第弐章 長ヒ夏休ミ §【夏休み4日目】その2
*▶︎▶︎pers.ASATO
「どうも君たちの話は、要領を得ないんだよねぇ」
本館ロビーにある帳場。そこは旅館の司令塔みたいな場所だって、ヒナギさんが言ってた。
その奥にある応接室。
ここに女将さんをはじめとするスタッフの中でも、たぶん偉い方の人たちが一堂に会している。
「要するに、だ。蜜角君の監督不行き届き……そういうことだね?」
左番頭の口金さんは、細いフレームの銀縁眼鏡を指で押し上げた。左番頭っていうのは右番頭よりも上らしい。前にお世話になった2メートルぐらいはある長身の逆輪さん……いまソファの上で窮屈そうに座ってるけど、その人よりも上ってことか。
「それについては……言い訳をするつもりはねぇよ」
「それ、本当は言い訳をしたいっていうときの口ぶりだよね。構わんよ、言い分があるならどうぞ」
「だから言い分も申し開きもねぇって言ってんだろ」
「ふん。では、こういうことでいいんだね。君たち室守が離れの清掃をしている間、鬼菅の間に一時移動していただいた高見沢様が隠魂に襲われ、そこのバイト君が暴走していたところに駆けつけたが、揃いも揃ってその暴走を止められなかった、と」
なんだか身もフタもない言い方だけど、主旨としては間違ってはいないかも。蜜角さんも蜜丸さんも、何も言えずに唇を噛んでいる。
「いたって単純なことだ。問題点は三つ。高見沢様とご一緒させたのが右も左もわからぬド素人のバイト君だったこと。高見沢様に一時移動していただく部屋を責任者の蜜角君が事前確認しなかったこと。程度の低い隠魂も、暴走するド素人も、君たちが制圧できなかったこと……やれやれ、曲がりなりにもプロが二人もいたというのに」
「チッ……いちいち言い方が陰険野郎なんだよ……」
「ん? 聞こえてるよ。ボクは陰険なのではない。論理的なだけだ。言葉の使い方を小学校から学び直した方がいいな」
「てっ、テメェ! 減らず口を……」
殴りかかろうとする蜜角さんを、咄嗟に跳ね起きた逆輪さんが遮る。
「やめとけ、角さん。口金さんも、それぐらいにしましょうよ」
「あの現場にいなかったくせに、知ったふうなこと言いやがって!」
「あいにくだが、いちいち現場を見ないと判断できないようじゃ、ボクの仕事は務まらないんだよ。報告された情報から大局的かつ客観的に判断するのが、ボクの立場だからねぇ」
これもきっと正論なんだろうけど……この人、言い方がやっぱり……。
「反論があるならどうぞ。できるのなら、だけど」
蜜角さん、ギリギリと歯を鳴らして口金さんを睨みつけてる。蜜丸さんはもう処置なしって感じで、耳の穴をほじってる。
「蜜角君の単純な差配ミスってことは百歩譲って、よしとしよう。問題は、うちの上得意である高見沢様を危険に晒してしまったことだ。結果的には、大事に至らずに済んだが……もし傷や霊障がお体に残りでもしたらと思うと、冷や汗ものだよ」
「ふぅん、そんなことまで気にかけていただいて、恐縮ですわね」
全員が一斉に、声の主へ視線を向けた。応接室のドアに手をついて、ユイカさんが苦笑していた。
「ごめんなさいね、勝手に入って来ちゃって。一応あたしも当事者なんで、その場にいないし見もしてない左番頭さんが、おしゃべり下手な担当者の情報だけで判断を間違えないか心配になったもので」
「た、高見沢様、お気持ちはありがたいのですが、困ります。スタッフだけの重要な会合ですので……」
「あら、そんなに大事な会合じゃなおのこと、正確な情報が必要よね。いいわよ、あたしに気を遣わず進めてちょうだい」
「いや……ですから高見沢様……」
「よろしいじゃないんですか」
仲居頭の柄嶌さんだ。口金さんも、口を塞いでしまった。
「ユイカお嬢様は、まぁ僭越ですけど身内みたいなものですもの。事が事だし、話に入っていただいたら? いかがでしょう、女将」
前にヒナギさんが言ってたけど、ホントは怖い人なんだろうな。
「そうだね。ユイカさんに隠し立てするようなマネはしたくないし。おつき合いいただいてよろしいかしら、ユイカさん」
「ええ、そのつもりだったから」
女将は、自分の席をユイカさんに譲り、補助イスを引っ張ってきて僕の隣に腰掛けた。
「じゃユイカさん、申し訳ないけど、あなたの見立てをおっしゃってくれますか」
「そうね」
ユイカさんは、おもむろに立ち上がって頭を下げた。
「このたびは、あたしの不注意でした。ごめんなさい」
ああ、綺麗なお辞儀だなぁ、いかにも育ちがいい人って感じだなぁ……って、違う! そうじゃない!
