。やっぱり、いろいろな事情を抱えた人が密かに訪れるような場所でもある以上、公にできないこともあるんだろう。
一通り基礎的な説明をしてもらって、18時を少し回った頃、座学は終了した。お弟子さんたちにはまだこれから指導や打ち合わせが残っているからということで、僕だけ上がらせてもらうことになった。
本屋敷に戻る途中、夕食の配膳に向かう小柄さんと出くわした。
「あ、頼光さん! おつかれさま!」
明るい声と笑顔に、また癒される。
「今日は、どちらのお手伝い?」
「湯守の仕事を……っていっても、今日は座学だけで、作業は明日ですが」
「そっかぁ、湯守の作業は重労働だから、頑張ってね!」
「はい、ありがとうございます。今日も、大広間に配膳ですか?」
「そうそう。高堂さまのご一行が、まだ一週間ほどご滞在なのよ」
「それじゃ大変ですね。明後日は、そちらのお手伝いができるよう、ヒナギさんにお願いしてみようかな……」
「大丈夫大丈夫。昨日ほどの人数はいらっしゃらないから。今日からしばらくは、高堂さまのところと、あと3名さまだけかな」
「あれ? 昨日、佐柄さんが、しばらく忙しくなるって言ってませんでした?」
「ああ、急遽お発ちになるお客さまが続いたのよ。だから、大丈夫。それより頼光さん、いろいろな現場で頑張ってるけど、少しはうちに慣れた?」
「あ、はい。皆さん親切にしてくださるので」
「ほんとに? 無理してない? 辞めたいとか……思ってない?」
「大丈夫ですよ。辞めたいだなんて、そんな……」
「よかった。えっと、あの……大変かもしれないけど、しっかりね……」
小柄さんは、僕の手を取り、キュッと口を結んで言った。
「なにか困ったことがあれば、いつでも相談してね……頼光さん」
「ありがとうございますっ!」
僕は、腹の底からお礼を言った。まだ1回しか仕事をご一緒していない僕に対して、こんなに親身に案じてくれるなんて……ホントに胸が熱くなる。
小さく手を振って仕事に戻る彼女を見えなくなるまで見送ると、僕は意気揚々と本屋敷に向かった。




