第弐章 長ヒ夏休ミ §【夏休み5日目】その2
*▶︎▶︎pers.ASATO
18時30分。配膳作業が始まった。
僕と小柄さんは、御膳がたくさん載った配膳台車を押して、弐番大広間に向かって歩いている。御膳には一つずつ、数字の代わりに「いろは47文字」を割り振るというのが、しきたりらしい。ちなみに「へ」「ら」「ひ」「ん」は失礼に当たるから使わないそうだ。「へ」が「屁」を連想させるって察しがつくけど、他の文字はどうしてなんだろうと気になって小柄さんに尋ねたが、「今度、ヒマなときにね」と笑顔で断られた。
「そんなことより、頼光さん、絶対に配膳は間違えないようにね」
「わかりました。どれも同じってわけじゃないんですね……」
「うちの食事は、食箋を兼ねてるから。ケガレを浄化するための処方箋、みたいなものね」
「あ、それならわかります。僕も、毎日それ、治療の一環としてやってもらってますから」
小柄さんは、チラッと肩越しに僕を見ただけで、なにも返答しなかった。気をつかってくれたのかもしれない。
大広間の前に到着し、すでに座布団が並べられている場所に、御膳を運ぶ。どこにどの御膳を置くか、小柄さんがキビキビと指示してくれる。すごいな、すべて頭に入っているんだ。指示された通りに、間違えないように……緊張しながら並べる。
6人分の座布団がひとまとまりに並ぶ場所、ここが高堂さんとそのお連れの席だ。社名や個人名で⚪︎⚪︎御一行様、みたいな表記は、ここでは絶対に使わない。どこの誰がこの館に来ているかすぐに判明するような表現を避けているのだ。政財界や芸能界は狭い世界でもあるから、顔見知りも珍しくないらしいが、その場合は「知らぬふり」「見ないふり」をするのがここのエチケットとなっている。もちろん、ここで商談や密談をするなどは、御法度だ。
あらかた配膳が済んだのが、19時少し前。わらわらと宿泊客が入ってきた。
「お〜ヨリミツ少年! おつかれさん!」
手を振りながら高堂さんが入ってきた。お連れの皆さんを引き連れている。榊良グループの社員さんたちかもしれない。僕は、会釈だけを返した。
「あら頼光さん、高堂さまをご存知なの?」
「たまたま下見のときに話しかけていただいて……」
「フン、油断も隙もないヤツね」
いつの間にそこにいたのか、佐柄さんが後ろに立っていた。
「あんた、失礼なこと、しなかったでしょうね」
「してません、してません。ヒナギさんもいましたし」
「なら大丈夫ですよ、佐柄さん。高堂さまは、大らかな方ですし」
「ホント、気さくな人ですね。僕やヒナギさんのこと、高校の後輩だって喜んでくれましたよ」
佐柄さんの目つきが、にわかに鋭くなった。
「なっ……なに余計なこと話してるのよっ! あんた、立場、わきまえなさい!」
かなりの大声だったため、一瞬、大広間からの視線がこっちに集まった。慌てて小柄さんがお詫びする。
「申し訳ございません。どうぞ、お気になさらず」
そそくさと、僕と佐柄さんを廊下に押し出す。
「す、すみません……身の程をわきまえず……」
佐柄さん、そっぽを向いているし。そうまで怒ってる理由が知りたいけど、そんなこと聞いたらどうせコジれるに決まってる。相性が最悪なんだ。ったく、だからイヤなんだ、人と関わるのなんて。バイトだって、やりたくなんかなかったんだ。……けど、ここで放棄したら女将さんの治療も受けられないし……ヒナギさんにも、申し訳ない。
「佐柄さん、ほら頼光さんも反省してるみたいだから……」
小柄さんがポンポンと僕の背中を叩きながら、佐柄さんのこともなだめてくれた。落ち着いて考えてみると、高堂さんもここのお得意様みたいだし、もし僕が失礼なことをしたら佐柄さんたちの監督責任が問われるってことなんだろうな。とにかく、今後は控えめにやろう。
大広間のすべてのお客さんが食事を終え、御膳を板場に戻し終えたのは、21時近くになった頃だった。いったん本屋敷に戻って夕食を取ってから大広間に向かおうとしたとき、アルバイトなんだからそこまでしなくていいとヒナギさんは言ってくれたが、僕はそれを押して小柄さんたちを手伝った。いろいろと気を持たせてしまっただろうし、特に小柄さんにはたくさんフォローしてもらったから。
佐柄さんからはぜんぜん声をかけてもらえずヘコんだが、仕事を終えて帰りの廊下を歩いていたとき、ばったり蜜角さんと出くわした。
「おぅ、ずいぶん遅ぇじゃねぇか。いままで仕事してたのか?」
僕は、つい長々と事情を話してしまった。
「あ、すみません、なんか愚痴みたいなことをダラダラと……」
蜜角さんは、少し眉間に皺を寄せ、それを打ち消すような感じで、何度かうなずいた。
「お前、頼光よぅ……」
「はい」
「……いや、うん、あのな、仕事ってのはいろいろあるんだ。まぁアレだ、馬が合わねぇヤツもいるだろうけどよ、そのうち伝わるから……腐らねぇでしっかりやんな」
振り向かずに手だけ振って、蜜角さんは立ち去った。心なしかちょっと寂しそうなふうにも見えたが、僕はその背中に頭を下げると、部屋までの道を走った。