「いえ、あの、僕が張本人っていうか、何もできないくせに……ご、ご迷惑を。僕の責任で……」
「なに生意気言ってんのよ! バイト風情に責任なんかあるわけないでしょっ!」
ヤバい! 怒らせちゃったか?
「でも……ありがとう」
「…………え?」
「あたしが無事だったのは、あんたのおかげ」
「いやいやいや! そんなことは……」
「このあたしがそう言ってるんだから、シノゴノ言わない!」
「はいっ! でもホント、僕はぜんぜんなにも……」
ユイカさんは、僕のことはスルーして、全員に向けて言った。
「ヨリミツは、ちゃんとあたしに注意喚起してくれたわ。危険だから離れろって。あたしがそれを無視して、執筆をやめなかったのよ。ヨリミツの言う通りにしていれば、あんなことにはならなかったし、まもなく蜜角たちも駆けつけて事態は収拾できてたはずよ」
「あの、すみません、庇っていただいて……」
キッと睨まれた。ああ、またやっちまったか。怒られる……。
「勘違いしないでヨリミツ。あたしは、あくまで正しい情報を伝えてるだけ。なんであんたなんかを庇うっていうのよ」
「……し、失礼しました」
「まぁ、そうだねぇ」
女将が僕の頭に手をかけ、お辞儀をさせながら言った。
「麻人さん、まずはユイカさんや蜜角、蜜丸に謝りな。事情はどうあれ、あんたが暴走してうちの掟を破っちまったのは確かなんだから」
「も、申し訳……ありませんでした」
「はい、よくできた。さて、次は麻人さんがうちの掟を破って神妙になりかけてた隠魂に手をかけちまった件だ」
「そうです。頼光麻人がやったのは、御霊断ちですよ、女将!」
「そうだねぇ。あのね麻人さん、御霊断ちっていうのは、キヨメとしては第二段階。隠魂が凶暴で反撃をやめないときにだけ許されるんだ。蜜角の報告じゃ、もう相手に戦意はなかったっていうじゃないか」
「すみません、なにも覚えていなくて……」
「またかい……前にも記憶が飛んじまったよねぇ、あんた……」
「それに、御霊断ちは、隠魂守のような有資格者だけが許される行為です。無資格者が好き勝手にそんなマネをすれば、それは単なる蛮行。それ自体が脅威にもなりかねません」
「口金の言うことが正論だってこと、わかるね、麻人さん」
「……はい」
「それだけではない。そもそもこの館は、隠魂を根ノ國に返す第一段階のキヨメを行うのが御役目だ。御霊断ちも第三段階の肉断ちも、あくまで非常事態のやむを得ない場合のみ。それが掟です。この館で掟破りなど、あってはならないことです」
ニクダチって、やっぱり人間ごと斬る……みたいなことなんだろうか。もしあのとき斬っちゃったのが人間だったら……そんなのシャレにならないよ。
「おっしゃる通りだと……思います。とんでもないことに、なりかねないって……よくわかります」
「ちょっと待って、女将。ヨリミツって、前にもあんなことがあったってこと?」
「いえ暴走したってわけじゃないんだけどね。あかずの間に入っちまって……」
「それって、柊の間……よね?」
「そうさ。この子、まんまと呪詛をもらっちまってね。そのときにも意識が飛んじまったのさ」
「なるほどね。鬼菅の間でも、あたしには見えなかったところまで見えてたみたいだし、なかなかの体質ってことか……」
「高見沢様、事は単に体質という話ではないと思うのです」
口金さんは、言いながら女将さんの方に目でなにかを訴え、女将さんが、黙って首肯した。
「実は柊の間のとき、私は警鐘を鳴らしていたのですが、今回のことで確信に近づきました」
「……資質、ってことですかい、口金さん」
逆輪さんが、ゆらりと手を上げて言った。
「そうだ。頼光麻人には、本人も知らない獰悪なモノが宿っている可能性がある」
「待ちな、口金。獰悪なのかどうかは、まだハッキリしないだろう?」
「いえ、女将。今回の一件は、危惧すべき性質のものです。仮にも大の男二人の制止をものともせず、まるで悦に浸るように命乞いをする相手を斬り棄てたのですから。それは実に凶悪なモノと言わざるを得ません」
「……たしかにねぇ。そう言われりゃ、あたくしも一言もないよ」
