第弐章 長ヒ夏休ミ §【夏休み3日目】
*▶︎▶︎pers.ASATO
夏休み3日目。
午前中にヒナギさんの家庭教師を受けた後、昼食をとってから女将さんの荒療治で腹の底から悲鳴をあげてすっかり体も温まった……。これからアルバイト第1日目だし、いいウォーミングアップだ……ってことにしておこう。
「今日は麻人さん、アルバイト初日だったわね。3時から18時までってことでスタッフには伝えておいたよ」
「わかりました。まだ、30分ほど時間ありますね」
「ええ。ご挨拶して、ちょうどいいぐらいかな」
「ご挨拶?」
「そうだよ。神棚にご挨拶するのさ。こういうことは、きちんとしなきゃね」
ここに来た日に連れられて入ったあの大きな客間に、今回はヒナギさんも一緒に入った。
神棚の前に整列し、二礼四拍手一礼。
あらためて見てみると、本当に立派な神棚だ。天井近くに3〜4メートルはあるだろうか、黒々とした棚があり、その中央に、年季の入った神殿が安置されている。出雲では一般的な大社造りってやつだ。その向かって右手の奥の方、榊立てに隠れて綺麗な箱がある。前に来たときは気づかなかった。つま先立ちになってそれを覗き込んでいると、女将さんが言った。
「おや、なにか気になるかい?」
「はぁ、とっても立派な箱だなと思いまして」
「うちの、三種の神器だよ」
「三種の神器……?」
「そうだよ。その神棚の鏡が一つ目。奇御気野鏡さ。黒い鏡は珍しいだろう? 隠岐島産の黒曜石でできてるんだ」
たしかに、あの黒い鏡は、前に見たときもちょっと気になっていた。あらためて見ると、どことなくヒナギさんの瞳にも似ているような……。
「二つ目が、あの美しい小箱。螺鈿が施してあって、中にはね、碧瓊勾玉が入っている。お見せすることはできないんだけど、出雲石の綺麗な勾玉だよ。うちの家紋はそれが元になってるのさ」
「なるほど……」
神棚の下——最初ここに来たときと変わらず床の間に掛かっている暖簾には、大きな家紋が描かれている。それはたしかに、勾玉を四つ円形に並べたような紋章だ。
「三つ目は、鳴髪ノ剣。スサノヲ大神が高天原で暴れた罰として抜かれた髪が地上に落ちた話は知ってるかい?」
「はい、古事記にありました」
「よろしい。さすが神社の子だね。その髪が打ち込まれたって伝わる太刀が、鳴髪ノ剣さ」
その太刀が、見当たらないようだが……。キョロキョロする僕に、女将さんが笑って言う。
「ははは、それだけは別のところにあるのさ」
「草薙剣が熱田神宮にお祀りされてるようなものよ」
ヒナギさんが、補足してくれた。
「な、なるほど……」
「ま、地方の旧家には、それなりの三種の神器みたいなものがあるって、珍しいことじゃないんだよ」
そういうものなんだろうなぁ。昔の探偵映画でもそういうの……「斧」「琴」「菊(聞く)」だっけ、見たことがあるぞ。
「さ、そろそろ行った方がいいね。初日から遅刻するわけにもいかないだろ」
ヒナギさんに連れられて本館のリネン室へ行くと、角丸コンビが予備のシーツ、布団カバー、浴衣、タオルなどの前で仕事をしていた。
「蜜角さん、蜜丸さん、昨日ご紹介したアルバイトの頼光麻人くんです」
蜜角さんは腕時計を確認すると、ヒナギさんに軽く会釈した。
「じゃ、頼光くん、明日からは私は付き添わないので、しっかりね」
ヒナギさんが立ち去るのを見計らったかのように、蜜丸さんがニヤケ顔で言った。
「お嬢に付き添ってもらって、いいご身分だなぁ」
「あの、すみません、初日だったもので……」
「おめぇ、バイト自体、やったことねぇんだろう?」
「あ、お察しの通りです。よくおわかりで……」
「初日ってのはよぉ、もっと早めに来るもんだぜ、フツー」
「そっ、そうなんですか。すみません……」
「ったりめぇだろーが! 右も左もわからねぇんだろ? 早めに顔出して、少しでも早くシゴト覚えるって、常識だろーが!」
ひぃっ! これはやっぱアレだよな……こういうシチュエーションでお約束の「いじめキャラ」!