「ちょっと待ってくれ! 仮にそうだとしたら、口金さん、あんた、どうしろっていうんだ? まさか、頼光をどうにかしちまえって……」
「なに言ってるのよ! ちゃんとヨリミツに言い聞かせてここに出入りさせなきゃいい話でしょ?」
「しかし高見沢様、考えようではそれでは虎を野に放つことにもなりかねません。それに、彼は当館の名に傷をつけたわけですし……」
「バカ言わないでっ! なにも知らなかっただけでしょ?」
「しかし、知らなかったで済むようなことでは……」
「冗談じゃないわよ! それなら、彼をバイトとして雇ったあんたたちにも責任はあるじゃない! それを棚に上げて……」
席を立っていまにも口金さんに掴みかかりそうなユイカさんを、柄嶌さんが止めた。
「ユイカお嬢様、落ち着いてくださいな」
「さっきから聞いていれば自分たちに都合のいいことばかり言って! ヨリミツは右も左もわからない高校生だよ? そうだ、ヒナギ! あんたもなんか言ってやりなさいよ! 友達なんでしょ?」
「わ、私は……」
ヒナギさんは目を大きく見開いて僕を見ると、すぐに女将さんの方に視線を移し、下を向いて黙ってしまった。
「ヒナギ! あんた、若女将なんでしょう?」
「ユイカお嬢様、まず落ち着いてください」
柄嶌さんは見かねたのか、ユイカさんの両肩に手を置いてなだめる。が、ユイカさんはきかない。
「なに黙ってるのよヒナギ! ビシッと言いなさいっ!」
「高見沢のお嬢さんっ」
逆輪さんが、鋭い声で言った。
「まずは座って、少し頭を冷やしなせぇ」
「……わ、わかったわよ」
今度はユイカさんが、うつむいた。
「女将が、なんかおっしゃりてぇようなんで、とりあえず聞きやしょう」
視線が女将に集まる。
「護刀を……使おうかねぇ」
「アレを? 女将、それは……」
「なんだい口金、反対だってのかい?」
「と、とんでもありません! 女将に異を唱えるなど……。ただ、アレは貴重なものですから、昨日今日入った子供には過分なのではないかと……」
「あっしも同感です。ありゃあガキには過ぎたシロモノじゃないですかい」
「おや、珍しいねぇ、あんたたち二人が同意見だなんて。まるで示し合わせたようじゃないか」
「いえ……そんなこたぁねぇです……」
「け、決してそのようなことではありません、女将。申し上げたいのは、アレは当館でも大変尊いものだと……」
「ははは! わかってるよ、あんたたちがアレをとっても大切に思ってくれてるってことはさ。ありがとうね」
二人が、無言で首を縦に振った。
「だけどね、このまま麻人さんを放り投げちまったら虎を野に放つことになりかねない、そりゃ口金の言う通りだよ。けどね、なんにも知らない麻人さんを巻き込んじまった責任はこっちにもある、そりゃユイカさんのおっしゃる通りさ」
女将さんは、僕に視線を移した。
「麻人さんには、1ヶ月ここにいてもらわなきゃならない。それもこちらの責任だ。だから、あらためてここの掟について教えます。けど、その間にもまたなんかあっちゃいけないからね、麻人さんに暴走させない工夫がいる。だから、護刀を渡す。あたくし、間違ったこと言ってるかい?」
誰も何も言わない。異論が無いのか、女将に威圧されているのか……。
「さてと。アレを使うとなると、央番頭の承諾がいるね」
女将は、内線電話の受話器を取る。
「ああ、太刀花さんかい……ええ、あ、そうかい。そっちの交渉は上々だったんだね? はい、ご苦労様。じゃ、すぐ応接室まで来ておくれ。それでね、アレを持ってきてもらいたいんだ。麻人さんにそれをね……遠隔で麻人さんをリサーチして……ええ、見つくろっておくれ。はい、じゃよろしくね」
受話器を置き、口金さんに声をかける。
「あっちの方の話、どうにか今回は、まとめてくれたみたいだよ」
「そうですか。さすが、央番頭です」
「女将、太刀花さんのお手を煩わしちゃいけねぇ。アレは、あっしが取りに……」
左右の番頭さんが平伏しそうな勢いだ。この二人をこれほどまでに心服させる央番頭さんっていうのは、一体……。
「逆輪、気を利かせてくれて、ありがとうね。けど、もう着いたみたいだ」
「いや、女将、皆さん、遅くなりました」
…………え? この人が、そうなの? っていうか、もう到着したの?
「やれやれ、歳には勝てませんなぁ。若い頃はこれぐらいの距離、ススーッと移動できたんじゃが」
ちっちゃいなぁ〜。女将さんの胸元ぐらいしか背がない。側頭部だけに残った羽毛みたいな白髪、山羊のようなアゴ髭、人懐っこい笑顔……旅館の半被を着て、後ろ手を組んだガニ股姿。好々爺の見本みたいな人だ。
「ホイ、女将、持ってきましたぞ」
太刀花さんは、黒と銀の上品な生地で包んだ物を、女将さんに手渡した。ズシンと重そうに女将さんが受け取ったけど、あれがきっと護刀だな。そういえばあの柄って、前にヒナギさんが着ていた着物に似てるかも。
「太刀花さん、面倒な交渉を頼んじまって、悪かったね」
「いやいや、ワシでよかったですわ。ああいう頭の硬い役人みたいな連中は、ワシのような老いぼれが出て行った方が、同情してくれて話がまとまりやすいっちゅうもんです。うはははは!」
「詳しい話は、後で聞かせておくれ」
「はいはい。で、女将、これ使うんですな?」
「ええ、その子にね」
女将さんが言う前に、太刀花さんが僕の方を見ていた。笑顔が消えた、射るような眼で。
「……なるほど。うむ、リサーチ通りの子じゃな」
口金さんと逆輪さんが、何か言いたげな素振りを見せたが、太刀花さんが手で制した。
「いらんいらん。だいたいわかった。ああ、そこの兄ちゃん……」
「はいっ!」
「あんた、名前は?」
「頼光……頼光麻人です」
「……ふぅん、よしよし。じゃ、女将、ソレを渡してやってください」
僕は両手で恭しくそれを受け取った。ズシッと重さを覚悟したが、意外なほどフワッとした感じで驚いた。
「……頼光君、刀袋、開けてごらんなさい」
実際に手に持つと、とても上等な仕立ての刀袋だとわかる。朱色の紐をくるくると外し、中からそれを取り出す。黒い……漆だろうか、艶のある鞘に、この館の紋が白く打ってある。刃渡りは20センチというところだろうか。脇差よりもさらに短い、まさに護刀のサイズだ。
「抜いてみなさい」
カチャッという軽い音がして、滑るように刀身が現れた。その刃紋の美しさに、僕は思わず舐め回すように見入ってしまった。
「……ほぅ、なるほど。もういいよ。鞘に納めなさい」
言われた通りにする。なんだろう、胸が騒ぐ。ワクワクする。日本刀は大好きだが、こんなに胸踊るのは初めてかも。
「女将、ソレの説明じゃが、お嬢にやってもらいましょう」
「え? いつも通り、太刀花さんがやっておくれよ」
「ソレが、そう言うんですわ……」
「あら……そうなの?」
「はい。お嬢の勉強にもなるし、ワシからもお願いしますわ……鍔葵さん」
「……太刀花さんが、そうまで言うなら」
「どうですかな、お嬢。できますかな?」
「えっ、はい……やってみます。あの、太刀花さん、ソレは……蜥蜴でいいんですよね?」
「はい。蜥蜴丸です。ようお分かりですな」
「一応、うちの所蔵物のことは勉強していますから。別館の会議室はもう使っていいんですよね?」
「結構じゃよ。もう来客も帰られましたから」
「じゃ、頼光くん、それ持って一緒に来て」
廊下に出ると、ヒナギさんはサクサク歩き始めた。面倒なことを頼まれて怒ってるかもしれない。念のため、謝っておこう。
「あの、すみません、なんか余計な仕事を増やしちゃったみたいで……」
「別に。今日は旅館の仕事、オフだったし」
「そうなんですか? じゃあなおさら、お休み返上になっちゃったんですね……」
ヒナギさんは、クルッとこっちを向いた。
「謝らないでくれる? 納得してやるんだから」
「すみま……じゃなかった、ありがとうございます」
やっぱりちょっと不機嫌っぽいんだけどなぁ。女の子の心理は、ホント、理解が難しい。
ヒナギさんは、本館の奥の方にある勝手口の潜り戸を開けて言った。
「こっちよ」
前に、本屋敷に初めて案内されたときとはまた違う勝手口だよな、ここ。