「まぁ蜜丸よ、そのぐらいにしてやれ」
「けどよぉアニさん……」
「学生さん……頼光って言ったっけ、こいつなりの親切心で言ってんだ。カンベンしてやってくれ」
「いえ、とんでもないです……ほんと、すみません、なにかと気が利かなくて」
蜜角さん、助け舟を出してくれたんだろうけど……親切心っていうのはムリがあるよ。
「おぅ頼光、これ持って、ほかのリネン室の在庫チェックして来い」
蜜角さんは、学校でもらうプリントぐらいの紙を一枚、ぶっきらぼうに差し出した。
裏表には、間取り図と思しき図面があり、ところどころに赤丸がつけてある。これがリネン室だな。全部で……8箇所か。
「あ、あの、在庫チェックっていうのは、えと、具体的には……」
「行きゃわかる」
いや、そんなザツな指示出されても。こっちは初バイトで、しかも初日なんだから……。
「オラ、さっさと行けっつってんだよ!」
「わっ! わかりましたっ!」
蜜丸さん、どこが親切なんだよ。意味わかんないし!
「おい、待て!」
蜜角さんから、スマホを渡された。
「あ、僕もスマホ持ってますから、それで……」
「いいから持ってけ。仕事中は、それ使え」
「はぁ……」
とりあえず走って最初の印の場所に向かう。走ったのは仕事への意気込みからじゃない。1秒でも早くその場を離れたかったからだ。
それにしてもこの間取り図、ぜんぜん正確じゃないな。廊下の長さとか、まるで合ってないし。
方向と部屋の名前だけを頼りにどんどん歩いて行くと、やっと辿り着いた。
「あ、しまった。カギ……」
いまから戻ったらまたどやしつけられるな、とヒヤヒヤしながらダメ元でドアノブを回すと……開いた! よかったぁ。
「さてと、在庫チェックって……なにをどうやって……」
落ち着いて考えろ。ここって、客室にタオルとかシーツとかを補充するための予備が保管されてる場所だよな。
室内には、真新しい備品が整然と並んでいる。奥の方には、カミソリやら歯ブラシなどの小物も置いてある。
「部屋の清掃なんかのときに、ここから備品を持ち出して交換するんだよな……」
ってことは、品切れにならないよう、いつも決まった数がそろってないと……ってことか。
「なるほど、これだな」
壁に紙が貼られており、備品名と数字が書かれている。この数字と備品の数が合ってるかどうかってことか。
慎重に数えては、紙の数字と照合する。よし、ここは大丈夫だ。次のリネン室に向かおう……。
「っと、待てよ……」
間取り図に、OKと書き留めた。こうしておけば、戻ったとき、これを見せるだけで済む。
単純な作業だが、思ったより時間がかかった。
なにしろ広くて広くて……。それに間違ったらまずいから、2回ずつチェックしてたらもう18時近いじゃないか。
「ヤバいヤバい! 急いで戻らなきゃ……」
いや、まず一報した方がいいんじゃないか? 遅ぇ〜っとか言われそうだし。
渡されたスマホで、いまから戻ると伝えると、電話越しでただ「……おぅ。控え室にいる」とだけ言われて切られた。
間取り図を頼りに、言われた「控え室」という部屋に入ると角丸コンビが一服しているところだった。
「すみません、遅くなりましたっ!」
「……で?」
蜜角さんが、睨むような視線を投げてきた。僕は、恐る恐る、間取り図を手渡す。そこに僕が書き加えてある数字とメモは、在庫が足りなかった品とその不足数だ。
「おめぇよぉ……」
蜜角さんがゆらりと距離を詰めてきた。な、なにをやっちまったんだ? なにをヘマした? っていうか、この人、単にいつもキゲン悪いだけなんじゃないのか?
蜜角さんが手を伸ばし……殴られる覚悟をして目をつぶる僕の肩を、ポンポンと叩いた。
「よくやったな」
「……へ?」
「よくできてるじゃねぇか」
「それに、戻る前に一報入れるのも、気が利いてるッスよね、初心者のくせに」
「はぁ……お、恐れ入ります」
「上出来だ。今日はもう上がっていいぞ。在庫の不足分は俺らが補充しとくから」
「あ、ありがとう……ございます」
「明日は、何時からだ?」
「えーと、明日は治療がないので……13時半には入れます」
「そうか。しっかりやってくれ。スマホは、ここにいる間はずっと持ってろ」
「はい! お先に失礼します!」
あれっ? 案外……いい人たちかも。不器用なだけの人たちかも。
夕食が19時からだったのを思い出し、僕は本屋敷に向かって走った。