潜り戸を出ると、石造りの蔵がいくつも並んでいた。やっぱり、ここは初めて来た場所だ。
「ここが壱ノ蔵。いまは鍵を持っていないから中は見せられないけれど、武具が収まっている場所よ」
武具って、旅館なのにそんなものが必要なんだろうか。
「これも、普段はここに?」
「そうよ。護刀はこの蔵の奥に安置されているわ。それの他にも、あと5本あるの」
「そんなに……あの、武具って言ったけど、太刀とか槍とか、そういうものもあるの?」
「それはノーコメント。いまは関係ないから」
サヨウですか……。ちょっと興味あったんだけどな。
「別館に行くわよ」
いったん本館に戻ってから、別館へと移動。館内を歩くたびに、とんでもなく広いと実感する。長い廊下を進み、何度も曲がり、また進む。
途中、「撞球場」だの「投矢場」だの、レトロな遊技場を通過する。撞球って、たしかビリヤードのことだよな。投矢は……そっか、ダーツだ!
やっと「会議室」という看板の掛かった部屋についた。明治時代とかの建築にあるみたいな洋風の部屋だ。
けど、待てよ?
あの太刀花さんってお爺さん、ここからさっきの応接室に来たんだよな……。しかもあの蔵を経由して。女将さんが内線電話で話してから数分も経ってなかったように思うけど……。
「始めるから、座って」
適当なところに座ると、ヒナギさんが隣に腰を下ろした。ほのかに、いい香りが漂ってくる。前にヒナギさんの部屋でしていた、あの甘酸っぱくて濃厚な……薔薇のような匂い。本来、至近距離に他人が入るのをとてもイヤがる僕が、ヒナギさんなら許せるのは、この匂いのせいかもしれない。不思議と落ち着くんだよなぁ。ま、犬が本能的に匂いで安全な人を選別するようなものかも。
「ね、聞いてる? 刀袋から出してください」
「あああ、はい、はいっ!」
クルクルッと慌てて紐を解いて護刀を取り出し、机に置く。
「この刀の銘は、蜥蜴丸。尻尾が長くてチョロチョロって動く、あの蜥蜴です」
すごい真剣に言ってる分、妙に可愛いぞ。チョロチョロってとこが。
「変わった名前ですね」
「由来はよくわからないの。昔の伝承に出てくる怪物を斬った刀の名にあやかったとも、刃こぼれしても一夜明けると元に戻ったことから再生の象徴である蜥蜴にちなんだとも言われているわ」
「前者がカッコいいですね。もし後者なら、試してみたいなぁ、刃こぼれさせて……」
やば、ヒナギさん、黙っちゃった。
「……失礼しました。マジメに聞きます」
「いずれにせよ、いつ頃からうちにあるのかもわからないのだけど、22代目が23代目のために誂え直したものです」
「に、22? 23……?」
「曽祖父が、産まれたばかりの祖父に、ということよ」
「な、なるほど」
前にヒナギさんは25代目になるって言ってたもんな。するといまの女将さんが24代目? それとも、お父さんが……そうだ、そうなんだよなぁ。これまで一度もお父さんの話って……。
「なに?」
「いや、お祖父様が産まれた頃っていうと、どれぐらい前なのかなって……」
「90年ぐらい前ね」
お父さんのことは……気になるけど、聞きづらいっていうか、なんか聞けない雰囲気っていうか……。
「いやぁ、それにしては、ぜんぜん劣化してないですねぇ。大切に保管されてたんでしょうね」
「説明、続けてもいいかしら」
「すみません、話の腰を折ってしまって」
「今日からこれは、肌身離さず携行してください。日中はもちろん、寝るときも枕元に置くのよ。但し、入浴のときは脱衣所までです。水気のある場所は厳禁。台所や食卓でも気をつけて。絶対に水に濡らさないように」
「承知です!」
「携行するときは、刀袋のままにしてください。基本的に、そこからは取り出さず、鞘からも抜かないでください」
抜くなって……フッフッフッ。そりゃムリってものだよ。こんな見事な業物だからねぇ。それも限定1ヶ月限り。たっぷり拝ませていただきますよぉ!
「護刀というのは、そもそもケガレが寄りつかないようにするためのものなの。あなたの場合、内なる何かがケガレを呼び寄せているみたいだから、どちらかといえば、それを鎮めるっていう目的かしら」
「ふむふむ。理解しました」
理解はした。でも、抜かせていただきます。ええ、堪能させていただきますとも。ああ、隠魂でもオヌモノでも妖怪でも魑魅魍魎でもなんでもいいから出てきてくれないかなぁ。き、き、斬りたい……バッサバッサ斬りたい!
「それに……」
ヒナギさんは、少し説明に困ったような素振りを見せた。
「さっき、これの由来の話をしたわよね?」
「ですね」
「怪物を切った蜥蜴丸の話……」
「ええ」
「その伝承には、続きがあるの」
「ほう」
「村を守るために怪物を斬ったと言ったわね? 伝承ではね、蜥蜴丸は意思を持っていて、まるで自ら獲物を狩るように動いたというわ。持ち主は、ただ蜥蜴丸を持っていただけ。勝手にそれが怪物を斬ってくれた、と……」
おおお……カッコいい……そして素晴らしい。剣術を心得ない者でも刀が勝手に斬ってくれる……それってスキルとか関係なく鮮やかに敵を倒せるってことじゃないか! いよいよもって僕にふさわしい!
「でも、その直後、村は飢饉に襲われて全滅したそうです」
「……はい?」
「伝承の蜥蜴丸は、自らの意思で持ち主を操って怪物を斬る。でも、その持ち主をはじめ周りの人たちを、ことごとく不幸に見舞う……まさに妖刀……」
「ゴクリ……絶対に、使いません。斬りません!」
ダメじゃん! そんな物騒なもの、使えないじゃん!
「まぁ同じ銘っていうだけで、伝承の刀と同じかどうか、その確証はありません」
「ですよね! そうですよ。同じ名前の刀が複数あるなんて、珍しくはないですから!」
実際それは珍しいことじゃない。この際、同銘異刀であってくれた方がいいかも。気兼ねなく抜けるし、つ、使えるじゃないか!
「第一ヒナギさん、考えてみれば、伝承の蜥蜴丸は太刀っぽいですけど、これは短刀ですよね? やっぱり別物……」
「あら、保存が悪かったり傷んだ太刀を短刀に打ち直すということも、珍しくはないでしょう?」
たしかに……そうだ。
「まぁ、確証がない以上、使わないに越したことはないわね。いまとなっては、ひいおじいちゃんがなぜそれに蜥蜴丸っていう銘をつけたか、誰も知らないから。その代わり、凶々しいモノを封じる強い力があるのはたしかだから、きっとあなたの暴走も無くなるわよ……」
「……そう願います」
そっとしておこう……うん、そうだ、それに限る。もうぜったい袋、開けない。鞘も抜かない。大切に、大切に、刺激しないように……。そう自分に言い聞かせるが、不気味な感じは拭い去れない。耐えられず、ポケットに手を忍ばせる。精神安定剤のお守りを握る。
「……っ!!」
ビリッとイヤな刺激が走り、ポケットから手を抜き出した。その手を机に思いっきりぶつけてしまい、護刀がガタガタッと揺れて落ちそうになった。
「ちょっ……!」
ヒナギさんが血相を変え、護刀を守ろうと手を差し出してキャッチ! 間一髪、落下は避けられた。
「ちょっと! 気をつけてっ!」
「……すみません」
「ほんとに気をつけて! お祖父様が成人してからずっと秘蔵してたものを初めてあなたに使わせるんだからね!」
まだビリッとした感覚が残ってる。静電気か何かだったのだろうか? それとも……この刀を、拒絶……。
「なに、どうしたの?」
「いや、なんでもありません。ホント、すみません。気をつけます」
え、拒絶? なんでそんなことを思ったんだろう。無い無い。お守りが拒絶するとか、あるはずがない。このお守り、そんな存在感のあるものでも、霊験あらたかなものでもないんだから。第一、そんな真っ当なお守りなら、呪詛なんかもらわないっての……。
「お願いしますね。くれぐれも大切に扱ってください。では、最後の説明です」
ヒナギさんは、そっと護刀を僕の前に置き、姿勢を正す。
「それ、必ず一日に一回、鞘から抜いてください」
「え? でも……」
「そうね、矛盾したことを言っているようだけれど、ちゃんと意味があります。刀身の様子を、一日一回、確認してくださいということです」
「刀身の様子、っていうのは……」
「色、ツヤ、曇りの有無、そして……刃紋の状態です」
「刀の健康状態、みたいなこと?」
「この刀はね、基本的にはお手入れ不要です。けれど、もし刀身に黒ずみ、汗、極端な曇り、波紋の途切れなどが見られたときは、すぐに私に知らせてください。夜遅くでも早朝でも構わないわ。必ず、すぐに知らせてください」
「わかったけど、さすがに夜中とかヒナギさんの部屋ってわけには……」
「……携帯に連絡をくれれば、私からそちらに行きます。もし熟睡して電話に出なければ、ドアを乱打して叩き起こしてくれて結構です」
「でもほら、さすがにお風呂とか……そういう、アレなときは……」
しまった! ヒナギさん、みるみる赤面してしまってる!
「あああっ、ごめんなさい! で、デリカシーがありませんでしたっ!」
「そっ! そういうとき……は……太刀花さんか女将に……お、お願いします……」
ヒナギさんがスマホで二人の連絡先を見せてくれたので、僕は電話帳に登録した。
「りょーかいですっ!」
「ほ、ほかに質問は?」
「とりあえず大丈夫です。またなにか出てきたら、聞きますね」
「わかりました。じゃ、私からの説明は、以上です」
「ありがとうございました!」
「あの、頼光くん……後であなたの部屋に行ってもいいかしら」
「えっ? いいです……けど」
「もうそろそろ18時ね……今日はもう上がりにして、いったんこのまま本屋敷に戻りましょう」
部屋に戻ってベッドで一息ついているところに、ノックの音がした。
「どうぞ、空いてますから」
ヒナギさんが入ってきた。手に、なにかベルトのような物を持っている。
「これ、貸してあげる」
「なんですか?」
黒本革だろうか、とてもしっかりした造りをしている。
「ちょっと立って、これ、腰に巻いてみて」
言われた通りにして、すぐにわかった。
「……あ、なるほど! ここに護刀を挿せるようになってるのか」
「そう、ホルスターよ。ずっと手に持っているわけにもいかないでしょ? よかったら、使って?」
「ぜひ、使わせていただきます!」
なんか、カッコいいぞ! ヒナギさんが貸してくれたってとこも、心をくすぐるなぁ。
「ありがとうございます! いいですねぇ、これ。ワクワクしてきますよ」
「そう……よかった」
ヒナギさんは、薄く笑った。いろいろとはからってくれたから、疲れてるのかな。
「ヒナギさん、あの、今日はお休みのところ、本当にありがとうございました」
「……うん。じゃ、行くね……」
部屋を出しなに、なにか言いたげな様子だったが、また薄い笑みを浮かべた、
「晩ご飯の用意ができたら、呼ぶね……」
静かに、ドアが閉じた。
僕は、しばらくヒナギさんから貸してもらったホルスターに、護刀を出し入れして悦に浸っていた。




